最近のマスコミ報道などでは、言葉の意味を捻じ曲げて喧伝することが多い。
大衆受けを狙ってセンセーショナルな言葉で煽り、世論を作り上げる。
一つの世論が出来上がると、他の意見は一切認めない、という風潮があるような気がする。
これは典型的なファシズム的思想で、現代社会はかなり危険な状態なのかも知れない。
かつて、ファシズムによって捏造された言葉があった。
それは、誰もが一度は聞いたことがある、
「健全な身体には、健全な精神が宿る」
という言葉である。
この言葉は一見すると、
「健康になると精神も鍛えられる。だから体を鍛えよう」
という大変いい言葉にも思えるのだが、冷静に考えると非常に怖い言葉でもある。
要するに、
「病弱な人や身体障害者の精神は健全ではない」
と言っているのと同じだからだ。
そんなバカな話もあるまい。
病弱の人や身障者でも素晴らしい精神の持ち主はいくらでもいるし、逆に体ばかり頑丈で犯罪を重ねているヤツは五万といる。
こんな言葉を考え出した人物の頭の中身を見てみたいものだ。
この言葉を最初に言ったのは古代ローマの思想家、ユウェナリスだ。
もっとも彼はそういう意味で言ったのではない。
当時、体だけが頑丈で、性根の腐った人が多かったことを嘆いて、
「健全な身体には、健全な精神が宿るべきである(orandum est, ut sit mens sana in corpore sano)」
と言ったわけだ。
つまり、体を鍛えれば健全な精神が宿る、などとは一言も言っていない。
むしろ、体だけを鍛えても、精神が伴っていなければ何の意味もない、ということである。
それがいつの間にか、
「健全な身体には、健全な精神が宿る」
と断定されてしまった。
このような誤用を招いたのは、ナチス・ドイツによる宣伝だと言われる。
「健全な身体には、健全な精神が宿る」
というキャンペーンを張って、国民に軍事教練を強いたわけだ。
もちろん、同盟国の日本にもこの考え方が伝わったのは想像に難くない。
こうして「健全な身体には、健全な精神が宿る」という考え方はファシズムの国に拡がったのである。
もちろん、この誤用は枢軸国だけでなく、あらゆる国の軍隊に利用されただろう。
「何も考えずに軍事教練に励め!そうすれば健全な精神が宿る」
という論理は、軍隊にとって好都合だ。
第二次世界大戦が終わり、さらに東西冷戦も終息した現代、さすがに世界的にはこの誤用はなくなりつつあるようだ。
身体障害者などに対する差別的な言葉だから、という理由もあるだろう。
ところが現在の日本の体育教師には、未だにこの言葉を好んで使っている輩がいる。
日本の体育会には、まだファシズム体質が残っているのだろうか。
困ったことだ。