吉野山には下千本、中千本、上千本、奥千本があるが、そのうち下千本と中千本が満開を迎えた。
上千本と奥千本は七分咲き程度なので、遅れて花見をしたい人はまだ間に合う。
そこで吉野山へ車を走らせたのだが、駐車場はどこも満車で、しかも料金は1,500円。
協定でもあるのか、下千本だろうが中千本だろうか、全ての駐車場が一律1,500円だった。
駐車料金に1,500円も払って山歩きするのもバカバカしいと思い、結局は車の中から桜を楽しんで、そのまま引き返してしまった。
今回、問題にしたいのは駐車料金の高さではない。
駐車料を徴収する名目である。
吉野山のどの駐車場でも「駐車料金」とは書かずに「協力金」と書かれていた。
なぜだろうか。
神社などに行くと、駐車場に車を停めて料金を支払ったら「祈祷料」と書かれた領収書を貰うことがある。
「駐車料金」ではなくて「祈祷料」だ。
ある宗教施設が経営している鉄道に乗ると、「運賃」ではなく「寄付金」になる。
なぜ、こういうことが起こるのだろうか。
当然、税制優遇を受けている。
ところが、「駐車料金」として駐車料金を徴収すると、営利目的になるため税金を取られてしまうのだ。
それを「協力金」として駐車料金を徴収すると、世界遺産に対する「協力金」になるのだから、税金は取られない。
神社などでも、駐車料金を取ると税金を払わなければならないが、宗教法人として税制優遇を受けているから、駐車料金であっても「祈祷料」とすれば、税金を払わなくて済むのだ。
駐車場に入る前に鳥居をくぐるから、そのときに「祈祷」を受けたという解釈も成り立つ。
もちろん、これはただの屁理屈だが。
ある宗教施設が経営している鉄道が「運賃」ではなく「寄付金」としているのも、同じ(屁)理屈だ。
駐車料金や運賃を「協力金」「祈祷料」「寄付金」などと表していることがあれば、それは「税金逃れ」と考えて良い。