1999年、61歳でこの世を去ったプロレスラーのジャイアント馬場さん。
ネタランでは敬称略が基本だが、この記事の馬場さんに関しては敢えて「さん」付けにさせてもらう。
馬場さんは日本人として初めて、世界最高峰と謳われたNWA世界ヘビー級王座を獲得し、その後も2度、即ち合計3度も同王座に就いた。
後に藤浪辰爾、蝶野正洋、グレート・ムタ(武藤敬司)らが同王座を獲得したが、ハッキリ言ってその頃と、馬場さんの時代とではNWAの価値が全然違う。
馬場さんの頃は日本人レスラーにとって、NWA世界ヘビー級王座など、夢また夢の存在だったのだ。
そんなタイトルを3度も奪取した馬場さんの偉大さがわかるだろう。
しかし、2016年にやっと、馬場さんの故郷である新潟県三条市が馬場さんを名誉市民と認定したが、あまりにも遅すぎる。
というより、なぜ馬場さんが国民栄誉賞もしくは人間国宝に認定されないのか、全く理解できない。
馬場さんはレスラーとしてだけではなく、プロモーターとしても偉大だった。
特に外人レスラーからの信頼が厚く、あるレスラーは「ミスター・ババは世界で唯一、約束を必ず守るプロモーターだった」と絶賛している。
そして、日本人の弟子としてジャンボ鶴田、天龍源一郎、三沢光晴、小橋建太らを一流レスラーに育てた。
ファンを誰よりも大切にする馬場さんは、試合前の会場でも自らグッズ売り場に座ってファンに接した。
それまでのプロレス界では、スターは試合前にファンと顔を合わせるべきではない、という考え方だったのである。
しかし馬場さんは、自分がグッズ売り場にいればファンが喜ぶだろうし、それによって売り上げが上がれば社員やレスラーの給料も上がるだろう、と考えていたのだ。
とはいえ、それは一般のファン相手での話。
失礼なファンに対しては、ソッポを向くときもある。
ある日、馬場さんがホテルのロビーでくつろいでいると、一人の男が馬場さんに声を掛けてきた。
「やあ馬場さん、巡業ですか?」
しかし、馬場さんは答えようともしない。
気まずいムードとなったので、やむなく男はその場から去った。
「なんだ?今の奴は。馴れ馴れしい」
と、馬場さんは付き人に言った。
付き人は驚いて、
「何を言ってるんですか社長!今の人は高倉健さんですよ!」
「誰だ、それは?」
「高倉健さんを知らないんですか!?日本で一番有名な俳優ですよ!」
「知らん。『水戸黄門』では見たことないぞ」
『水戸黄門』の大ファンである馬場さんにとって、俳優の基準は『水戸黄門』に出ているか否かである。
そんな馬場さんだから当然、『水戸黄門』に出演している俳優には優しい。
高橋元太郎が馬場さんとバッタリ顔を合わせた。
高橋元太郎が挨拶する
「こんにちは、馬場さん」
「おう、うっかり八兵衛!」
馬場さんが『水戸黄門』を見る時はいつもビデオなので、オープニングは早送りですっ飛ばすため、俳優の名前なんて知らないのである。
ひょっとすると「じ~んせい 楽ありゃ 苦もあるさ~♪」という歌も知らなかったかもしれない。
もちろん、キチンと挨拶するファンに対しては、馬場さんもキチンと接する。
前田亘輝が名古屋で馬場さんと会った時のことだ。
「初めまして、馬場さん。TUBEの前田と申します」
「応援ありがとうございます。中部地方にお住まいの前田さんとおっしゃるんですか」
高倉健を知らない馬場さんが、TUBEのことなど知っているはずもない。
そもそもファンが、名古屋でわざわざ「中部地方から来た」なんて言うわけがないではないか。
馬場さんの心の広さはジャイアント過ぎて、一般人には理解できない。
馬場さんの名勝負の数々