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安威川敏樹のネターランド王国

お前はチョーマイヨミか!?

ネターランド王国憲法

第1条 本国の国名を「ネターランド王国(英名:Kingdom of the Neterlands)」と言う。
第2条 本国の国王は「禁句゛(=きんぐ)、戒名:安威川敏樹」とする。
第3条 本国は国王が行政・立法・司法の三権を司る、絶対王制国家である。
第4条 本国の公用語は日本語とする。それ以外の言語は国王が理解できないため使用禁止。
第5条 本国唯一の立法機関は「日記」なる国会で、国王が一方的に発言する。
第6条 本国の国民は国会での「コメント」で発言することができる。
第7条 「コメント」で、国王に不利益な発言をすると言論弾圧を行うこともある。
第8条 「コメント」で誹謗・中傷などがあった場合は、国王の独断で強制国外退去に踏み切る場合がある。
第9条 本国の国歌は「ネタおろし」とする(歌詞はid:aigawa2007の「ユーザー名」に記載)。
第10条 本国と国交のある国は「貿易国」に登録される。
第11条 本国の文章や写真を国王に無断で転載してはならない。
第12条 その他、上記以外のややこしいことが起きれば、国王が独断で決めることができる。

SY(サバを読む)な人

高校バスケットで2004年のインターハイ、05年の全国選抜大会で優勝した福岡第一高に、年齢を偽って出場した選手がいたことが発覚した。
その選手はセネガル人のティエルノ・セイドゥ・ヌロ・ディアン選手で、同校を卒業後は1年間、bjリーグ高松ファイブアローズでプレーしており、現在はモロッコでプレーしているという。


ディアン選手はどのくらいの年齢詐称をしていたか?
1982年1月4日生まれのところを1986年10月4日、実に4年9カ月もの大胆なサバ読みだ。
つまり、優勝した時は22〜23歳になっており、プロとしてプレーしていてもおかしくはない年齢である。
同じ高校生でも黒人が相手なら日本人ではなかなか敵わないのに、23歳で207cmの黒人選手が相手では勝てるわけがない。
日本と違って戸籍が曖昧で、福岡第一高も「パスポートを信用した」と語っているが、知って知らぬふりをしていたのなら許し難い行為だし、知らなかったとしても随分ずさんな話だ。
こんなことが続けば、高校スポーツで留学生禁止、などというバカげた規則ができかねない。
留学生を募って部の強化をしたいと思うのなら、余計に生徒の身辺調査をキチンとするべきである。


大学スポーツなら年齢制限はないが、日本の高校スポーツにはそれがある。
大会によって年齢制限の基準は多少違うが、目的は言うまでもなく上記のような不公平を防ぐためである。
殊に、高校野球ではその規定が厳格だ。
例えば、1年留年していれば三年生として在校中でも、公式戦に出場することはできない。
後に阪神に進んだ中込伸投手は甲府工高の二年生の時、春のセンバツに出場したが、年齢が既に三年生と同じだったため、翌年の高校野球公式戦には出場できなかった。
そこで翌年は神崎工高の定時制に編入して阪神球団職員になり、翌々年に阪神からドラフト1位指名を受けて入団した。


かくの如く年齢詐称には厳しい高校野球連盟だが、なんと大学生が全国大会に出場したことがある。
戦前、しかもまだ大正時代の1920年、高校野球ではなく中等野球と呼ばれていた頃、甲子園球場すら影も形もない時代の話である。
豊国中(福岡)の小方二十世(おがた・はたよ)投手は当時大学生、法政大学の投手として東京四大学(現在の東京六大学)リーグで登板していた。
小方投手が母校のために選手登録したのかといえば、そうではなく青山学院中等部出身である。
どういう経緯で法大から縁もゆかりもない九州の中学に編入したのかは不明だが、豊国中の校長が小方投手に「好投手がいれば我が校は全国大会に出場できる」と転校(?)を頼んだらしい。
校長の思惑通り、豊国中は予選を勝ち抜いて全国大会に出場することができた。
しかし、小方投手は初戦で鳥取中に3回4失点でノックアウト、赤っ恥をかく結果となり、チームも2−6で初戦敗退した。
大学生が中学の試合に出るという珍事は大問題となったが、当時の規約では校長が選手として認めていれば選手登録できたのである。
だが、小方事件をきっかけに厳重な年齢制限を付けることになった。
それにしても小方投手は、母校でもなんでもない試合に登板して、恥をかいた上に無法者扱いされたのだから、気の毒といえば気の毒だ。


ディアン選手も大正時代なら合法的に出場できたかも知れない。
また、当時の日本人感情では外国人アレルギーが今より相当きつかったと思われているが、そんなことはなかったようだ。
1916年(大正5年)の第2回全国中等野球大会で、慶応普通部(東京)のジョン・ダン選手という黒人選手が出場し、大変な人気を博したという。
案外、大正時代の日本人気質は自由で、国際感覚も豊かだったのかも知れない。