昨日(9月8日)の甲子園での阪神タイガース×読売ジャイアンツ戦で、こんなシーンがあった。
1-9で巨人が大量リードの9回裏、無死一塁で打席にマット・マートン。
マートンが放った打球はライト線、ホームランか否か?という当たりだった。
打球はグラウンド内に跳ね返っており、ポールに当たっていればホームラン、フェアゾーンのフェンスに当たっていればインプレー、ファウルゾーンのフェンスに当たっていればファウル、という場面だった。
この時、一塁塁審の嶋田哲也の判定はファウル。
阪神の和田豊監督が抗議に出た。
激しく食い下がる和田監督。
おそらく「ビデオ判定しろ!」と言っていたのだろう。
だが、抗議も実らず、諦めてベンチに入った瞬間だった。
再びグラウンドに飛び出してきた和田監督は、なぜか嶋田塁審の体を必死に止めている。
監督が審判の体を止めているというのも、滅多に見られない光景だ。
実はこの時、マートンが中指を立てて「ファックポーズ」をしていたのだ。
普通なら、マートンは退場のケースである。
マートンのポーズに激昂し、嶋田塁審がまさしくマートンを退場にしようとしていたのだ。
それを止めに入った和田監督は見事なファインプレーである。
和田監督は監督として、マートンを守ったのだ。
もちろん、マートンの「ファックポーズ」は許されるべき行為ではないが。
それにしても、解せないのがその時にテレビ解説をしていた掛布雅之である。
掛布はしきりに、
「ビデオ判定があるのだから、さっさとビデオ判定すればいいんですよ」
「なんで審判団が意地を張って、ビデオ判定をしないのか、わかりませんねえ」
と言っていた。
わかってないのは掛布の方である。
現在のプロ野球ではホームランか否かに限り、ビデオ判定が導入されている。
だがそれは、審判団がわからなかった時に、ビデオ判定するというものだ。
嶋田塁審はファウルとハッキリわかったから、ビデオ判定しなかっただけだ。
ビデオ判定するかどうかは、審判団による判断であり、抗議を受けたからビデオ判定をする、というタチのものではない。
この根本的なルールが、掛布にはわかっていなかったのではないか。
やむなく審判団はビデオ判定をしたが、これは事態を収集させるためだろう。
結局、マートンの打球はファウルと判定されて、試合再開した。
野球のビデオ判定は、アメリカン・フットボールで言う「チャレンジ」とは違う。
アメフトでの「チャレンジ」とは、ビデオ判定を要求する代わりに、ビデオ判定で要求が通らなければタイムアウトの権利を1回失う、というリスクを負ったものだ。
野球では、ビデオ判定を要求するルールなんてない。
野球で認められている抗議は、ルール上に関することと、スイングか否か、ということだけだ。
ルール上に関することでは、抗議権があるのは監督のみである(日本の高校野球では主将のみ)。
スイングか否か、については、守備側の監督および捕手にのみ抗議権があり、塁審に確認することができる。
時々、ハーフスイングをスイングと取られた打者が「塁審に聞いてみろ」と言っている場面があるが、打者に抗議権などない(もちろん、攻撃側の監督にも)。
こんな根本的なことすら、掛布にはわかってなかたのではないか。
ラグビーでは、トライシーンに限りTMOというビデオ判定を行うことがあるが、日本国内でTMOが行われるのは重要な試合のみ。
トライの際にグラウンディングをレフェリーが確認できなければ、アシスタント・レフェリー(以前のタッチ・ジャッジ)にトライできたかどうかを聞きに行く。
この時、アシスタント・レフェリーがトライかどうかわからなかったら、どうするか。
「私もアシスタント・レフェリーもトライを確認できなかので、ノートライです」
と言うのである。
この裁定に、意義を唱える選手はいない。
野球でこんなことを言われれば大抗議の嵐だろう。
審判に対するリスペクトの違いなのかも知れない。
掛布はこういったスポーツの現状がわかっているのだろうか。
審判の目を主とし、ビデオはあくまでも補助的な存在である。
人間の目で手に負えなくなったとき、初めてビデオの出番となるわけだ。
そうしなければ、正確さばかりを求めていちいちビデオに頼っていたら、試合進行が遅くなって、スポーツの利点であるスピーディーさが損なわれてしまう。
一番怖いのは、掛布のルール無知な解説のおかげで、視聴者がルールを捻じ曲げて解釈してしまうことである。
曲がりなりにも一流選手だった掛布がルール無知のために、一般ファンに誤った情報をインプットしてしまうことだ。
掛布ばかりを槍玉に挙げて申し訳ないが、掛布だけでなくほとんどの野球解説者がルール無知なのである。
いやしくも野球解説者なのだから、最低限のルールぐらいは覚えておいてもらいたいものだ。