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安威川敏樹のネターランド王国

お前はチョーマイヨミか!?

ネターランド王国憲法

第1条 本国の国名を「ネターランド王国(英名:Kingdom of the Neterlands)」と言う。
第2条 本国の国王は「禁句゛(=きんぐ)、戒名:安威川敏樹」とする。
第3条 本国は国王が行政・立法・司法の三権を司る、絶対王制国家である。
第4条 本国の公用語は日本語とする。それ以外の言語は国王が理解できないため使用禁止。
第5条 本国唯一の立法機関は「日記」なる国会で、国王が一方的に発言する。
第6条 本国の国民は国会での「コメント」で発言することができる。
第7条 「コメント」で、国王に不利益な発言をすると言論弾圧を行うこともある。
第8条 「コメント」で誹謗・中傷などがあった場合は、国王の独断で強制国外退去に踏み切る場合がある。
第9条 本国の国歌は「ネタおろし」とする(歌詞はid:aigawa2007の「ユーザー名」に記載)。
第10条 本国と国交のある国は「貿易国」に登録される。
第11条 本国の文章や写真を国王に無断で転載してはならない。
第12条 その他、上記以外のややこしいことが起きれば、国王が独断で決めることができる。

華麗なるステップで駆け抜けた人生⑥~7連覇と暗黒時代

前回からの続き。

ミラクル・トライとキャプテン交代

 1991年に行われた第2回ワールドカップから半年前に時計の針を戻す。

同年の1月8日、神戸製鋼(現:神戸製鋼コベルコ・スティーラーズ)は全国社会人大会決勝で三洋電機(現:パナソニック・ワイルドナイツ)と対戦していた。

2連覇を果たし、3連覇を狙う神鋼は、三洋の激しい当たりに大苦戦を強いられる。

FWで押しまくられ、防戦一方の神鋼

トライも2つ奪われ、逆に神鋼はノートライで、後半40分を過ぎても12-16でリードを奪われていた。

当時のトライは4点で、たとえ同点トライを奪っても、コンバージョン・ゴールが決まらなければ引き分けとなり、トライ数の差で日本選手権出場は譲らなければならない。

しかも、ロスタイムに入っても神鋼はまだ自陣、3連覇は絶望視されていた。

 

ところが、ここから奇跡が起きた。

自陣から積極的にボールを回し、何度も連続攻撃を仕掛け、ようやく強固な三洋ディフェンスに穴が開いた。

そこを見逃さなかった神鋼は、WTBのイアン・ウィリアムスにボールを渡す。

このシーズンから加入したオーストラリア代表(ワラビーズ)のウィリアムスは自陣から一気に走り切り、ゴールポスト中央に同点トライを奪った。

細川隆弘が正面からのコンバージョンを難なく決めて、神鋼は奇跡の逆転勝ちで3連覇を成し遂げたのである。

まだラグビー界で外国人助っ人が珍しかった時代、このミラクル・トライによってウィリアムスは一躍、時の人となった。

そして、日本選手権では明治大学を一蹴し、日本選手権3連覇も果たした。

 

だが、キャプテンの平尾は神鋼に危惧を抱いていた。

このシーズン、神鋼は三洋戦だけでなく、苦戦することが多かったのである。

自分の采配がマンネリ化しているのではないか、そう考えた平尾はキャプテンを退く決意をした。

 

平尾は、FWの大西一平(№8)に次期キャプテンを託す。

大西は「俺はそんな器ちゃうし、平尾さんでもまだまだいけるやん」と思って固辞した。

しかし平尾は言い放つ。

「お前しかおらんって言うてるやろ!お前しかおらんのにお前が断って勝てんようになったら、お前にも責任があるで」

その言葉で、ようやく大西も了承し、新キャプテンが誕生した。

 

大西は、副キャプテンにウィリアムスを指名する。

当時の日本ラグビー界で、外国人選手がそれほど重要なポジションを担うのは異例のことだった。

大西には、当時から引退するまで日本代表経験がない。

そんな自分が、年上でジャパン経験者ぞろいの神鋼を引っ張っていくのは不安だった。

しかも神鋼には監督はいない。

 

だが平尾は、そんな大西だからこそ期待した。

平尾はBKで大西はFW、プレー・スタイルも違えば、考え方も全く異なる。

自分とは違うカラーを大西は神鋼にブチ込んでくれるのではないか、と平尾は思ったのだ。

実際に大西は、平尾時代にはなかった「激しくぶち当たる」というプレーを積極的に取り入れた。

平尾がキャプテンに就任した時「ラグビーは格闘技じゃなくて球技」と言っていたのを、大西は再び格闘技的要素を復活させたのである。

やがて大西は、日本代表のスターであり大先輩で実質的FWリーダーの林敏之に対しても、遠慮なくズケズケ注文するようになった。

こうして大西・神鋼は、三洋のFWにも負けない強力なチーム作りを始めたのである。

 

バッシングを浴びる日本代表

一方の日本代表でも、平尾は引退を表明していた。

そして監督も、宿沢広朗から小藪修にバトンが渡されたのである。

小藪は、それまで宿沢が用いてきた「接近・展開・連続」の早稲田戦法を改め、強力FWを前提とする「タテ・タテ・ヨコ」の戦法を打ち出した。

FWで相手ディフェンスを崩し、その上でBK勝負に持ち込もうとしたのである。

しかし、この戦法ではなかなかテストマッチでは成果を上げられなかった。

 

当然、マスコミからバッシングを浴びる。

「FWを全面に押し出すなんて、体が小さい日本人向きの戦法ではない」

と。

しかし小藪は、

「FW戦で負けているままでは、いつまでたってもジャパンは世界では勝てない。ジャパンが世界の一流国にのし上がるためには、FWの強化が必要だ」

と主張した。

 

ジャパンには追い風もあった。

第2回大会はアジア太平洋地区予選で、韓国の他にもトンガや西サモア(現:サモア)と闘わなければならなかったが、第3回大会はアジア大会がワールドカップのアジア予選となったのである。

