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ネターランド王国

国王:ハードフォーク安威川トークン

ネターランド王国憲法

第1条 本国の国名を「ネターランド王国(英名:Kingdom of the Neterlands)」と言う。
第2条 本国の国王は「禁句゛(=きんぐ)、戒名:ハードフォーク安威川トークン」とする。
第3条 本国は国王が行政・立法・司法の三権を司る、絶対王制国家である。
第4条 本国の公用語は日本語とする。それ以外の言語は国王が理解できないため使用禁止。
第5条 本国唯一の立法機関は「日記」なる国会で、国王が一方的に発言する。
第6条 本国の国民は国会での「コメント」で発言することができる。
第7条 「コメント」で、国王に不利益な発言をすると言論弾圧を行うこともある。
第8条 「コメント」で誹謗・中傷などがあった場合は、国王の独断で強制国外退去に踏み切る場合がある。
第9条 本国の国歌は「ネタおろし」とする(歌詞はid:aigawa2007の「ユーザー名」に記載)。
第10条 本国と国交のある国は「貿易国」に登録される。
第11条 その他、上記以外のややこしいことが起きれば、国王が独断で決めることができる。

想い出のフィールド(47)〜住之江公園野球場

住之江公園野球場(行った回数:多数)


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住之江公園野球場(以下、住之江球場)は大阪市住之江区にある、大阪府営の球場である。
大阪市営地下鉄四つ橋線およびニュートラム住之江公園駅から徒歩約5分と交通の便は良い。
すぐ傍を国道26号線が通っており、住之江公園内に駐車場もあるので、アクセス面では充実していると言えるだろう。
ただ、国道26号線を挟んで住之江競艇場があるので、試合中でもモーターボートの爆音が聞こえてくるのが玉にキズだが……。


住之江球場は、関西独立リーグおよびジャパン・フューチャー・ベースボールリーグに所属していた大阪ゴールドビリケーンズの本拠地であり、僕も公式記録員としてたびたび訪れた球場だ。
しかし、古いだけあって放送室は非常に狭く、球場内施設は貧弱で、電子機器も故障がちの物が多かった。


狭いのは球場内部だけではなく、グラウンドそのものも非常に狭い。
両翼90m、中堅110mという、1980年代以前でも滅多にお目にかかれない狭さ。
収容人員は4,500人とこじんまりしたスタンドで、外野スタンドはなくて奥には樹木が無数に生えている。
試合前、球審および責任審判と公式記録員、そして両チーム監督がグラウンドに出てきてホームプレート付近でメンバー交換を行うのだが、その時に責任審判が、
「外野フェンスの外側に木が生えていますが、ボールがそこに当たっても見えないことがありますので、その場合はインプレーとします」
というウソみたいなグラウンド・ルールを説明していた。
フィールドは内野が土、外野は天然芝で春先でも青々としていたが、グラウンドキーパーによると「あれは雑草が生えとるからや」とのことだった。
こんな球場だから当然のことながらプロ野球(NPB)の一軍公式戦が行われたことは一度もないのだが、それでもナイター設備はちゃんとあり、スコアボードも磁気反転式で放送室から操作していた。
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住之江球場は夏の高校野球大阪大会の球場としても長年使用されている。
僕が初めて住之江球場に行ったのが1983年7月のことだった。
夏の高校野球大阪大会二回戦、PL学園×大阪学院の対戦である。
この年のPLは一応優勝候補に挙げられていたものの、中心になる選手がおらず、甲子園出場すら疑問視されていた。
二回戦とはいえ両校にとって初戦のこの試合、PLの四番打者は背番号14を付けた選手だった。
背番号14がPLの四番?
身体こそデカかったものの、どうして二桁背番号の選手が、強豪PLの四番を打つのだろう。
不思議に思っていたが、背番号14の選手は三塁線を破る二塁打を放ち、四番であることをアピールしていた。
翌日の新聞を読んで、背番号14の選手が僕と同じ高校一年生であることを知った。
もちろん、一年生四番はPL野球部が始まって以来初めてのことだった。
その背番号14の選手こそ清原和博である。
僕は偶然にも清原の世の中デビューを見ていたのだ。
それにしても、僕と同い年の男がPLの四番を打つとは、その時は想像すらしていなかった。


四回戦では、大阪球場でPL学園×吹田の対戦を見ていた。
その試合でPLの先発マウンドに上がったのは、背番号17の小柄な投手。
その頃の大阪大会のベンチ入り人数は17名だったので、背番号17ということはビリケツの選手である。
PLは投手陣が不安と言われていたのに大丈夫かいな?と思ったが、背番号17は2安打完封という快投を演じた。
その投手こそ桑田真澄で、やはり翌日の新聞で僕と同じ一年生であることを知った。
僕はKKコンビの世の中デビューをいずれも見たわけだ。
ちなみにこの試合で、清原は公式戦初ホーマーを放っている。
KKコンビを中心としたPLは大阪大会を勝ち抜き、甲子園でもあれよあれよと勝利を重ねて、準決勝では夏春夏の三連覇を目指した池田に7−0で大勝し、決勝では横浜商を倒して見事日本一に輝いた。
大阪大会が始まる前、PLの全国制覇など誰も想像していなかった。
その全ての始まりは住之江球場だったのである。


そういう意味でもこの年は僕にとって忘れられない年となったが、初めて行った住之江球場の風景もよく憶えている。
住之江公園駅から球場に向かって住之江公園内を歩いて行くのだが、球場に行く途中にはプールがあって、夏休みを迎えたばかりの子供たちが歓声を上げて水しぶきが舞っていた。
球場に着くと、内野のスタンドがない部分には大勢のオッサンがたむろしていて、フェンス越しにタダ見をしていた。
いかにも夏の地方大会という風情である。
スタンドの入り口付近には小さいながらも売店があって、ちょっとした弁当や軽食、もちろんジュースやビールも売っていた。
こんな小さくて古い球場でも売店があるのに、現在の大阪大会のメイン球場である舞洲ベースボールスタジアムには、新しく出来た大きな球場にも関わらず売店すらない。
何よりも住之江球場にある情緒的な雰囲気が舞洲球場には全くなくて、無機質なだけの球場だ。
舞洲球場を造った責任者には猛省を促したい。


僕は夏が来るとすぐに住之江球場の、あの夏の日を思い出す。
球場に行くまでのプールから聞こえてくる子供たちの歓声と飛び散る水しぶき、梅雨明けの陽光をいっぱいに浴び汗だくになってプレーする選手たちと、古くて狭いスタンドでビールを呑みながら観戦するオッサンたち。
今では時代にそぐわなくなった球場でも、そんな夏の風景を呼び起こしてくれる住之江球場が僕は大好きである。




住之江球場で行われた、夏の高校野球大阪大会のある試合