「思春期世代のカリスマ」と言うべきミュージシャンがいる。
1980年代、その代表的存在だったのが今は亡き尾崎豊だろう。
尾崎豊の歌は、世間から相手にされない、いわゆる「落ちこぼれ」たちのハートを掴み、一躍ブレイクした。
そのブレイクするきっかけとなった曲が、「15の夜」ではなかったか。
15歳と言えば、中学から高校に進学する時の、最も多感な年齢である。
周りから虐げられ、もがき苦しむ若者の姿を、見事に歌い上げている。
だが、それより前、「十三の夜」を歌った男がいた。
やはり今は亡き藤田まことである。
おっとこちらは、13歳というわけではなく、昨日の日記で紹介した大阪の十三(じゅうそう)について歌われた曲だ。
どちらの曲が共感を得るのかはわからない。
がしかし、多額の借金を背負った藤田まことでも阪急電車の運賃を踏み倒したとは思えないが、尾崎豊は「盗んだバイクで走り出す」と、自らの窃盗罪を自慢している。
「盗んだバイクで走り出す」のは、盗んだ本人にとっては痛快だろうが、盗まれた人のことを考えたことがあるのか。
「15の夜」の主人公たる人物は、「世間は誰も自分のことをわかってくれない」と嘆いているが、ではその人物は「他人のことをわかろうとした」ことがあるのか。
おそらくないだろう。
なぜなら、平気で「盗んだバイクで走り」出しているのだから。
ハッキリ言って「15の夜」の主人公は、バイクを盗まれた人のことなど、これっぽっちも考えていない。
多分バイクを盗まれた人は、通勤か通学でバイクを使う人だっただろう。
それが、たった一人のわがままな若者によって、その足を断たれたのだ。
しかも、被害者はその犯人に恨みを買っていたわけではなく、たまたまムシャクシャしていた若者による犯行に過ぎない。
要するに、バイクを盗まれた人には何の罪もないのだ。
「盗んだバイクで走り」出した男をヒーロー視する感覚は、ちょっと理解できない。