アジア枠は1チームになったが、事実上の敵は韓国と香港だけという、日本にとって与しやすい相手となった。

とはいえ、現在に比べて当時のこの3国はまだまだ力が拮抗していたが、それでも実力的に日本有利となったのである。

果たして、アジア大会決勝では韓国に対して「タテ・タテ・ヨコ」戦法が炸裂、日本が韓国に26-11で完勝して第3回ワールドカップ出場を決めた。

 

7連覇達成直後の阪神・淡路大震災

大西体制となった神鋼は、それまでの華麗なプレーに力強いラグビーも加わって、順調に連覇を重ねた。

また、社会人ラグビー全体のレベルと人気も上がったのである。

特に神鋼の人気は高く、大卒のスター選手がこぞって神鋼に入社した。

そして1994-95年度のシーズンではキャプテンが細川に交代、元木由記雄吉田明という日本代表のCTBが入社し、平尾は入社3年目以来という久しぶりのSOに返り咲いていた。

神鋼のキャプテンからも、そして日本代表からも退いていた平尾は4年間ノビノビとプレーしていたが、久々の司令塔となるSOでは水を得た魚のように動き回り、暴れまくったのである。

そして1995年1月15日、大東文化大学に102-14という圧勝で、新日鉄釜石(現:釜石シーウェイブス)と並ぶ日本選手権7連覇の偉業を成し遂げた。

しかし、その2日後にとんでもない悲劇が待ち受けていたのである。

 

1995年1月17日、兵庫県南部を直下型地震が襲ったのだ。

阪神・淡路大震災である。

練習場の灘浜グラウンドも大被害を受けたが、それどころではない。

神鋼の社宅は倒壊寸前、もう生きることが必死で7連覇の喜びなど吹き飛んでしまった。

余震は続き、冬ということもあって火災が続出、力自慢の神鋼ラガーメンもなす術がなかった。

ライフラインも断たれ、水も食料もない。

それでも神鋼フィフティーンは兵庫県民と力を合わせ、復旧に取り組んだ。

 

平尾、電撃のジャパン復帰

大震災から間もない2月、同年5月に南アフリカで行われるワールドカップに向けて、日本代表はトンガとテストマッチを行った。

ジャパンには神鋼の選手も含まれたが、あえなく2連敗。

アジアでは威力を発揮した「タテ・タテ・ヨコ」戦法も、FW自慢のトンガには全く通用せず、ワールドカップに暗雲が立ち込めた。

 

そして、ワールドカップ直前の東京・秩父宮ラグビー場、ヨーロッパの強豪であるルーマニアと最後のテストマッチを行った。

ここで日本代表は、SOに平尾を起用したのである。

代表を引退していた平尾が、4年ぶりに電撃的なジャパン復帰。

しかもジャパンは、34-21でルーマニアに完勝したのだ。

ワールドカップを目前にしてのこのニュースは、全世界を駆け巡った。

ジャパンに何が起こったのか?

震災から復興へ立ち上がりつつある神戸のように、ジャパンは甦りつつあるのか……。

 

ブルームフォンテーンの悲劇

「ヒラオはルーマニア戦で本当に出場したのか!?コーベでもフライハーフ(スタンドオフ=SOのこと)をやっているのか??」

ウェールズ代表のヘッドコーチであるアレックス・エバンスは、日本人記者を見つけてそう問い質した。

ウェールズにとってワールドカップでの日本は第1戦の相手。

それだけに、ジャパンのルーマニア戦勝利と、平尾の代表復帰は衝撃的だったのだ。

そうでなくても、エバンスHCは神鋼でコーチをした経験もあり、平尾の実力は熟知している。

日本のことをよく知っているエバンスHCだけでなく、第2回ワールドカップで日本に苦戦したアイルランドのジェリー・マーフィHCも「ジャパンは今や驚異的な相手となった」と語った。

第2戦で対戦するアイルランドにとって、日本は警戒すべき相手だったのである。

海外の記者も、

「ジャパンはヒラオがフライハーフに復帰してSHホリコシ堀越正巳)とのハーフ団は世界のトップ・クラスになり、WTBに快足のヨシダ(吉田義人)が控えているのでお家芸のオープン攻撃が復活、今大会の台風の目となるのではないか」

と予想した。

 

しかし、ルーマニア戦での勝利と平尾の復帰が逆効果になったのだろうか。

南アフリカブルームフォンテーンで行われた第1戦のウェールズ戦では、ジャパンは何もさせてもらえず10-57の惨敗。

その結果は「タテ・タテ・ヨコ」戦法の失敗を雄弁に物語っていた。

 

だが第2戦のアイルランド戦では、第2回ワールドカップのように、アイルランドのパワーとジャパンのスピードが激突する好ゲームとなった。

まだ第3戦は残していたが、平尾はこの試合がジャパンでの最後の試合と決め、SOで出場していた。

14-26とジャパンが12点ビハインドで迎えた後半19分、敵陣のラインアウトからサインプレーが決まり、ループで切れ込んできた平尾がゴールラインを割った。

なんとこれが、平尾にとってテストマッチ初トライ。

日本代表としてはリンク・プレーヤーに徹してきた平尾が、最後のテストマッチで初めてトライを挙げたのだ。

翌日、南アフリカの新聞は「今大会で最も美しいトライ」と一面トップで書き立てたのである。

コンバージョンも決まり試合は5点差、勝負はわからなくなった。

しかし、ここからアイルランドはなりふり構わぬパワー勝負に出てジャパンを圧倒、最終的には28-50でジャパンは敗れた。

結局、世界の一流国には力勝負では勝てないことを立証されたのである。

 

第3戦、日本は既に予選プール敗退が決まっていた。

終戦の相手、優勝候補のニュージーランドオールブラックス)も既に決勝トーナメント進出を決めており、要するに消化試合だった。

前の試合で代表引退を表明していた平尾は、当然のことながらスタンドでの観戦。

そしてオールブラックスもメンバー落としをしたのである。

そのため、日本は勝ち目こそないとはいえ、オールブラックスは手を抜くだろうし、そこそこの勝負ができるのではないか、と思われた。

 

