プロレス黄金期と言われた1980年代。
大阪における新日本プロレスの常宿は日本人組が「ホテル南海(注:現在のスイスホテル南海とは違う)」、外人組は「ホテルプラザ」だった。
当時はまだ日本人×外人の対決が主流で、ホテルはもちろん移動バスも日本人組と外人組で分かれていたのである。
同じ大阪市内でもホテル南海とホテルプラザでは南北で相当離れており、敵対している日本人レスラーと外人レスラーが大阪の夜に鉢合わせて仲良く乾杯、なんてシチュエーションを作りださないための配慮だ、と当時のプロレス著書には書かれている。
ホテル南海は、大阪における常打ち会場である大阪府立体育会館の目の前にある。
当然、バスを使わなくて済むので移動には非常に便利だが、体の大きなレスラーにはいささか手狭なようにも思える。
僕は実際に泊まったことがないのでいい加減なことは言えないが、外観だけを見るとビジネスホテルに毛が生えたようにも見える。
失礼ながら、ここにあのアントニオ猪木が常宿していたというのは、ちょっと信じられないような気がする。
もし現在のWWEが大阪でプロレス興行を打つならば、ホテル南海のすぐ近くにあるスイスホテル南海にレスラーたちを泊めるだろう。
もっとも、80年代にスイスホテル南海は存在しなかったが。
ホテル南海は「ミナミ」と呼ばれる繁華街の難波にある。
外人レスラーの常宿であるホテルプラザがどこにあるのかは知らなかったが、「ホテル南海とは南北で相当離れている」という記述から、勝手に「キタ」の本拠地である梅田にあると思っていた。
難波と梅田なら、確かに南北で相当離れているが、地下鉄御堂筋線一本で繋がれているので、連絡を取り合えばキタかミナミで日本人レスラーと外人レスラーが呑みに行くなんて簡単ではないか、とも思っていたのだ。
ところがホテルプラザの所在地を調べてみると、梅田ではなく、さらにその北の十三にあった。
梅田からは阪急電車で2駅と近いことは近いが、地下鉄御堂筋線は通っていない。
外人レスラーが、難波をねぐらとしている日本人レスラーと呑みに行こうとすれば、乗り換えをしなければならないので結構煩わしい。
試合が終わってシャワーを浴びると、特に外人組は大阪府立体育会館がある難波からかなり離れているので、ホテルに戻るのは午後10時以降になる。
そこからキタはともかく、ミナミへ呑みに行くのはかなり慌ただしい。
それなら外人同士で十三の街を楽しもう、となっても不思議ではない。
梅田にはいくらでもホテルはあるのに、十三のホテルプラザを外人組の常宿に選んだのは、そんなところに理由があったのかも知れない。
難波と十三なら、日本人レスラーと外人レスラーが鉢合わせすることはまずない、というわけだ。
それにしても、十三という庶民的な歓楽街に、アンドレ・ザ・ジャイアントやスタン・ハンセン、ハルク・ホーガン、ダスティ・ローデス、ボブ・バックランドといった世界的なスーパースターが闊歩していたというのも、実に壮観な絵図ではないか。
しかも「十三」というのは、欧米人にとって最も不吉な数字である。
そんな不吉な場所で、世界に名だたる外人レスラーたちが呑み歩いていたのだ。
ちなみに「十三」とは「じゅうそう」と読む。
と思っていたら、十三にあるのは、正確には「(ホテル)プラザ・オーサカ」で、ホテル・プラザとは別物らしい。
ホテル・プラザは梅田の西の大淀にあったホテルで、今は取り壊された大阪タワーや朝日放送(現在は福島区に移転)のすぐ南にあったそうだが、現在はもうない。
梅田まで歩いて行けないこともないが、やや遠い場所である。
そうなると外人レスラーが十三まで呑みに行っていた可能性は低くなるが、もの好きな外人は十三まで足を延ばしていたかも知れない。