イングランドで行われている第8回ラグビー・ワールドカップ(RWC)もいよいよ佳境に入って来た。
ベスト4が出揃い、オーストラリア(ワラビーズ)、南アフリカ(スプリングボクス)、ニュージーランド(オールブラックス)、アルゼンチン(ロス・プーマス)と、史上初めて南半球が独占している。
ラグビー界の南高北低は相変わらずだが、北半球で惜しかったのがスコットランドだ。
準々決勝で優勝2回を誇るワラビーズと対戦したスコットランドは、敗れたとはいえ34-35と大熱戦を演じたのである。
ところが、試合後に物議を醸した。
スコットランドは誤審のために勝利を逃した、というのである。
場所はロンドンのトゥイッケナム・スタジアム。
当然、スコットランドから大勢のサポーターが詰め掛けている。
後半38分、34-32でスコットランドが2点リード。
あと2分、スコットランドがしのぎ切れば大敵ワラビーズを倒すことが出来る。
ところが自陣でスコットランドのジョン・ハーディ(FL)がボールを前に落としてしまった。
さらにそのボールを、前にいたジョン・ウェルシュ(PR)が掴んでしまう。
このプレーに対し、主審のクレイグ・ジュベール(南アフリカ)はノックオン・オフサイドと判定、ワラビーズにペナルティ・キックを与えた。
そしてワラビーズのバーナード・フォーリー(SO)が確実にペナルティ・ゴール(PG)を決めて逆転、そのまま逃げ切ったのである。
ハーディがノックオンしたのは間違いないが、ウェルシュがボールを掴む前に、ワラビーズのニック・フィップス(SH)がボールに絡んでいって触れていたのである。
この場合、ウェルシュのオフサイドは解消され、オンサイドとなるのだ。
ただし、ノックオンは活きているので、ワラビーズ・ボールのスクラムが妥当となる。
会場のスクリーンにもフィップスがボールに触れたシーンが映し出され、スコットランドのサポーターからは大ブーイング。
しかしこのケースでは、トライには絡まずしかも不正なプレーではなかったので、テレビジョン・マッチ・オフィシャル(TMO=ビデオ判定)は行われず、当然のことながら判定は覆らない。
ところが、世界統括団体であるワールド・ラグビー(WR)の審査選定委員会は、試合の翌日に「誤審」を認めた。
もちろん、試合結果は変わらず、被害者(?)のスコットランド協会も「試合結果はそのままにされるべきだ」と見解を述べている。
似たようなことが今年の日本プロ野球(NPB)でもあった。
9月12日、阪神甲子園球場での阪神タイガース×広島東洋カープで延長12回表、広島の田中広輔が放った打球はフェンスを越えたかに見えたが、ビデオ判定の上でボールはフェンスに当たったと判断されて、田中は三塁打となった。
ところが後日、NPBが再度ビデオを確認したところ、オーバーフェンスしていたと発表、誤審を認めたのである。
ビデオ判定を導入してもなお、誤審が起きてしまったのだ。
なお、この試合は引き分けたが、もしホームランと判定していれば広島が勝っており、公式戦終了時の勝率から言って広島がクライマックス・シリーズに進出しているはずだったのである。
今回のRWCで日本代表が活躍したことによりラグビーの注目度が日本でも急激に上がったが、その中でよく聞かれたことが、
「ラグビーにはTMOがあって、正確な判定をしてくれるところがいい」
ということだった。
ところが、昔からのラグビー・ファンによると、
「TMOで試合がブツ切りになって面白くない」
という意見を多く聞く。
実際に、ことあるごとに判定はTMOに委ねられ、そのぐらいはレフェリーの判断で裁いてくれよ、と思えることがしばしばある。
これだけビデオに頼られると、TMOがなかった時代の試合は「みなし判定」ばかりだったのか、と思えないこともない。
NPBの審判員で、アメリカの審判学校を経験した人によると、
「日本では『正確な判定』を求められるが、アメリカでは『ゲーム・マネジメント」が審判に問われる」
という違いが日米にはあるらしい。
日本のファンは、とにかく正確に判定してくれ、と審判に要求し、誤審でもあると審判は犯罪者扱いだ。
ネット上でも、日本の野球ファンは審判をクズ扱いしている。
そこに、本人たちのルール無知があろうがお構いなしだ(実際に、日本の野球ファンのルール無知は酷い)。