しかし、現実は悲惨だった。

オールブラックスの二本目(控え選手)の連中は、この試合で認められて決勝トーナメントに出場できるように、目の色を変えてジャパンに挑んできたのである。

次から次への、オールブラックスによるトライの嵐。

たとえジャパンが敵陣深くまで攻め込んでも、ボールを獲られればあっという間にボールを回されて、トライに結び付けられてしまう。

後半にはジャパンもようやく2トライを返すものの、終わってみれば17-145の大惨敗。

もちろん、この得点も得失点差も、現在までワールドカップでのレコードである。

ジャパンはオールブラックスの二本目に、完膚なきまでに叩きのめされた。

高校野球でいえば、地方大会の一回戦で20点差の5回コールド負けをしたようなものだ。

それが、ワールドカップという世界最高の舞台で演じられたのである。

そのため、この試合は会場となった場所にちなんで「ブルームフォンテーンの悲劇」と呼ばれる。

この試合を境に、日本ラグビーの信用は失墜し、国内での人気も急落して、暗黒時代に突入した。

神鋼が7連覇しようが、その程度のレベルだったのか、と考えられたのである。

 

この大会では、決勝で地元の南アフリカスプリングボクス)とオールブラックスが激突、延長戦の末に15-12でスプリングボクスが初優勝を遂げた。

アパルトヘイト策により、過去の2大会はボイコットされ、第3回大会が地元開催で初参加となった南アフリカが、初の栄冠を勝ち取ったのである。

この大会が後に「インビクタス/負けざる者たち」という映画になり、黒人のネルソン・マンデラ大統領がスプリングボクスのキャプテンで白人のフランソワ・ピナールにエリス・カップ(ラグビーのワールドカップ)を授与したのは象徴的なシーンとなった。

 

この20年後、あの惨めだったジャパンが、オールブラックスを破ったスプリングボクスに勝つなど、誰も予想していなかっただろうが――。

 

(つづく)

敬遠の申告制

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週刊ベースボールベースボール・マガジン社)の読者投稿コーナー「ボールパーク共和国」で、こんなネタがあった。

●球辞苑
敬遠→逃げるは恥だが役に立つ

これを読んで、思わず「うまい!」と膝を叩いた。

 

さて、野球ファンならもうご存知だろうが、メジャー・リーグ機構(MLB)が敬遠の申告制を導入することをMLB選手会側に伝えたそうだ。

もし選手会側が了承すれば、今季(2017年)から導入するという。

仮にMLBで導入されたとすれば、日本プロ野球機構(NPB)でも来季以降に採用されるだろう。

 

敬遠について今さら説明するまでもないが、正しい野球用語で言えば故意四球のこと。

強打者を迎えた時、あるいはピンチで塁が空いている時(二、三塁で一塁走者がいない時など)によく用いられる作戦である。

故意に打者を出塁させるのだから、一見すると敗退行為にも思えるが、勝つために点を与えたくない場面では必要悪とも思える手段だ。

 

今回のルール変更の狙いは、時間短縮である。

どうせ出塁させるのはわかっているのだから、敬遠のために4球も投げさせるのは無駄なので、1球も投げずに四球扱いとすれば試合時間を省けるというわけだ。

MLBの試算で言うと、約1分の時間短縮になるという。

ソフトボールでも、既にこの制度は実施されている。

 

しかし、本当に時間短縮の効果があるのだろうか。

筆者は年間に150試合近くNPBのスコアブックを付けたことがあるが、そのスコアブックを読み返してみても、敬遠があったのは1試合に1回あるかないか。

むしろ、敬遠が無い試合の方が多く、多くても1試合で2回。

つまり、ほとんどの試合で時間短縮が期待できないばかりか、時間短縮ができた試合でも最大で2分間の短縮である。

 

ところで、故意四球というのはどういうものかご存じだろうか。

正式には、最後の1球で捕手が投球前に立ち上がって、四球となるボール球を投げると、立派な故意四球(敬遠)と記録される。

たとえば、カウント3-2からでも、最後の1球で捕手が立ち上がってボール球を受けとれば、それは故意四球となるのだ。

つまり、4球も続けてボール球を投げる必要はない。

よくあるパターンで、最初はクサい所を投げて打者に振らせようとするも見逃され、カウントが悪くなって結局は歩かせてしまう、なんてこともある。

カウント3-0になってから、球審に敬遠を申告しても、時間短縮には全くならないだろう。

 

ちなみに、敬遠と言えば1992年の夏の甲子園明徳義塾高校が行った星稜高校松井秀喜に対する5打席連続敬遠が有名だが、正式にはこの敬遠は5打席とも故意四球ではない。

なぜなら、この時の明徳義塾の捕手は1度も立っていないからだ。

四球となるボール球の時、投球前に捕手が立っていなければ、故意四球とは記録されない。

5打席連続敬遠どころか、1試合に5回も敬遠(故意四球にカウントされない敬遠も含む)がある試合なんてほとんどないが、あったとしても短縮できるのはたったの5分である。

 

先に、ソフトボールでは敬遠の申告制が導入されていると書いたが、これは競技の性格上、仕方がない部分もある。

下から投げるソフトボールでは、敬遠となるとコントロールが酷くつきにくいからだ。

もっと前に敬遠の申告制が導入されていたのがスローピッチ・ソフトボールというもので、投手は打者の目よりも高い山なりの投球をしなければならないルールのため、普通に投げる敬遠はとても無理と判断されたのである。

 

実は、野球でも昭和40年代の1969年に敬遠の申告制を実施したリーグがあった。

それがグローバル・リーグである。

文字通り、世界を股にかけた野球リーグで、日本からも東京ドラゴンズが参加した。

このグローバル・リーグは敬遠の申告制だけでなく、MLBのアメリカン・リーグに先駆けて指名打者制(DH制)を導入したり、現在のソフトボールで行われている指名選手制(DP制)、さらに指名代走制まで採用したが、たった1年で消滅してしまったのである。

 

