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安威川敏樹のネターランド王国

お前はチョーマイヨミか!?

ネターランド王国憲法

第1条 本国の国名を「ネターランド王国(英名:Kingdom of the Neterlands)」と言う。
第2条 本国の国王は「禁句゛(=きんぐ)、戒名:安威川敏樹」とする。
第3条 本国は国王が行政・立法・司法の三権を司る、絶対王制国家である。
第4条 本国の公用語は日本語とする。それ以外の言語は国王が理解できないため使用禁止。
第5条 本国唯一の立法機関は「日記」なる国会で、国王が一方的に発言する。
第6条 本国の国民は国会での「コメント」で発言することができる。
第7条 「コメント」で、国王に不利益な発言をすると言論弾圧を行うこともある。
第8条 「コメント」で誹謗・中傷などがあった場合は、国王の独断で強制国外退去に踏み切る場合がある。
第9条 本国の国歌は「ネタおろし」とする(歌詞はid:aigawa2007の「ユーザー名」に記載)。
第10条 本国と国交のある国は「貿易国」に登録される。
第11条 本国の文章や写真を国王に無断で転載してはならない。
第12条 その他、上記以外のややこしいことが起きれば、国王が独断で決めることができる。

きゅう正月・2月1日

 

2月1日は、野球選手にとって正月と言われる。

なぜなら、この日からプロ野球(NPB)では春季キャンプが解禁となって、各球団が一斉にキャンプ・インとなるからだ(2023年はWBCの関係で、埼玉西武ライオンズのみ2月6日にキャンプ・イン)。

つまり2月1日こそが球(きゅう)正月というわけである。

 

ちなみに、なぜ2月1日がキャンプ解禁日なのかというと、NPBでは選手の契約期間が2月1日から11月30日までの10ヵ月間という事情があるのだ。

つまり、12月1日から1月31日までは、球団は選手を拘束できないのである。

したがって、12月と1月の2ヵ月間は、球団による練習は禁じられているわけだ。

 

しかし、以前は「合同自主トレ」という名の、事実上のキャンプが1月中旬から始まっていた。

球団としては、キャンプ解禁日(2月1日)の時点で選手に体を仕上げておいて欲しいから、合同自主トレを行っていたのだ。

キャンプと合同自主トレの違いは、ユニフォームを着ているか否かである。

12月と1月にユニフォームを着て練習すると、球団としての練習を強制していると見られ、野球協約違反となるので「ユニフォームを着ていないのでキャンプではなく自主トレでござい」と屁理屈を言っていたわけだ。

だが、日本プロ野球選手会からの要望により、1989年から新人選手を除き指導者付きの合同自主トレは全面的に禁止となった。

 

▼現在でも新人選手による指導者付き合同自主トレは行われている

 

メジャー・リーグ(MLB)の春季キャンプ(MLBではスプリング・トレーニングと呼ぶが、本稿では便宜上キャンプと表記)の始動は日本よりも遅く、各球団によってバラバラで、だいたい2月中旬から始まる。

バッテリー組が先に集合し、数日後に野手組が合流するのが普通だ。

メジャーのキャンプは、開始時点で各選手の体は個人練習により出来上がっているのが前提で、レギュラー選手にとってのキャンプは公式戦に向けてコンディションの調整とチームプレーの確認、それ以外の選手は生き残りのサバイバル・ゲームである。

キャンプで結果を残せなかった若手選手や招待選手は、容赦なくマイナー・リーグに落とされるか、あるいは自由契約となるのだ。

その競争の厳しさは、日本の比ではない。

 

かつて江夏豊が36歳でメジャーに挑戦、ミルウォーキー・ブルワーズのキャンプに招待選手として参加した。

当時は、マッシーこと村上雅則野球留学生からメジャーに昇格した後は、2人目の日本人メジャー・リーガーは誕生せず、日本人がメジャーで通用するなど夢また夢と思われていた時代。

江夏の身分だった招待選手というのは、お客さんのように聞こえるが、実際には結果を残さなければすぐにクビを斬られる立場だった。

練習嫌いと言われた江夏も、日本では2月から1ヵ月間のキャンプでは体をイジメ抜いて鍛えていたが、ブルワーズのキャンプが始まったのは何と2月21日、日本よりも20日も遅い。

江夏はメジャー流の調整方法にも馴染めず、結局はメジャーに残れなかった。

 