一方のアメリカでは「誤審はあるもの」と考えられ、それよりも誤審が起きた時にどう対処するか、が求められる。
あるいは、乱闘など野球では予期せぬことが起きるが、その際のゲーム・マネジメントこそが重要だというのだ。
判定の正確さよりも、ゲームをスムーズに進行させる手腕が問われる。
しかし日本では、アメリカほど審判の立場が守られていないので、正確な判定で自分たちの身を守るしかない。
しかし最近では、アメリカでも「正確な判定」を重視する風潮になって来た。
それがメジャー・リーグ(MLB)で採用されたチャレンジ制度である。
制限付きとはいえビデオ判定が導入され、試合の流れを止めてでも正確な判定をする方が大切、ということだろう。
そして今回のRWCでも、この試合終了後にスタンドからはレフェリーに対して大ブーイングとヤジが乱れ飛んだ。
ビデオで見る限り、たしかにオフサイドは解消されているように見えるが、プレーヤーが入り乱れた状態でこれを人間の眼で判定するのは難しい。
ルール上、このケースではTMOにかけられないのだから、レフェリーの判断に委ねるしかないのだ。
本場のラグビー・ファンも、より正確な判定を求めて、ますますTMO強化を要望するのだろうか。
たとえ試合がブツ切れになって、面白くなくなっても……。
そしてWRまでが誤審を認めてしまった。
なお、誤審を認めた審査選定委員会とは、レフェリー経験者ではなく元選手で構成されているようだ。
かつて、NPBには「俺がルールブックだ!」と言った審判員がいた。
二出川延明である(※注)。
「自分はルールブック」と自負する二出川が球審を務めた試合で、ホームでのクロス・プレーをアウトと判定した。
しかし攻撃側が「ノータッチだ!」と猛抗議したが、二出川は毅然とした態度でこの抗議をはねつけたのである。
ところが、翌日の新聞には、明らかにノータッチの写真が掲載されていた。
リーグ会長は二出川を呼び出し、新聞を見せて「どういうことだ?」と問い詰めた。
だが、二出川は平然と言い放ったのである。
「会長、これは写真が間違っているんです」
今回、「誤審」をした主審のジュベールは、現在のラグビー界でも屈指の名レフェリーと評判の男だ。
そんなジュベールには、
「ビデオが間違っている!」
と言って欲しかった。
それは無理としても、WRは誤審を認めるべきではなかったと思う。
今回の件は反省材料として、今後のレフェリングに活かしていくしかないのだ。
これでジュベールのレフェリー人生が終わるようなことになれば、それこそラグビー界にとって大きな損失である。
今後の風潮は、完璧な判定と勝敗ばかりにこだわり、ますますレフェリーへのリスペクトがなくなってしまうのではないか。
スポーツが巨大ビジネス化し、大金が動くようになったので、仕方ない流れなのかも知れないが……。
しかしそれでも、
「選手とコーチ、そしてファンは相手の反則しか見ないが、レフェリーは全ての反則を見る(Number臨時増刊号より)」
という言葉こそが真理だろう。
ちなみに、ラグビー競技規則にも公認野球規則にも「誤審」という言葉は存在しない。
※注……俺がルールブックだ!
この言葉が生まれたのは、二出川が審判を務めていた試合ではない。
1959年のある試合で、西鉄ライオンズ(現:埼玉西武ライオンズ)の監督だった三原修がセーフの判定に対し「同時はアウトだろ!」と抗議。しかし球審は受け付けず、収まらない三原は審判控室に行って、この日は控え審判だった二出川に「俺の方が正しいだろ?」と言ったが、二出川は「いや、同時はセーフだ」と言い放った。
「ホントにそうなの?ルールブックを見せてよ」と三原は食い下がり、二出川は公認野球規則をバッグから取り出そうとしたが、たまたまこの日に限って持って来てなかった。そこで二出川は口頭でその部分の規則を伝えた。
それでも納得しない三原は、傍にいた若い審判に「キミはルールブックを持ってる?」と聞いて、その審判が公認野球規則を取り出そうとすると、二出川は「見せる必要はない!俺が言ってるんだから正しいんだ!それより早く試合を再開させなさい!」と三原に命じた。
この時、審判控室のドアが開けっぱなしだったので、会話が記者席まで筒抜けになっており、「俺がルールブックだ!」の文言が広まった。
もちろん、ルール解釈は二出川の方が正しかった。