それはともかく、敬遠の申告制で最も問題なのは、時間短縮にほとんど効果がないだけではなく、野球そのものを歪めてしまうことだ。

野球はソフトボールに比べると、敬遠はさして難しいことではない。

しかし、何が起こるのかわからないのが野球である。

よく言われるのが、小林繁阪神)の敬遠サヨナラ暴投や柏原純一(日本ハム)の敬遠ホームラン、そして柏原コーチの助言を受けた新庄剛志阪神)の敬遠サヨナラヒットなどだ。

敬遠球がこういうドラマを生み出してしまう、これもまた野球である。

敬遠の4球は無駄である、なんて思想は、野球の本質を全然わかっていない。

敬遠とはただ単に打者を一塁に歩かせる行為ではなく、場合によってはサヨナラヒットやホームランまで生み出してしまうのだ。

敬遠だって立派な真剣勝負である。

しかも、敬遠の申告制での時間短縮の効果は全くと言っていいほど無いのに。

つまり、百害あって一利なし、である。

 

そもそも、ソフトボールに比べると野球の敬遠は簡単だが、それでも投手は相当な緊張を強いられる。

普段、ブルペンで打者を打ち取る投球練習はしても、敬遠球を投げる練習なんてしていないからだ。

それこそ、打者が打てないような遠い所にボールを投げなければいけないし、だからと言って捕手が捕れないような所に投げてもダメである。

投手にとって、敬遠とは実にイヤなものだ。

 

筆者が敬遠で最も印象に残っているのが、読売ジャイアンツ(巨人)のエースだった江川卓阪神タイガースの四番打者・掛布雅之を敬遠した時だった。

「絶対に敬遠しない」が信条だった江川は、監督指令によりやむなく最大のライバルである掛布を敬遠したのである。

しかもこの試合で、江川は10試合連続完投無四球試合のセントラル・リーグ記録が掛かっていた。

この時の甲子園球場阪神ファンから「弱虫!」の大合唱。

しかし、江川は敬遠球にもかかわらず、怒りの全力投球。

このプロ魂に、阪神ファン(当然、アンチ江川)の筆者は震えたものだ。

当然、敬遠が申告制になると、こんなプロ魂も見られない。

www.youtube.com

 

 この時の江川は、屈辱だったに違いない。

敵応援団のヤジも浴びて、マウンド上で晒し者である。

だが、敬遠が申告制になると、投手はこんな屈辱も味わなくても済むのだ。

そうなると、強打者を迎えると安易に敬遠策を採るチームが出てくるかも知れない。

むしろ、投手の方が強打者との勝負を忌避する場面が多発する可能性が高くなるのだ。

 

野球の本質は、投手と打者との勝負にこそある。

もちろん、場合によっては勝つために敬遠策を採る場合もあるだろう。

そのことは否定しない。

だからと言って「敬遠は野球における作戦の一つだから、無駄な投球はせずに申告制にすればいいじゃん」なんてことがまかり通れば、野球の本質を見失うことになる。

 

野球とは、投手と打者との勝負が基本であり、そのルールの中で「敬遠」という戦術が考え出された。

このことを理解しなければ、今回の問題は解けない。

野球というスポーツは、どんな選手でも打順が回る、という平等的原則から多民族国家のアメリカで生まれたのだ。

しかし、平等に打順が回るために、強打者に対して四球で逃げる、という敬遠策が生み出されたのである。

まあ実際には、そんな単純なものではないのだが、わかりやすく説明するとそういうことであり、「平等に打順が回る」という野球の特性が、敬遠という作戦を生み出したことは間違いない。

 

たとえば、野球とよく似ていると言われるクリケットというスポーツを見てみよう。

イギリス生まれのクリケットは、投手が投げて打者が打ち返すという点では、野球と同じだ。

しかし、クリケットではアウトにならない限り、打者はいつまでも打ち続ける。

もし、投手が打者にとって打てない、バットが届かないようなボール(ワイド・ボールと言い、野球でいうボール球)を投げると、1球だけで1点を与えてしまう。

それどころか、その打者はそのまま打ち続けるのだ。

つまりクリケットでは、投手は強打者からは「敬遠」などという名目で逃げられないのである。

これはイギリスの貴族社会における「強打者はいつまでも打ち続けられる」「逃げるのは卑怯」という思想に基づいているのかも知れない。

 

そもそも、MLBは本気で時間短縮を考えているのだろうか。

今回のルール改正案では、敬遠の申告制以外でも、ストライク・ゾーンを狭める(低目に関して、従来の膝頭下部から膝頭上部に改める)というものだ。

ストライク・ゾーンを狭めることで、打者は待球作戦をやめて、積極的な打撃をするのが狙いだという。

 

ストライク・ゾーンを狭めて、時間短縮ができる?

そんな奇妙な論理は聞いたことがない。

ストライク・ゾーンを狭めたら、試合時間が長くなるのは当たり前である。

ボール球が多くなって、点の取り合いになるばかりか、四球が多くなるので打者はますます待球作戦に出るのは必定ではないか。

高校野球の名審判と謳われた故・西大立目永は、際どいコースの球を積極的にストライクとコールした。

そうすると、打者は「待球作戦は無駄だ」と悟って、積極的なバッティングをしたのだ。

結果、キビキビした試合運びになり、時間短縮に繋がったのである。

ストライク・ゾーンを狭めるなんて、時間短縮にとっては千害あって一利なし以外の何物でもない。

そもそもストライク(strike)という動詞は「打つ」の命令形、即ち「打て」だ。

つまり、ストライクとは打つべき球なのである。

それをわざわざ狭めるのは、待球作戦を奨励しているようなものではないか。

どうやらストライク・ゾーンを狭めるなんてことを考え出した方は、なぜストライクというルールが野球に生まれたのか、ご存知ないらしい。

 

本気で時間短縮を目指すのなら、やるべきことはいくらでもある。

たとえば、タイムの回数を制限することだ。

回は序盤、二死一、二塁程度のピンチで、ピッチング・コーチがノッシノッシとマウンドに行く姿ほど、野球ファンとして腹が立つことはない。

その程度のピンチで、いちいちタイムを取るな!と言いたい。

もちろん、点が競った終盤でタイムを取るのは仕方がないが、まだ試合も動いていない序盤戦なら、選手に任せればよかろう。

だから、守備のタイムでマウンドに選手が集まるのは、投手交代の時を除いて1試合3回まで(延長戦になれば1回1タイムでもいい)とする。

そうすれば、序盤戦に無駄なタイムを取ることも無くなるだろう。

終盤戦の、本当のピンチの時にタイムを取ればいい。

 

