この件名を見てすぐにピンと来る人は、奈良県民かあるいは相当な鉄ちゃんだろう。
そう、この二つは奈良県吉野郡大淀町にある、近畿日本鉄道(近鉄)吉野線の駅だ。
しかも、この珍しい名前の駅は隣り同士である。
大阪駅(梅田駅)からJRの大阪環状線あるいは大阪市営地下鉄御堂筋線に乗って天王寺駅まで行き、近鉄南大阪線の大阪阿部野橋駅から吉野行き急行に乗ると約1時間15分で薬水(くすりみず)駅に着く。
つまり、これだけ時間がかかるということは相当な田舎なわけで、薬水駅は関西大手私鉄の本線格の駅としては珍しい無人駅だ。
駅の外から見ると、一応は「薬水駅」と書いてあるのだが、駅舎がないので普通に車で走っているとそこに駅があるとは気付きにくい。
入口から階段を登って行くのだが、本当に駅があるのか不安になるぐらいだ。
電車の本数も少なく、ラッシュ時以外では1時間に2本しかない。
急行停車駅とはいえ、吉野線(橿原神宮前駅から終点の吉野駅まで)を走る急行は全駅停車、即ちこの区間の急行は各駅停車の役割をしているのである。
道に面した薬水駅の入口。ひっそりとしていて駅前の賑やかさは全くない
駅へ行くにはこの階段を登らなければならない
階段を登って、ようやく見えてくる駅のホーム
ホームの入口にはICカード(PiTaPaおよびICOCA)専用改札機があるが、自動券売機はない。ICカードを持っていない乗客は、車内で車掌から切符を買うことになる
1面1線の無人駅。吉野線は全線単線だ
偶然にも特急がやって来た。もちろん薬水駅は通過するが、カーブしているため速度はかなり落としている
この珍しい「薬水」の由来はなにか。
今から約1200年前、つまり平安時代初期に弘法大師(空海)がこの地にやって来て、大勢の村人が疫病で苦しんでいるのを見ると、
「きっと、村の水が悪いのだろう」
と考えた。
そこで綺麗な水を探していると、岩の間から清水が湧き出る井戸を見つけたのである。
弘法大師が村人たちにこの水を与えると、疫病はみるみるうちに収まり、村は救われたという。
以来、村人たちは大師堂を建て「薬の水が出る井戸」として崇め奉った。
しかし、いつの頃からか人々はこの「薬水」を乱用し、眼病などの疫病がまた流行りだしたため、祟りを恐れて誰も近づかなくなり、大師堂もいつの間にかなくなったということだ。
なお「薬水の井戸」は現在も残っており、それが地名および駅名の由来となっている。
薬水駅の次の駅、福神(ふくがみ)駅はガラっと変わって近代的な駅舎だ。
イギリスの田園地帯にあるような駅舎で、何よりも新しい。
駅の南側には広いロータリーがあり、バスやタクシー乗り場もある。
薬水駅とは隣り同士の駅なのに、なぜこうも違うのかと思ったが、かつては福神駅も薬水駅に負けず劣らずの田舎駅(変な表現だが)だったそうだ。
しかし近年、近鉄により「花吉野ガーデンヒルズ」という住宅地が開発され、それとともに駅舎も一新し、特急停車駅に昇格したという。
ホームも2面2線で行き違えが可能だ。
しかも、駅周辺はまだまだ開発途上なので、これから福神駅はもっと発展していくだろう。
英国風の新しい福神駅の南側駅舎
駅の南側には広いロータリーもある
駅の北側は南側よりかなり低い場所にあり、ロータリーはないが待避所になったバス停留所がある
2面2線のホーム。行き違えも可能で、単線路線には貴重な駅だ
こちらも駅名の由来を書いておかないと片手落ちだろう。
今から400年以上前の戦国時代末期、この地に住んでいた谷徳三郎という人が、七福神のうちの一つである毘沙門天を信仰していた。
そこでこの地の氏神である薬水八幡神社に、毘沙門天と弁財天を祀ったのである。
谷徳三郎は七福神すべてを祀ろうとしたが、それが叶わぬうちに亡くなってしまった。
しかし、村人たちは二体の神を「福の神」として大切にしてきたのである。
時代は下って1924年(大正13年)、吉野鉄道(現:近鉄吉野線)がこの地に駅を設置したが、地元の人たちが駅名をどうしようかと思案した時に、薬水八幡神社の二つの神から「福神」にしよう、と決定したのだ。
薬水駅の方が先に開業していたので、もし福神駅の開業が早かったらこちらが「薬水駅」になっていたかも知れない。
そして現在では、福神駅の切符は縁起が良いとして大人気。
近鉄大阪線にある大福駅とセットの入場券を発売しているほどである。
近鉄にとってもこの駅は福の神のようだ。
この縁起が良い薬水駅と福神駅、何度も言うように隣り合っているので、まとめて訪れるのは簡単だ。
幸運を呼び込みたい人は行ってみてはいかが?