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安威川敏樹のネターランド王国

お前はチョーマイヨミか!?

ネターランド王国憲法

第1条 本国の国名を「ネターランド王国(英名:Kingdom of the Neterlands)」と言う。
第2条 本国の国王は「禁句゛(=きんぐ)、戒名:安威川敏樹」とする。
第3条 本国は国王が行政・立法・司法の三権を司る、絶対王制国家である。
第4条 本国の公用語は日本語とする。それ以外の言語は国王が理解できないため使用禁止。
第5条 本国唯一の立法機関は「日記」なる国会で、国王が一方的に発言する。
第6条 本国の国民は国会での「コメント」で発言することができる。
第7条 「コメント」で、国王に不利益な発言をすると言論弾圧を行うこともある。
第8条 「コメント」で誹謗・中傷などがあった場合は、国王の独断で強制国外退去に踏み切る場合がある。
第9条 本国の国歌は「ネタおろし」とする(歌詞はid:aigawa2007の「ユーザー名」に記載)。
第10条 本国と国交のある国は「貿易国」に登録される。
第11条 本国の文章や写真を国王に無断で転載してはならない。
第12条 その他、上記以外のややこしいことが起きれば、国王が独断で決めることができる。

天才の覚醒前夜〜桑田真澄の高校時代(1)

1983年7月某日。
僕は大阪球場のネット裏スタンドに座っていた。
陽光降り注ぐグラウンドでは高校野球大阪大会四回戦が行われていて、マウンドにはPL学園のユニフォームを身に纏った背番号17の小さな選手が立っていた。
背番号17の投手が先発投手?
僕は我が目を疑った。
練習試合や春季大会ではなく、甲子園に直結する試合である。
当時の大阪大会のベンチ入り人数は17名。
つまり、背番号17といえば、ギリギリで選ばれた、いわば最も頼りない選手である。
名将と謳われた中村順司監督は一体何を考えているのだろう。


この年のPLは投手だけで5人を数えていた。
この数字を見ると、いかにもPLらしい豊富な投手陣だと思われるが、実際はそうではない。
ハッキリ言って、頼りになる投手がいなかったのである。
そのため、この大会の下馬評では、PLは決して高くなかった。
打線は良かったので一応有力校の一つには挙げられていたが、例年のような絶対的な優勝候補ではなかった。
前年、前々年とセンバツ二連覇を果たしていたので、この年はエアポケットと言ってもよかった。
その打線も加藤正樹(元・近鉄)を中心にまとまってはいたが、長打力には欠けていた。
このあたりも例年のPLとは違うイメージである。


実はこの日よりも前、僕はある怪物のデビューを目の当たりにしていた。
大阪大会二回戦、PLにとって初戦の住之江公園球場、PLの四番に座っていたのは背番号14の大柄な選手であった。
その選手は二塁打を放って勝利に貢献したが、ファースト守備は下手だった。
翌日の新聞で、背番号14の四番打者は清原和博という名の一年生だということを知った。
だが僕はその事実を知って、今年のPLは期待できないなと思った。
天下のPLが一年生に四番を任せるようではおしまいだと考えたのである。
それに、PLの一年生四番なら、もっと騒がれてもいいはず。
ところが実際に大会前に注目されていたのは、北陽(現・関大北陽)の一年生四番、岡田二世(この岡田とは現・阪神監督の岡田彰布のこと)と言われた山本という選手だった。
つまり、清原は山本ほどの選手ではないのではと思っていた。
清原が四番に抜擢されたのは、打線の長打力を補うためという理由に他ならない。
しかしそのために、守備力を犠牲にしてもいいのかと感じた。
いくら守備力には多少目を瞑れるファーストでも、ちょっと逸れた送球が捕れないようでは話にならない。
ただでさえ投手力に不安があるのだから、守備で補う必要があったはずだ。


そして四回戦の先発マウンドに立っているのは背番号17の小柄な投手。
相手は府立校の吹田。
格でいえばPLが圧倒的に上だが、この年の吹田は打線が良く、前評判が高かった。
前年までは「私学七強」と呼ばれていた大阪高校球界も、この年に限っては公立私立関係なく、三十強時代と言われていて、吹田もその一つに数えられていた。
この日、番狂わせが見られるかも知れない。
学名門の背番号17の投手に襲いかかるのは、府立校の好調な打線。
強豪の名を欲しいままにしてきたPL学園は、ベスト8にも満たない四回戦で無名の公立校の前に姿を消すのか!?


ところがその期待は、背番号17が第一球を投じた途端、無残にも打ち砕かれた。
小柄な体から繰り出されるボールは、とてつもなく速かったのである。
なんなんだ、この投手は!?
大阪球場は一種異様な雰囲気に包まれた。
これが背番号17の投手か?
吹田打線は中盤まで手も足も出ず、唯一のヒット性の当たり、ピッチャー返しの痛烈な打球も背番号17はクルッと半回転し、見事な反射神経でこのピッチャーライナーを難なく捕った。
凄いのは投げるボールだけではない、相当な野球センスの持ち主であることは容易にわかる。
結局、背番号17は吹田打線を二安打完封、完璧な内容だった。
誰だ、今年のPLは投手力が弱いなどとホラを吹いたのは!?
背番号17のピッチャーがこんなに凄い投手なら、エースは超高校級のバケモノに違いない。
しかし、二回戦で見た背番号1の藤本耕(三年生)は、どう考えても今日見た背番号17ほどのピッチャーには見えなかった。
そしてこの試合で、背番号14の一年生四番打者、清原は夏の大阪大会初ホーマーを放っている。


翌日の新聞で、またもやこの背番号17の投手も一年生だということを知った。
名前は桑田真澄
桑田が初登板初完封。清原が初ホーマーと、KKデビュー揃い踏みの場に僕はいたのだ。


当時の僕はPL学園と同じ市内にある高校に通っていた。
そして学年も、桑田、清原と同じ一年生。


男子が大人になったと実感する瞬間として、「同い年の選手が甲子園で活躍しているのを見たとき」とよく言われる。
これは大人になった充実感というよりも、「同い年のヤツが全国中継で活躍しているのに、それに比べてオレは……」という劣等感の方が強い。
普通の人がこのことを実感するのは高校二年生のときだろう。
高校一年生で、甲子園で活躍する選手はそうはいないからだ。
バンビと言われた坂本圭一(東邦)、ダイスケブームを巻き起こした荒木大輔早稲田実)など、数えるほどしかいない。
ところが僕は、KKのために普通の人より一年早く、高校一年生でこの劣等感を味わうことになる。


それも、バンビやダイスケの同学年とは比較にならない、強烈過ぎる劣等感を。


(つづく)