まだある。

投手には「走者がいない場合には、15秒以内に投球しなければならない」というルールがあるのだが、現実的には全く守られていない。

それどころか、公認野球規則では「15秒」ではなく「12秒」なのだ。

しかし、15秒ルールを厳格に適用しようとすると、投手からクレームがついて、結局はなし崩しである。

一時期、審判がストップウォッチを持って「20秒ルール」を適用しようとしたが、今ではそんな話すら聞かない。

つまり、現在では1球投げるのに20秒以上もかかっていることになる。

こんな状態で、時間短縮が図れるのだろうか。

まず、手を付けるのは敬遠の申告制などではなく、投球のテンポを早めることである。 

12秒が厳しいのなら、まずは15秒ルールを徹底させるしかない。

投手がブーたれるのを無視して、どんどんボークを取るのである。

最初は混乱するだろうが、それが当たり前になれば投手もやむなく15秒以内に投げるようになるだろう。

1試合に両チームの投手が300球投げるとすれば、5秒減らすとそれだけで25分もの試合時間短縮である。

実際には走者がいる場面も多いので、走者がいない場面が半分の150球だとしても、12分の短縮だ。

 

また、ルールで縛るのではなく、投手の意識も重要である。

投げるテンポを1秒でも早めるという意識があれば、1試合300球としてそれだけで5分の試合時間短縮となる。

これは、1試合に1回あるかないかの敬遠による1分短縮よりは、遥かに効果的だ。

投げるテンポが遅くなった理由はただ一つ、サインの交換が長くなったからである。

 

アマチュア野球で名捕手と謳われた選手が、プロに入ると野手に転向するケースは多い。

その理由は、打撃力を活かすためという場合もあるが、多くはサインが覚えられないからだ。

プロでは試合数が多いので、サインを盗まれないために、サインを複雑化するのである。

しかも、多数いる投手ごとにサインを変えなければならない。

そのため、アマ時代は強肩好リードで鳴らした捕手でさえも、プロではサインを覚えられずに野手転向を余儀なくされるケースが多々あるのだ。

なにしろ捕手は、バッテリー間のサインだけではなく、守備隊形のサインや、打撃面でのサインも覚える必要がある。

プロの捕手になるには、リード面も含めて東大卒の頭脳が必要、とさえ言われる所以だ。

しかしある意味、せっかく名捕手になれる人材を、複雑なサインのために葬り去っているという部分もある。

 

だが、バッテリー間に複雑なサインが必要なのだろうか。

もちろん、サインを盗まれないのは重要だが、サインを交わす最大の理由は投手との意思疎通である。

捕手が投手にどんな球を投げさせたいか、あるいは投手がどんな球を投げたいのか、そのためのサイン交換だ。

ダラダラと複雑なサイン交換をする必要が、どこにあるのだろう。

 

むしろ、サッとサインを出して、投手がサッサと投げる方が、どれだけ有効かわからない。

そうすれば、打者だって考える時間が無くなる。

現在では、(一応は)スパイ行為が禁止されているので、むしろ単純なサイン交換をした方がいい。

そのかわり、スパイ行為に関しては厳罰を処する。

そうすれば、試合時間短縮に有効と言えるだろう。

 

かつて、V9時代の巨人が日本シリーズで阪急ブレーブス(現:オリックス・バファローズ)と対戦し、阪急はダリル・スペンサーがメジャー・リーグから持ち込んだ「サイン盗み」を活用しようとしたが、巨人バッテリーのサインが全く盗めない。

それもそのはずで、巨人バッテリーは捕手の森昌彦(現:森祇晶)の指ではなく、足の位置でサインを出していたのだ。

そのため、阪急がサインを盗もうとした時には、既にサインは出た後だったのである。

そして、阪急は巨人に敗退した。

サインを複雑化するよりも、サッサとサインを出した方が盗まれにくいという好例である。 

 

そもそも、なぜバッテリー間のサインがダラダラと行われるようになったのだろうか。

それはサイン盗みもあるが、ヘンにリード面ばかりを強調されてしまった部分もあると思う。

投手が打たれると「なんであんな球を投げさせたんだ!」と捕手がコーチや監督から怒鳴られる。

そのため、捕手は慎重に、無難なリードをするようになる。

そして、1球1球を吟味し、打者の顔色をいちいち窺って、タップリ時間をかけたうえでようやくサインを出すのだ。

しかし、慎重に慎重を重ねたうえで出したサインでも、見事に打ち返されることも珍しくはない。

では、あの慎重なサイン交換は何の意味があったのか、と誰もが思うだろう。

 

サインを出すのに、慎重になるのは決して悪いことではない、というより、むしろ良いことだが、だからと言ってダラダラ時間を費やすのは、まさしく「下手な考え休むに似たり」である。

しかし現在の野球界で、この「下手な考え」が奨励されているのは、実に困ったことだ。

いくら考えてリードしても、打たれる時は打たれるし、逆にいい加減なリードをしても打ち取れる場合もある、それが野球である。

 

名捕手と謳われた野村克也は、野球は時間制限がないので、徹底的に考えてからサインを出すべき、と説いた。

しかし、この考え方がダラダラ野球を生んだとも言えよう。

野球は時間制限がないからこそ、キビキビとプレーすべきである。

 

野村は、あらゆる場面、あらゆるカウントを想定してサインを出すべきだと言った。

それは間違いではない。

だがそれは、瞬時の判断でサインを出すべきである。

簡単に言えば、カウント1―1になってからサインを考えるのではなく、カウント1―1になった場合を想定して、あらかじめリードを考えておくことだ。

もちろん、カウント0-1から0-2になる場合もあるし、その場合でも見逃しのストライクか、空振りのストライクか、あるいはファウルによってのストライクになればリードも変わってくるだろう。

