野球ファンなら、思い入れがある野球漫画の一つや二つはあるだろう。
野球漫画に名勝負は付き物。
みなさんは野球漫画で最高の名勝負と思うのはどの試合だろうか。
「ドカベン(水島新司:著)」だと明訓高校が唯一敗れた「明訓×弁慶」、「タッチ(あだち充:著)」なら上杉達也が甲子園出場を決めた「明青学園×須見工業」といったところか。
僕がベスト1だと思っているのが「キャプテン(ちばあきお:著)」での「墨谷二中×青葉学院」だ。
墨谷二中と青葉学院は3度対戦しているが、その中でも一番最初に対戦した試合が最も心に残っている。
少し説明すると、野球では無名の墨谷二中が超名門・青葉学院と地区予選決勝で対戦し、10ー11で墨谷二中が惜しくも敗れた。
全国大会に出場した青葉学院は順当に勝ち進み、4連覇の大偉業を果たしたが、墨谷二中との地区予選決勝でルール違反があったため、再試合を行うことになる。
墨谷二中にとっていきなりの全国大会決勝になったが、最大9点差をひっくり返し、10-9の逆転サヨナラ勝ちで見事に初優勝を達成した(アニメでは試合展開が違う)。
多くの「キャプテン」ファンは、再試合となった全国大会決勝を最高の名勝負と言うだろうが、僕は二つの理由から最初の試合を推す。
まず第一に、全くの個人的な理由なのだが、再試合には僕にとって空白の期間があったからだ。
最初の試合、即ち地区予選決勝が終わったのはジャンプ・コミックスの第3巻で、その後なぜか僕は第4巻と第5巻を買わなかった。
おそらく本屋になかったのだろう。
ようやく「キャプテン」を本屋で見つけたのは第6巻で、どうしても読みたかったのかつい買ってしまったが、既に全国大会決勝の墨谷二中×青葉学院は終わっていた。
僕はうっかりあらすじを読んでしまい、結果がわかってしまったのである。
順番に第4巻、第5巻と読んでいれば、再試合の方が№1になっていたかも知れない。
もう一つの理由は、青葉学院と最初に対戦した試合の方が、「キャプテン」という作品の方向性を決定づけたと思うからだ。
それについては、おいおい説明していこう。
★地区予選 決勝
青葉学院 202 101 005=11
墨谷二中 112 011 112=10
かつては青葉学院の二軍で補欠だった谷口タカオが墨谷二中に転校し、ヘタクソだったにもかかわらず影の努力が認められキャプテンに大抜擢、監督すらいない無名の墨谷二中を初めて地区予選決勝に導いた。
決勝の相手はもちろん、全国大会3連覇中の超強豪、谷口にとって古巣の青葉学院である。
青葉学院にとって墨谷二中など取るに足らない相手だったが、青葉学院のことを知り尽くした谷口はナインに対青葉用の猛特訓を施したため青葉学院は思わぬ大苦戦、8回表終了時点で6-7と1点ビハインドの思わぬ大苦戦となった。
業を煮やした青葉学院は8回裏から一軍のエース・佐野を投入。
それまで墨谷二中が戦っていたのは、青葉学院の二軍だったのだ。
青葉学院にとって地区予選など二軍の試合慣れの場に過ぎず、一軍が登場するのは全国大会からである。
しかし、谷口のターゲットは二軍ではなく、あくまでも青葉学院の一軍だった。
青葉学院の一軍に照準を合わせた特訓を行ってきた墨二打線は、佐野の球すら軽々と打ち返し、慌てた青葉学院は全員を一軍メンバーに交代した。
実はこれが重大なルール違反で、当時の中学野球の規則では14人以内しか選手を使ってはいけなかったのだが(即ち、認められていたのは5人以内の交代)、青葉学院の部長は「そんなことは規則書には載っていない」と主張し、強引に選手全員の交代を認めさせた。
結局、このルール違反が後々問題になるのだが、ともかくこの試合は選手全員交代のまま進められ、墨谷二中は逆転負けを喫したのである。
というのが試合の概要だが、ここでまずポイントとなるのが「青葉学院は地区予選では二軍しか使わない」という点だ。
その二軍ですら決勝まで全て3回コールドで勝ち進むという、とんでもない強豪ぶりである。
この事実で、まず読者に青葉学院の強さを印象づけた。
ちなみに球場は、墨谷二中側のスタンドは応援団で超満員だが、青葉学院側のスタンドには1人も観客がいない。
青葉学院にとって、地区予選など眼中にないのだ。
現実世界の高校野球で、これほど強いチームはお目にかかったことがない。
KKがいた頃のPL学園ですら、5回の甲子園のうち優勝2回、準優勝2回、ベスト4が1回なのに対し、青葉学院はこの時点で夏の選手権大会3連覇、春の選抜大会2連覇である(ルール違反による再試合がなければ夏の選手権4連覇、さらに翌春の選抜でも優勝しているので選抜3連覇となっている)。
もちろん、PL学園は大阪大会でも桑田真澄や清原和博を出場させていた。
つまり、青葉学院はPL学園など足元にも及ばない超名門だったのである。
