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安威川敏樹のネターランド王国

お前はチョーマイヨミか!?

ネターランド王国憲法

第1条 本国の国名を「ネターランド王国(英名:Kingdom of the Neterlands)」と言う。
第2条 本国の国王は「禁句゛(=きんぐ)、戒名:安威川敏樹」とする。
第3条 本国は国王が行政・立法・司法の三権を司る、絶対王制国家である。
第4条 本国の公用語は日本語とする。それ以外の言語は国王が理解できないため使用禁止。
第5条 本国唯一の立法機関は「日記」なる国会で、国王が一方的に発言する。
第6条 本国の国民は国会での「コメント」で発言することができる。
第7条 「コメント」で、国王に不利益な発言をすると言論弾圧を行うこともある。
第8条 「コメント」で誹謗・中傷などがあった場合は、国王の独断で強制国外退去に踏み切る場合がある。
第9条 本国の国歌は「ネタおろし」とする(歌詞はid:aigawa2007の「ユーザー名」に記載)。
第10条 本国と国交のある国は「貿易国」に登録される。
第11条 本国の文章や写真を国王に無断で転載してはならない。
第12条 その他、上記以外のややこしいことが起きれば、国王が独断で決めることができる。

マエケンメモ

広島東洋カープ・投手・前田健太


1988年4月11日生まれ、大阪府泉北郡忠岡町出身。


小学校3年生の時に「岸和田イーグレッツ」で野球を始める。
ちなみに岸和田市忠岡町の南隣りで、マエケンこと前田健太にとってPLの先輩である清原和博の出身地。
小学校4年生の時には水泳で西日本大会の背泳種目を制した。


中学時代には「忠岡ボーイズ」で硬式少年野球の世界大会に出場。
1年先輩には現・阪神タイガースの投手である鶴直人がいた。


中学卒業後は、先輩の鶴がいる近大附ではなく、PL学園に進学。
1年の夏に甲子園出場、背番号11で甲子園のマウンドに立った。


3年の春にはエースとしてセンバツに出場。
一回戦の真岡工戦では16奪三振で完投。
準々決勝の秋田商戦ではホームスチールまで決めた(この試合は僕も甲子園で見ていた)。
投打にわたる大活躍でPLを準決勝進出に導いて、名門復活をアピールした。


最後の夏もPLは優勝候補に挙げられていたが、大阪大会の準々決勝で東大阪大柏原に敗北(この試合も万博球場で見ていた)。
PLはマエケンを温存したが、控え投手が打ち込まれ、慌ててマエケンを登板させるも前半の大量失点は如何ともし難かった。
それでも、大量リードを奪われた中盤にマエケンが満塁ホームランを放って一気に追いすがり、PL得意の逆転劇か?と思わせたのはさすがだった。


この年は、大阪桐蔭中田翔が2年生の時で、PLが準決勝に進出していれば、センバツ4強エースのマエケンと、2年生四番打者の中田との対決が見られたのに、と残念だったことを思い出す。


最後の夏の甲子園には出場できなかったものの、投手のみならず打撃に走塁に非凡な身体能力を発揮したマエケンをプロのスカウトが放っておくわけもなく、同年のドラフトで広島が1位指名。
晴れてプロ入りとなった。


ちなみにこの年はいわゆる「ハンカチ世代」で、一番人気の斎藤祐樹は早稲田大進学、実力ナンバー1投手と言われた「マー君」こと田中将大東北楽天ゴールデンイーグルスにドラフト1位で入団した。
しかし「ミスター・ストップウォッチ」こと小関順二は、マー君よりマエケンの方が上、と絶賛していた。
プロ入り初年度、広島キャンプの日南・天福球場のブルペンで、マエケンが投球練習をしていたのを思い出す。


その後は順調に広島投手陣の柱に成長して、2010年にはセ・リーグの最多勝、最優秀防御率最多奪三振の投手三冠王に輝き、沢村賞も受賞して広島のみならずセ・リーグの押しも押されもせぬエースとなった。
昨年は10勝止まりと勝ち星には恵まれなかったものの、2年連続で最多奪三振のタイトルを獲って、日本を代表するエースとなった。


2012年4月6日、前田健太は横浜DeNAベイスターズを相手に、ノーヒットノーランを達成した。


そして201×年、阪神タイガースに移籍。