それらを、あらかじめ想定していなければならない。

捕手は、そういう訓練を実戦の中でしておくべきである。

 

野村は、野球を将棋のように考えているフシがある。

たしかに、将棋では一手に何時間もかけることがあるが、これは将棋が偶然性のない勝負だからだ。

したがって、何時間も考えることによってあらゆる場面を想定し、いい手が浮かぶ場合もある。

だが野球は、捕手がいくらいいリードをしても、打者の力が投手を上回れば打たれてしまうスポーツだ。

もちろん、捕手が要求した所に、投手が投げられるとは限らない。

捕手がいいリードをしても、打たれてしまうことがあるのが野球だ。

これこそ「下手な考え休むに似たり」である。

 

野球は野村が考えるように、知的ゲームの要素があるが、それは将棋型ではなく麻雀型だ。

麻雀も知的ゲームに違いないが、将棋と違うのは運が作用することである。

したがって、いくら最善手を打っても失敗することは多々あるのだ。

でもそれは、仕方のないことである。

そのため、麻雀では長考するのはマナー違反とされる。

大抵は牌をツモってきてから数秒で牌を捨てるし、終盤の重要な場面では長考することもあるが、それでもせいぜい10秒程度。

なぜなら、長考すると相手に迷惑をかけるからである。

長考したからといって特にペナルティはないが、それが麻雀をやるうえでの基本的な考え方なのだ。

野球だって、制限時間がないからといってダラダラとプレーするのは対戦相手にも、そして何よりもファンに対して失礼である。

こういうマナーは、ルールで縛るのではなく、野球に携わる人たちが肝に銘じて率先するべきだ。

それが、スポーツの基本的な考え方である。

それを理解できない者は、スポーツをする資格がない。

 

捕手のリードでいえば、結果的に間違えてもいいから、あらゆる場面を想定してすぐにサインを出す訓練をしていなければならない。

間違えれば、それを糧とすればいいのだ。

間違えなければ、捕手として育つことはない。

しかし現在では、失敗することを許されず、捕手も失敗することを恐れて、ダラダラと時間をかけて無難なリードをしているような気がする。

 

福岡ダイエー・ホークス(現:福岡ソフトバンク・ホークス)のエースだった工藤公康は、王貞治監督から「(当時は若手捕手だった)城島健司を育ててやってくれ」と頼まれ、工藤は城島のサインに決して首を横に振らなかったという。

結果、打たれてしまい、王監督から「打たれるとわかっていて、なんで首を横に振らなかったんだ!」と叱責されたが、工藤は「だって、城島を育ててくれと言ったのは監督じゃないですか」と反論した。

工藤だって、打たれたら自分の年俸が下がるのだから、打たれるのは嫌だったはずなのに、城島を育てることを優先したのだ。

世界の王に対して堂々と意見を述べた工藤も立派だが、王監督も工藤の訴えを了承し、城島は多くの失敗を経験して球界を代表する捕手に成長したのである。

 

野球界は今、間違った方向に進んでいると思う。

たとえばコリジョン・ルールである。

危険を防止するのはいいことだが、結果としては本塁の走路上に捕手の片足があったの無かったの、どうでもいいことばかりが抗議の対象になっている。

そして、挙句の果てがビデオ判定となって、試合時間はますます延びることとなった。

走者が危険な走塁をしたらアウト、捕手が危険なブロックをしたらセーフ、と審判が自信を持って判定すればいい。

ルールブックに載っていないことは、審判が常識に則って判定する、これが野球の、そしてスポーツの大原則である。

それを、どこからどこまでがルールの範囲内で、反則となる基準はどこなのか、などとどうでもいいことばかりが議論される。

野球の根本的な行為に反したプレー、スポーツマンシップに反したプレーが反則、それだけでいい。

それを判定するのが審判であり、そのために審判が存在するのである。

ところが、この根本原理がわかっていない選手や首脳陣、そしてリーグに携わる人々やファンがあまりにも多いから、どんどん間違った方向に進んでいるとしか思えない。

 

そして、MLBではタイブレーク制の導入も検討しているという。

MLBで考えられているタイブレーク制とは、延長戦になった場合には無死二塁から攻撃を始めるというもの。

場面は少々違うが、タイブレーク制は以前からソフトボールや少年野球でも採用されていた。

シニアレベルの野球では、日本の社会人野球が初めてタイブレーク制を採用した。

現在では、ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)などの国際大会でも採用されている。

社会人野球でタイブレーク制を採用したのは、延長戦で長引くと応援団が帰りづらくなるから、という理由だ。

たったそれだけの理由で、一気にタイブレーク制が世界に広まったわけだ。

タイブレーク制は試合時間短縮に繋がる」という美辞麗句の下で。

 

しかし野球は、サッカーのような時間制のスポーツではない。

しかもサッカーは、点が入りにくいというスポーツなのでペナルティ・キック(PK)戦が行われるのも仕方がないが(それでも筆者は、たった5人の個人技で決まってしまうPK戦よりも、直接フリー・キック(FK)戦の方がいいのではないか、と思っているが)、野球は1イニングずつ区切られているという、非常に延長戦がやりやすいスポーツである。

それに、野球はサッカーよりも遥かに点が入りやすい。

それをわざわざ、タイブレーク制にする意味など、どこにあるのか。

ジュニアレベル(中学生以下)ならともかく、シニアレベル(高校生以上)ではタイブレーク制などやるべきではない。

 

そもそも野球は、記録のスポーツでもある。

投手記録でいえば、タイブレーク制で無死二塁からヒットを打たれたら大抵は1点入るが、普通の試合を想定すると無走者なので点が入っていないことになる。

となると、投手には失点や自責点が付かないことになるが、実際には点が入ってしまっているのだ。

このあたり、防御率にも影響してくる。

野球を数値化したのはヘンリー・チャドウィック(ちなみにイングランド出身)だが、タイブレーク制はチャドウィックに対する冒涜だ。

ゲームを個人記録として細かく数値化するなんて(投手記録、打者記録、守備記録、走塁記録、捕手記録など)野球以外の団体スポーツではほとんど見られないが、その特性を壊すとはどういう了見だろう。

