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安威川敏樹のネターランド王国

お前はチョーマイヨミか!?

ネターランド王国憲法

第1条 本国の国名を「ネターランド王国(英名:Kingdom of the Neterlands)」と言う。
第2条 本国の国王は「禁句゛(=きんぐ)、戒名:安威川敏樹」とする。
第3条 本国は国王が行政・立法・司法の三権を司る、絶対王制国家である。
第4条 本国の公用語は日本語とする。それ以外の言語は国王が理解できないため使用禁止。
第5条 本国唯一の立法機関は「日記」なる国会で、国王が一方的に発言する。
第6条 本国の国民は国会での「コメント」で発言することができる。
第7条 「コメント」で、国王に不利益な発言をすると言論弾圧を行うこともある。
第8条 「コメント」で誹謗・中傷などがあった場合は、国王の独断で強制国外退去に踏み切る場合がある。
第9条 本国の国歌は「ネタおろし」とする(歌詞はid:aigawa2007の「ユーザー名」に記載)。
第10条 本国と国交のある国は「貿易国」に登録される。
第11条 本国の文章や写真を国王に無断で転載してはならない。
第12条 その他、上記以外のややこしいことが起きれば、国王が独断で決めることができる。

南海天王寺支線の想い出

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南海電気鉄道と言えば関西五大大手私鉄の一つだ。

南海電鉄は大阪ミナミの繁華街の中心地である難波駅を起点とし、そこから南下して海沿いを走り和歌山市まで行く南海線と、大阪南東部の住宅街を通って和歌山県高野山へ通じる高野線という、二大路線がある。

元々は南海線高野線は別会社で、合併されて現在の南海電鉄になったわけだが、高野線の正式の起点は難波駅ではなく汐見橋駅だった。

しかし、合併により高野線も、より便利な難波駅に乗り入れることになり、難波駅高野線にとって事実上の起点となった。

よって、汐見橋駅から高野山方面への直通列車はなくなり、汐見橋駅と岸ノ里駅(現:岸里玉出駅)間の短い区間だけを往復するだけの路線となって、高野線とは隔離されて汐見橋線と呼ばれるようになる。

 

南海線高野線の起点となった難波駅。駅の規模は阪急・梅田駅に次ぐ日本第2位

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南海高野線の正式な起点である汐見橋駅。とても大阪市内のターミナル駅とは思えない

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南海電鉄難波駅にターミナル機能を集中させたのだが、実は難波駅汐見橋駅以外にも、ターミナル駅となっていた駅が南海電鉄にはあった。

それが天王寺駅である。

 

天王寺駅と言えば、JR(旧・国鉄)の大阪環状線阪和線関西本線大和路線)はもちろん、地下鉄の御堂筋線および谷町線が乗り入れ、さらに近鉄南大阪線ターミナル駅(駅名は大阪阿部野橋駅)や阪堺電軌上町線天王寺駅前駅まである、大阪の南の玄関口だ。

その天王寺駅南海電鉄も乗り入れていたのである。

 

路線名は天王寺支線

区間としては、天下茶屋駅から天王寺駅まで折り返し運転をしていた。

その距離は、僅か2.4km。

つまり、路線としては汐見橋線と同じく、大阪市内を走るローカル線である。

 

赤い線の部分、僅か2.4kmが天王寺支線だった。

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南海電鉄としては、天王寺駅に乗り入れることは国鉄と接続できるということでメリットがあったのだが、1966年に新今宮駅国鉄大阪環状線との乗換駅となったことにより、南海の天王寺支線の客が激減した。

つまり、天王寺支線は南海電鉄にとって、お荷物路線に成り下がったのである。

 

筆者は子供の頃、南海高野線の沿線に住んでいた。

最寄り駅は金剛駅で、区間急行に乗れば約30分で難波駅に着く(現在の金剛駅は、特急を含む全列車停車駅だが、筆者が住んでいた頃は急行以上の列車は通過していた)。

大阪市内へ出るには、南海電車に乗って難波へ行く、それ以外の方法はなかったのだ。

 

筆者が幼稚園児の頃、天王寺動物園への遠足があった。

保護者同伴で電車に乗り込むのだが、その遠足に母親が付いてきたのを覚えている。

金剛駅からいつものように南海電車に乗り込んだ。

 

南海電車の車窓には、いつもと変わらぬお馴染みの風景が流れていた。

しかし、途中から見慣れない景色に変わっていく。

あれ、どこへ行くの?幼稚園児の筆者は思った。

そして、いつもは難波駅へ着くはずなのに、変な駅に停車したのだった。

今から思えば、その停車した駅こそ南海の天王寺駅だったのである。

 

その遠足列車は貸し切りだった。

そのため、普通の南海高野線なら金剛駅から難波駅へ行くはずが、天下茶屋駅で進路を変え、天王寺駅に着いたのである。

 

紫色の路線が、金剛駅から天王寺駅まで行った貸し切りの臨時直通列車

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動物園での遠足が終わった後は、自由行動となった。

そこで、筆者は母親と、家族ぐるみの付き合いがあったご近所さんと一緒に、阿倍野にある近鉄百貨店で買い物をして帰ったのを覚えている。

それまで筆者は、百貨店と言えば難波にある高島屋か、あるいは心斎橋の大丸およびそごうしか行ったことがなかったのだが、初めて近鉄百貨店というデパートがあるのを知った。

結局、この遠足で覚えているのは天王寺支線の風景と近鉄百貨店だけで、肝心の動物は全く記憶に残っていないのである。

 

それから時代は下って高校生の頃、南海高野線堺東駅の近くにあるホールで、映画鑑賞会があった。

映画が終わった後は自由行動だったので、天下茶屋駅へ行って天王寺支線に乗ろう、と思った。

幼稚園の時は直通で天王寺支線に乗ったが、一般のダイヤで天王寺支線に乗ったことはなかったからである。

そのときの筆者は近鉄南大阪線の沿線に引っ越していたので(正確には近鉄長野線)、南海の天王寺駅から近鉄大阪阿部野橋駅に乗り換えたら、楽に帰宅できるのではないか、と思ったのだ。

しかも、天王寺支線に乗れるのだから、一石二鳥である。

 

喜び勇んで堺東駅から南海電車に乗り、天下茶屋駅で降りた。

ところが、そこには信じられない看板が立っていた。

 

天王寺支線の天下茶屋駅から今池町駅間は廃止になりました」

 

ええ?どういうこと!?

実は、天下茶屋駅の高架工事により、天王寺支線の天下茶屋駅から今池町駅の間は、廃線になったのである。

廃線になったのは、1984年11月18日。

筆者が映画に行ったのは同年12月だったので、僅か1ヵ月差で天王寺支線に乗るチャンスを失ったのである。

 

天王寺支線の需要は、目に見えて減っていた。

地下鉄堺筋線天下茶屋まで伸びたことにより、天王寺支線の存在意義は薄れていったのである。

そして1993年4月1日、天王寺支線はその役割を終え、全線廃止となった。

まだ物心がつくか付かないかの幼稚園時ではなく、成人した状態で、臨時列車ではない正式路線の天王寺支線を乗ってみたかった。

 

在りし日の南海天王寺支線。国鉄と直通していた「きのくに号」の姿も見える

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