以前、江本孟紀がこんなことを言っていたことがある。
「勝利打点があって敗戦野手がないのはおかしい。エラーにより決勝点を奪われた試合では明らかにエラーをした野手に責任があるのに、投手に敗戦が付いてしまう。これでは不公平だ」
勝利打点とは、日本プロ野球では1981年に制定されたタイトルで、要するに決勝打点を挙げた打者に付く。
江本は引退直後に「プロ野球を10倍楽しく見る方法」を執筆し、大ベストセラーとなったが、一連のシリーズでは「投手が野手に比べて不当に評価が低い」と再三訴えていた。
たしかに江本が現役の頃は投手が野手に比べて年俸は低く、勝利打点も「大して価値はない」とされ1988年を最後に消滅したが、だからと言って「敗戦野手を採用せよ」というのは少々乱暴な意見である。
逆に、リードした場面でマウンドに立ったリリーフ投手が打ち込まれて逆転され、自軍の攻撃で再逆転してくれて運よく勝利投手になるケースもあるが、「こんな試合では勝利投手を無くして、逆転打を放った選手を勝利打者と認定せよ」とまでは江本は言っていない。
このケースでは明らかにリリーフ投手が勝ちに値する働きはしていないのに、これでは片手落ちではないか。
投手としてのプライドを人一倍持っている江本が「敗戦野手制度の導入」を提案するのは、投手としてのプライドをないがしろにするものだろう。
チームの勝敗の責任を、特定のポジションに与えるのである。
それだけ投手というポジションが重要であるという証拠ではないか。
それに、引き分けではない限り、必ず「勝利投手」と「敗戦投手」が生まれる。
投手というのは、試合の責任を背負っているのだ。
ちなみに、勝利打点が付かない試合なんていくらでもあった。
そもそも、団体競技にも関わらず、選手個人に「勝利」と「敗戦」の記録を付けるスポーツなんて、野球ぐらいしかないのではないか。
しかも、特定のポジションに限られているのだから、いわゆる「ヒーロー」や「戦犯」とも違う。
さらに、野球では言うまでもなく得点を多く取った方が勝ちとなるが、投手がいくら頑張っても点は取れないのだ。
もちろん、投手が打席に立って打点を稼げば得点できるが、投手の打撃結果は「勝利投手」や「敗戦投手」とは何の関係もない。
だいたい、投手は打力に乏しいため得点に貢献することは少なく、DH制では打席に立つことすらほとんどないのだ。
投手というのは専守防衛にも関わらず、勝敗の責任を背負っているのである。
サッカーでいえば、ゴールキーパーに「勝利」と「敗戦」の記録を付けるようなものだ。
「ワールドカップ初戦、3対2で日本が勝ちました!勝利ゴールキーパーは川口です!!」
何とも奇妙な実況ではないか。
勝利投手、敗戦投手の選定には、失点や自責点の数は反映されない。
勝利投手の場合は、先発投手には5イニング以上投げるという制約があるが、基本的には「最終的にリードを奪ったとき、マウンドにいた投手」が勝利投手となる。
たとえば「両チームの先発投手が頑張って0対0で延長戦に突入、10回表にリリーフに立った投手が1点を奪われたが、その裏に2点取って逆転サヨナラ勝ち」なんてケースでは、明らかに先発投手が勝利貢献度は高いが、勝利投手となるのは1点を取られたリリーフ投手である。
防御率でいえば、先発投手は9イニング投げて0.00、リリーフ投手は1失点が自責点なら9.00である。
こんな不条理もあるまい。
しかし、これが野球というスポーツなのである。
アメリカには「味方が1点を取ったら0点に、3点を取ったら2点に抑えるのが好投手の条件」という格言がある。
要するに、投手というのはリードを保ってチームの勝利に貢献する、というのがアメリカでの考え方なのだ。
リリーフ投手に与えられるセーブやホールドも、リードを保つことに主眼が置かれている。
何点取られたか、ではなく、いかにリードを保ったか、が重要なのだ。
先発投手には勝敗だけではなく、防御率や奪三振、さらに最近ではセイバーメトリクスによる細かい指標があるが、やはり最も気になるのは、投手もファンも勝敗数だろう。
勝敗には偶然的要素も大いに絡むが、最多勝を争うのは1年間ローテーションを守ったエースと呼ばれる投手であり、力のある投手は勝利数が増える。
先発投手には、自分がチームの勝敗の責任を背負っているんだ、というプライドを持ってほしい。