 

ましてや、WBCにおける球数制限なんて、何をかいわんや。

これも、MLBの代理人がゴリ押しした制度である。

たかがWBCごときに、大事な商品であるピッチャーを潰されてたまるか、というのがその論理だ。

そのため、有力メジャー・リーガーがWBCに不参加だったり、他国のメジャー・リーガーを出場させない(アメリカを優勝させるため?)のである。

そして、そのWBCも今回(2017年)が最後では?という噂も出て来た。

理由は、資金難である。

そもそもWBCは、MLBの国内での商売が行き詰ったから始めた大会だ。

これからは、アメリカやカナダだけではなく、世界に目を向けよう、と。

たしかに日本や韓国などのアジア、そして中米の国でWBCは注目されたが、肝心のアメリカ国内では無視されたままだった。

結局は商売にならないから、今回で打ち切ろう、というわけである(まだ決定したわけではない)。

要するに、野球を世界に広める、という大義名分を持ちながら、結局は商売のことしか頭になかったわけだ。

 

WBCにおけるもう一つの開催理由は、世界各国の選手発掘である。

アメリカ国内での有望選手は行き詰っているので、世界中から有望選手を集めよう、というわけだ。

いわば、WBCはメジャー・リーガーのオーディション大会である。

しかし、日本からは多数のメジャー・リーガーが誕生し、それ以外の国からも続々とアメリカにやってきた。

そうなれば、もうオーディションをやる必要は無くなる。

MLBにとって、WBCはその程度の大会だったのだ。

だからこそ、タイブレークだの球数制限だの、野球とはかけ離れたルールを設定する。

 

そしてとうとう、MLB本体でも敬遠の申告制などというバカげたルールを採用しようとしている。

アメリカ野球信望者たちは、MLBの決定を盲目的に支持するが、今回の「敬遠の申告制」は紛れもなく、ベースボールというスポーツに対する冒涜だ。

ベースボールの本質がわかっていない、と言っていい。

最近のアメリカでは、少年野球でもミスをしたチームメイトを罵ったり、相手チームに暴言を吐いて乱闘騒ぎになったり、親がしゃしゃり出て審判に文句をつけ、場合によっては金で圧力をかけたりするという。

「日本の少年野球は過剰すぎるが、アメリカの少年野球は素晴らしい」などと言う人もいるが、実際には今やアメリカの少年野球の方が末期的だ。

 

そのうち、ホームランでのベース一周でさえ、時間の無駄として禁止されるかも知れない。

ちなみにクリケットでは、バウンダリーを直接超える6ラン(野球でのホームランに相当)や、ゴロで超える4ラン(同エンタイトル・ツーベースに相当)の場合は、走る必要がなく得点だけが記録される。

野球だって、時間短縮のためにホームランでのベース一周が無くなる可能性があるのだ。

掛布はホームランの魅力について「時間が止まるでしょ。それが最高」と語っている。

ホームランを打った打者がベース一周する時間は、まさしくホームランを打った打者の特権だ。

ベースを一周している時間だけは、ホームランを打った打者のためにゲームが止まっている。

しかし、時間短縮のために、こんなシーンも無くなるかも知れない。

クリケットの6ランと野球のホームランでは、価値が全然違う。

クリケットは打撃優先で100点ゲームになることがほとんどであり、6ランを打ってもチームメイトと軽く拳を合わせるぐらいだが(そのかわり、守備側がアウトを取ると、まるで優勝したかのようにチームメイトと抱き合う)、野球でのホームランはそう簡単に起こらず、それが逆転ホームランとなると大騒ぎだ。

でも、ホームランでのベース一周が禁止されると、シラケたムードになるだろう。

 

また、7回裏の攻撃前に行われる「セブンズ・イニング・ストレッチ」も禁止されることも考えられる。

「野球場に連れてって」という名曲も、アメリカのボールパークから消えるかも知れないのだ。

ただ、国威発揚のための曲は続けるだろうが。

 

ベースボールの母国であるアメリカは、間違えた方向に進んでいると言わざるを得ない。

「敬遠の申告制」などという、何の意味もない制度を採用しようとしているところを見ても、野球というスポーツの本質がわかっていない、ということがわかる。

「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」に見る、日本の問題点

テレビ東京系「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」という番組がある。

メイン・パーソナリティが太川陽介蛭子能収、そしてマドンナと呼ばれる女性ゲストを加えた3人で路線バスを乗り継いで行くという、一種の旅番組だ。

「土曜日スペシャル」という枠の番組で、毎週放送しているわけではなく、年に数回しかない。

 

筆者が近年で、最も好きなテレビ番組である。

土曜日の新聞テレビ欄で、この番組名を見つけるとワクワクしたものだ。

そして毎回、まずハズレがない。

 

番組の趣旨は、スタッフが示したスタート地点からゴール地点まで、3人が3泊4日で路線バスを乗り継いで行くというものだ。

しかし、そこには基本的なルールがあって、それは以下の通り。

 

●路線バス以外の交通手段、高速バス、鉄道、タクシー、飛行機、船、自転車、ヒッチハイク等は禁止。コミュニティ・バスや送迎バスはOK

スマホなどインターネットでバス路線を調べるのは禁止。紙の地図や時刻表で調べたり、案内所および運転手や一般の人に尋ねるのはOK

●宿泊施設の確保や撮影交渉は、出演者が自ら行わなければならない

 

かなりガチな旅で、路線バスが繋がらない場合は、出演者は歩いての移動を強いられる。

当然、ゴールまで辿り着けずに番組終了となることも多々ある。

また、時間との勝負となるので、せっかくの名所を通り過ぎることも珍しくはない。

ゴールに辿り着けないわ、名所に立ち寄らないわでは、旅番組としては失格だ。

 

ところが、このガチさが視聴者にはウケた。

今やテレ東にとってドル箱番組である。

他局でも類似の路線バス番組があるが、面白さではテレ東のこの番組が圧倒していると言っても過言ではない。

もちろん、成功するかしないかのスリリングな場面もあるが、場合によっては乗り継ぎが予想以上に上手くいって、制限時間よりも遥かに早くゴールしてしまうこともある。

それでも、この番組は面白い。

 