ちなみに、韓国プロ野球(KBO)の春季キャプは、メジャーと同じく各球団でバラバラの始動だが、キャンプ・インの時期は日本よりも早い1月中旬。

そこから、球団によっては3月上旬まで、約2ヵ月間もの長期キャンプを張る。

 

話を日本に戻すと、キャンプ事情も昔と今とでは随分と変わった。

昔は、2月1日からは本拠地で第一次キャンプを張る球団が多かったのである。

1年のうち、最も寒い時期に、暖地でもない場所でのキャンプ・インということで大雪に見舞われ、最初の練習が雪かきなんてこともあった。

1980年代に最強を誇った西武ライオンズ(現:埼玉西武ライオンズ)も例外ではなく、屋根が付いていない頃の寒い西武ライオンズ球場でのキャンプ・インが通例。

当時の西武の二次キャンプ地は高知県の春野だったが、なぜわざわざ寒い埼玉での始動だったのか?

その理由として、2月初旬は埼玉も春野も気温としては大して変わらなかったことと、西武球場は春野よりも練習設備が整っていたことが挙げられる。

また、前述の通り当時は指導者付きの合同自主トレが認められていたので、西武は1月中旬から寒い埼玉でじっくり体を鍛え、2月中旬に暖かくなった春野へ移動して一気に仕上げるという方法を採っていた。

こうして、1980年代の西武は最強軍団となったのである。

その意味では、1990年代に西武が最強の座から滑り落ちたのは、球団主導の合同自主トレ禁止と無縁ではないのかも知れない。

 

高知県の春野は、現在でも西武B班(事実上の二軍)の春季キャンプ地

 

また、海外キャンプが隆盛を誇っていたのも、80年代の特徴だった。

円高が進み、さらにバブル好景気もあって、各球団がこぞってメジャーのようにアリゾナやフロリダ、あるいはハワイやグァム、サイパンなどの日本では考えられない温暖なキャンプ地を求めたのだ。

だが、バブルが弾けてからは、海外キャンプから撤退する球団が相次いだのである。

さらに、これだけ円安が進むと、もう海外キャンプを張る球団は現れないかも知れない。

 

海外に代わって、脚光を浴びるようになったのが沖縄県だ。

海外ほどではないとはいえ、日本で最も温暖な地方と言えば沖縄だが、長い間キャンプ地としては使用されていなかった。

その理由として、沖縄はまだ練習設備が整っていなかったことと、雨が多いことが挙げられる。

初めて沖縄キャンプが行われたのは1979年の日本ハム ファイターズ(現:北海道日本ハム ファイターズ)だったが、それも投手陣のみ。

しかも、それ以前の沖縄は長い間アメリカに占領されていたのだから、沖縄に行くということは外国へ渡航することと同じだったので、沖縄でキャンプを張るぐらいなら海外キャンプの方が良かったわけだ。

だが、その後は沖縄でも各地で練習設備が整えられ、立派な雨天練習場も各キャンプ地に備わり雨対策もバッチリ、わざわざ海外キャンプを張る必要もなくなり、現在では宮崎県(トップ写真参照)を上回り最もキャンプに適した地となっている。

 

沖縄県とは対照的に、凋落の一途を辿ったのが高知県

かつてはキャンプ銀座と呼ばれるほど各球団が高知県でキャンプを張っていたが、今年(2023年)は高知県で春季キャンプを張るのは春野の西武B班(事実上の二軍)のみ。

阪神タイガースのキャンプと言えば高知県の安芸キャンプが代名詞だったが、2012年に沖縄県宜野座に完全移行してからの安芸は二軍キャンプ地に格下げされてしまった。

そして、今年からは阪神の二軍キャンプ地も沖縄県うるま市)に移転し、阪神は「タイガース・タウン」の安芸から春季キャンプを完全撤退したのである(秋季キャンプ地としては引き続き使用)。

 

▼かつて、阪神タイガースの春季キャンプは高知県安芸市が代名詞だった

 

今年は、沖縄県で9球団、宮崎県では5球団が春季キャンプを張る(読売ジャイアンツ広島東洋カープは宮崎県と沖縄県の2ヵ所)。

いわば、この両県がメジャーでいうアリゾナ州フロリダ州のような存在になったわけだ。

また、WBCに参加する侍ジャパンが2月17日から宮崎キャンプを行うので、今年は例年に増してキャンプ・フィーバーとなるだろう。

 

侍ジャパンがキャンプを行う予定のひなたサンマリンスタジアム宮崎