人を見る目が必要だとよく言われる。
たしかに人を見る目が備わっている人がいる。
特に、他人の潜在能力を見極めることができれば、その人のみならず相手や周りの人にとっても大きな財産だ。
だが、人を見る目がそんなに大事な能力なのだろうか?
上記のような人はたしかに貴重だが、そんな人がそう多くいるわけではない。
普通の人は、他人の大まかな性格や能力がわかるくらいだろうし、それで充分だと思える。
むしろ大切なのは人を見る目ではなく、人を見誤らないことだろう。
人を見誤ることによってその人に迷惑をかけ、ひいては周りにも迷惑をかける。
結果的にそうなる場合もあってそれは仕方がないのだが、それだけに他人を判断するときは慎重になるべきだろう。
ところがいちばん厄介で、他人や周りに迷惑をかけるのが、
「自分は人を見る目がある」
と自分で思い込んでいる、人を見る目がない人物である。
このタイプの人間は、自分の勝手な論理を他人に押し付けて、
「お前はこういう人間だからこうしろ。俺が言うのだから間違いない。ツベコベ言わずに俺の言う通りにしろ」
と、間違えていることでも平気でのたまう。
「ツベコベ言わずに」というのは相手に考えさせないということであり、詐欺と全く同じ手口だ。
しかもこういう人物はヘンに自分の論理に自信を持っているから、他人の話を聞こうともせず、「反省」「謙虚」なんて言葉は自分の辞書にはない。
でも、自分が「神」と崇め奉る人物に対しては絶対服従で、間違っていようがなかろうが関係なく、無批判的で全面的に受け入れる。
たまたま成功した一の例を自慢げに何度も何度も他人にしつこく話す。
他人にとってはどうでもいい話なのだが、本人はそんなことはお構いなし。
そのくせ、他人に多大な迷惑をかけた十の失敗など記憶から抜け去っている。
いや、その十の失敗も自分のせいではなく、他人のせいだと思い込んでいる。
他人にイチャモンをつけるのが大好きで、そのくせ他人からの忠告を誰よりも嫌う。
「お前のために言ってるんだ!」
なんて言いながら、実は自分の力を誇示したいだけ。
本人はたしかに「お前のために言っている」つもりなのだが、他人に自分の論理を押し付けることを無意識に快感を憶えている。
この「無意識」というのが結構厄介で、本人は悪いことをしている感覚が一切ない。
悪いことをしている感覚がないどころか、本人はいいことをしていると思い込んでいるのだから、余計にタチが悪い。
独裁者と言われる人物はまさしくこのタイプであろう。
「ワンマン」と呼ばれる無能な経営者や上司、ロクでもない教師や親(体育会系にこういうタイプが目立つ)、占い師や祈祷師や超能力者や霊能力者などと名乗る人にこういう人間が多い。
あるいは、これらの人物を信奉する人も同じ類だ。
これらの人物は知らず知らずのうちに自分の能力を過信し、他人を見下す。
そして、他人の陰口が大好きなのも、こういう人の特徴だ。
また、本当の意味で「人を見る目」がないので、人物を評するときは常に比較論である。
他人を見下すのが大好きなので、人をけなすときはもちろん、褒めるときでも比較論を持ち出す。
こういう人物は、他人と比較されて褒めらることがさぞかし嬉しいだろう。
つまり、物事の本質を見極める能力が無いから、比較論に頼るしかないのだ。
本当に「人を見る目がある人」は比較論など用いなくても批評できる。
ましてや自分の論理を他人に押し付けたりはしない。
自信を持つことは大切なことだが、自称「人を見る目がある」人は、たまには自信を無くしてもらいたいものだ。