面白いのは、旅のガチさだけではなく、出演者のやり取りにもあるだろう。

常に地図とニラメッコして懸命にルートを探すリーダーの太川陽介と、いつもマイペースの蛭子能収との対比、そしてバス旅の過酷さを知らないマドンナの天然ボケがいい具合に作用している。

さらに、キートン山田の絶妙なナレーションも聴き逃せない。

蛭子能収のあまりの我がままぶりに、太川陽介がマジギレずる場面も何度かあった。

他局のクイズ番組に出演した太川陽介が、司会者から「優勝したら(褒美の)海外旅行は蛭子さんと行きますか?」と訊かれたら「絶対にイヤですよ!」と答えていたぐらいである。

蛭子能収は魚が嫌いで、その土地でしか味わえないせっかくの名物海産料理には目もくれず、トンカツとかオムライスとか(お子ちゃま味覚)、その辺の食堂でも食える物ばかりを注文するなど、これも旅番組では有り得ない。

でも、それもひっくるめて、この番組の魅力だったのだ。

太川陽介蛭子能収のコンビは、まさしく奇跡のコラボである。

 

そして最大のヒットは、路線バスに目を付けたということだ。

鉄道番組ならば、世に鉄ちゃん・鉄子は多いので、鉄道を乗り継ぐ人は珍しくない。

しかし、路線バスを乗り継ぐ人はあまりいないだろう。

普通、路線バスというのは、鉄道駅に行くまで、あるいは鉄道駅から帰るまでの交通機関に過ぎない。

路線バスとは、あくまでも補助的な交通手段だ。

鉄道ならば地図に載っているが、バス路線を地図で探すのは難しい。

しかも、路線バスでは乗り換えができないことが多々ある。

 

路線バスでは、名所に行かないことも多い。

名所ならば、大抵は鉄道で行けるからだ。

むしろ路線バスは、生活のために機能していることが多いのである。

前述したように、この番組では名所を通り過ぎてしまうことも多いが、それ以上に生活感を滲み出す人との触れ合いの方がずっと魅力的だ。

田舎風景はどこでも同じように見えるが、雰囲気はその地域によって絶対に違う。

名所を見て回るよりも、その方が日本の原風景を実感できる。

それが、バスの車窓から伝わってくるのである。

話は変わるが、最近の外国人観光客は、ガイドブックに載っているような名所よりも、日本人が普通に暮らしている街に行きたい人が多いそうだ。

観光地化されている場所よりも、本当の日本を知りたい、というわけである。

 

田舎に行くと、バスが繋がらない。

特に県境近くになると山がそびえているうえ、県によってバス会社が変わってしまうので、県を跨ぐ路線バスは稀なのである。

バスが繋がらなければ、出演者たちは何kmもの道のりを次の県のバス停まで歩かなければならない。

しかも、そのほとんどが峠越えだ。

ここに、この番組の過酷さがある。

 

案内所に行くと、バス路線について詳しく教えてくれたり、他社のバス路線まで電話で尋ねたりしてくれるが、案内所があるのは大きな鉄道駅か、バス・ターミナルぐらい。

田舎に行くと、地元の人に尋ねるしかない。

地元の人は、あやふやな情報ながらも親切に教えてくれる。

その人情に触れるのも、この番組の魅力だ。

 

さらに、田舎の路線バスは1日に数本しか走っていないことも珍しくはない。

乗り継ぎ時間が上手くいかなければ、店もない場所で何時間も待ちぼうけなんてこともある。

そういうこともあるから、1本のバスを逃してしまうと命取りになるのだ。

時間に余裕があれば名所に行くこともあるが、そうでなければバスの時間を優先する理由がわかるだろう。

逆に都会では、バスの本数こそ多いものの、鉄道網が発達しているので長距離バスはなかなかなくて、細切れの移動となってしまう。

 

この番組が始まったのは2007年。

つまり、今年(2017年)で10年目を迎えたわけだ。

そして、この番組を通して日本の問題点が浮かび上がってくる。

 

田舎に行って、土地の人にバス路線を尋ねると、

「あそこまで行けばバスが通ってるよ」

と教えてくれる。

ところが、そこまで行くとバス路線は既に廃止となっているのだ。

そういうケースが多くなってきた。

 

太川陽介は、バス路線に困った時のコツとして、

「病院を探せばいい」

と語っている。

病院には大抵コミュニティ・バスが通っているので、そこからバス路線が繋がる可能性が高い、というわけだ。

 

10年前に比べて廃止路線が多くなった現実と、病院がコミュニティの場になった現実。

これは、日本の過疎化および高齢化以外の何物でもない。

もはや日本は、田舎では暮らしていくことは困難になり、唯一の公共機関は病院となってしまっているのだ。

路線バスに代わって登場したコミュニティ・バスも、マイクロバスというよりは単なるワゴン車になっていることも珍しくはない。

それでも、ワゴン車があるだけでもマシだ。

日常の食料品だって、田舎からは商店が無くなり、大手スーパーがある市街地に行かなければ買い物すらできない。

元々は鉄道路線が無い田舎、路線バスも無くなって、マイカーがある人なら何とかなるが、そうでない人はどうする?

しかも現代では、高齢者のドライバーによる事故が多発しているので、高齢者に車の運転をさせるな!なんて運動も起こっている。

過疎化・高齢化した田舎は、路線バスが廃止になり、車の運転すらままならず、ますます暮らしにくくなっているのだ。

生き延びたければ、便利だが物価の高い都会に出て来い、ということなのだろうか。

こうして一極集中化が加速するという、負のスパイラルだ。

それが、この番組を通してよく見えてくるのである。

 

2017年1月2日の放送をもって、太川陽介蛭子能収は卒業した。

この二人の迷コンビが見られなくなるのは残念だが、次のパーソナリティは路線バスでどんなドラマを魅せてくれるのだろうか。

 

第21弾のバス・ターミナルとなった、南海高野線堺東駅

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