谷口は、そんな青葉学院の野球部に二年生の途中まで在籍した。
前述の通り二軍の補欠で、伸び伸び野球を楽しみたいという思いから墨谷二中に転校するのだが、無名の墨谷二中ですら谷口はヘタクソの部類だったのである。
にもかかわらず、他の部員たちは谷口が青葉出身というだけで崇め奉り、その期待に応えるため谷口は影の猛特訓で自分でも気付かないほどの実力を蓄え、三年時には新キャプテンに任命された。
実力こそ付いたものの統率力に欠ける谷口は、キャプテンという重責に戸惑いながらも、無言で努力する姿によりナインを引っ張り、遂に墨谷二中始まって以来の地区予選決勝進出に導いた(野球部以外でも地区予選決勝まで行った部はない)。
しかし、それだけではとても青葉学院の二軍ですら相手にはならず、青葉学院の練習を見せてナインに実力をわからせた上で猛特訓を行った。
あまりの練習の激しさにナインは一時離反するが、谷口がナインの見えない所でそれ以上の特訓を自らに課していたことを知り、再び谷口に付いて行くようになる。
そして墨谷二中の実力は、青葉学院の一軍と対等に戦えるまでのレベルになっていた。
ここで2つ目の重要なポイントは、谷口は自らが努力するだけでなく、他人に努力させる力を持っていたことである。
谷口は影の努力で青葉学院の一軍に勝るとも劣らぬ実力を身に付けた。
そこまでは野球漫画やスポ根ドラマではよくあることだ。
しかし谷口は自分のみならず、キャプテンとして他の選手のレベルをも引き上げてしまったのである。
それも強制ではなく無言で。
おそらく、谷口自身もそんな効果があるなんて夢にも思っていなかっただろう。
谷口は転校した当初、墨谷二中でもヘタクソだったぐらいだから(それでも、最初の練習ではマグレでホームランを打ってしまい、ナインの誤解に拍車をかけた)、青葉学院の部長は二年近くもいた谷口のことを全く憶えていなかった。
この部長というのは、試合の采配も振るっているのだから監督的な立場で、おそらく監督兼部長なのだろう。
つまり、野球部を独裁的に牛耳っているわけで、それが後々の態度に表れるようになる。
地区予選決勝の前、谷口はナインを引き連れて青葉学院に乗り込み、練習を見学させて欲しいと部長に頼むが、部長は快く谷口の申し出を受け入れた。
普通なら対戦を前に敵チームの偵察を許すなんて有り得ないが、何度も言っているように部長にとって地区予選など勝って当たり前なのだ。
なにしろ部長は谷口のことを憶えていないばかりか、「スミヤ……?たしかウチと決勝でぶつかるんじゃなかったのかね?」と、なんとも呑気なことを言っている。
決勝戦の対戦校すらうろ覚えなのだ。
そう、第3のポイントは、青葉学院野球部部長のキャラクターである。
敵将でこれほど異彩を放つ人もいまい。
学生野球らしからぬサングラスをかけ(ただし、初登場のときは普通のメガネをかけている)、実力のある者とない者を差別し、しかも勝つためにはなんでもやる、勝ちゃあええという思想の持ち主だ。
また、ベンチでは堂々と(?)タバコまで吸っている。
前述の通り、青葉学院はノーマークの墨谷二中に大苦戦、遂にはルールを無視して一軍と二軍の総入れ替えをやってしまった。
審判団は最初、この総入れ替えを認めない方針だったが、部長は「そんなこと(選手は14人以内)は中学野球大会の規則書には書いとらんよ」と突っぱねて、15人以上の選手を使ってしまったのである(漫画では14人以上と表記されているが、数学的に正しく言うと15人以上)。
この時、審判団はあくまでも敬語で部長と話し、部長はタメ口でしかも上から目線の物言いだったから、立場的に自分の方が上、と部長は思っていたのだろう。
なお、このルール違反が後に問題となり、全国中学野球連盟の委員長は、
「我々の大会(即ち中学野球)は、全国高校野球に沿った条件で行われている。だから常識として規則書に謳わなかった」
と語っている。
ところで、現実の高校野球でこの「14人ルール」というのがあるのだろうか。
実を言うと、そんなものはない。
あったのは、「キャプテン」連載当時の甲子園大会に、ベンチ入り人数は14人まで、というルールだけだ。
その後、ベンチ入り人数のルールは何度か変わり、現在の甲子園大会では18人まで選手のベンチ入りが認められている。
つまり、9人全員の総入れ替えが可能になった。
なお、これは甲子園大会に限ったルールで、地方大会によっては20人のベンチ入りが可能な県だってある。
その場合は当然、11人の選手交代が可能だ。
つまり、14人ルールがあるとすれば、15人以上の選手を使ったことがルール違反なのではなく、15人以上も選手をベンチ入りさせた時点で違反なのである。
ということは、審判団は青葉学院のベンチに15人以上の選手がいた時点で取り締まるべきだった。
大会ごとにルールが違うのだから、規則書に載せられないのはわかるが、だったらアグリーメントでちゃんと示すべきだろう。
それを中学野球連盟の委員長が言うように「常識として謳わなかった」というのは、どう考えても問題だ。
そういう意味では、部長が強引に15人以上の選手を使ったのもわかるが、それでも部長の場合は確信犯的なところがあったので、やはり同情はできない。
ただし、この14人ルールは「キャプテン」のみならず、谷口の高校時代を描いた「プレイボール」でも適用されているので、物語上では14人ルールが正当とする。
「キャプテン」「プレイボール」世界では、ベンチ入り人数そのものには制限はなく、試合で使えるのは14人まで、というルールのようだ。
部長は15人目の選手の起用を認められたあと、墨二応援団からヤジられるが、
「全日本大会のためにも強いチームが勝つべきなんだ!」
と独り言のように呟く。
これこそ部長の信念そのものだろう。
実は再試合でも、部長は勝つための「汚い作戦」を行い、味方の青葉応援団からもヤジられている。
とはいえ、部長も人の子。
この試合の終了後には人間らしい一面を覗かせている。
墨谷二中をかろうじて破り、部長は谷口に声をかけようとするが、谷口の目に涙が光っていたのを見て、何も言えなくなった。
そして、
「二軍などを出して、全く失礼なことをした……」
と反省するである。
そして、谷口ほどの実力のある選手が、なぜウチ(青葉学院)の二軍、しかも補欠に埋もれていたのかと不思議に思うのだった。
では、部長が墨谷二中の実力を知っていたとして、最初から全員一軍を使っていたとしたら、試合はどうなっていただろう。
おそらく、青葉学院の圧勝だったに違いない。
というのも、墨谷二中が攻守で青葉学院の一軍に劣らなかったとしても、投手力が著しく弱かったからだ。
この時点での、墨谷二中のエースは松下。
青葉学院の部長が呆れるぐらいの遅い球である。
なにしろ谷口が、青葉学院の一軍エース・佐野を攻略するための特訓として、松下を3分の1の距離から投げさせていたのだ。
要するに、佐野の球は松下の3倍の球速ということである。
佐野の球速が、当時の中学生としては速い130km/hだとしたら(当時の佐野は中学二年である)、松下は僅か43km/h。
不知火のハエが止まる超遅球か、あるいは星飛雄馬の大リーグボール3号か、というような遅さだ。
松下は一軍が登場した9回に集中砲火を浴びて一挙5失点、さらに右肩に打球を受けて降板を余儀なくされた。
ここに4つ目のポイントが隠されていたのである。
墨谷二中には松下しかピッチャーがいなかったが、小学校時代に「一通り全てのポジションをやったことがある」という一年生のイガラシが登板、松下とは比べ物にならない速球と、キレの鋭い変化球を投げ込んだ。
松下の実力はわかっているのだから、イガラシも最初からピッチャーをやりたいと言えばいいと思うのだが、ともかく青葉学院の一軍に通用する投手が現れたのである。
イガラシが登板し、空いたセカンドのポジションには、二年生の丸井が入った。
元々は丸井がセカンドのレギュラーだったのだが、天才的なプレーを見せる一年生のイガラシにポジションを奪われてしまったのである。
一時は退部を考えた丸井だったが、自分をレギュラーから外した谷口を恨むこともなく、むしろ谷口を見習って影で努力を続けていたのだ。
そして、この試合で途中からセカンドに入った丸井は見事なプレーを見せて、谷口を唸らせたのである。
ここにピッチャー・イガラシ、セカンド・丸井、サード・谷口というベストの布陣が出来上がったのだ。
このメンバーで、青葉学院と再試合を行うことになる。
負傷した松下にとっては気の毒だったが、卒業後は「野球で名の通った」城東高校に進学し、「中学時代よりずっと速い球」を投げて、一年生ながら墨谷高校戦で先発した。
「キャプテン」は年度が変わるたびに主人公が交代するという、珍しい作品だった。
谷口が卒業したあとは丸井、その次はイガラシ、そしてこの試合の時点ではまだ入学してなかったものの、イガラシのあとは近藤茂一がキャプテンを引き継いだ。
そして彼らは、それぞれが違うキャプテン像、違う方法でチームを引っ張って行くのである。
さらにライバルチームとなる強敵の青葉学院、それを率いる勝利至上主義者の部長と、「キャプテン」のエッセンスが全て詰まった試合だったのだ。
また、ライバルチームにいきなり負けるのも、この作品らしい。
それ故に、僕はこの試合を野球漫画最高の名勝負に選んだのである。
なお、もっと詳しく知りたい方は拙著「野球少年の郷(ふるさと)・墨谷―『キャプテン』『プレイボール』の秘密―」をご覧いただきたい。