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安威川敏樹のネターランド王国

お前はチョーマイヨミか!?

ネターランド王国憲法

第1条 本国の国名を「ネターランド王国(英名:Kingdom of the Neterlands)」と言う。
第2条 本国の国王は「禁句゛(=きんぐ)、戒名:安威川敏樹」とする。
第3条 本国は国王が行政・立法・司法の三権を司る、絶対王制国家である。
第4条 本国の公用語は日本語とする。それ以外の言語は国王が理解できないため使用禁止。
第5条 本国唯一の立法機関は「日記」なる国会で、国王が一方的に発言する。
第6条 本国の国民は国会での「コメント」で発言することができる。
第7条 「コメント」で、国王に不利益な発言をすると言論弾圧を行うこともある。
第8条 「コメント」で誹謗・中傷などがあった場合は、国王の独断で強制国外退去に踏み切る場合がある。
第9条 本国の国歌は「ネタおろし」とする(歌詞はid:aigawa2007の「ユーザー名」に記載)。
第10条 本国と国交のある国は「貿易国」に登録される。
第11条 本国の文章や写真を国王に無断で転載してはならない。
第12条 その他、上記以外のややこしいことが起きれば、国王が独断で決めることができる。

ダメ外人列伝〜その8

ロブ・ディアー(阪神)


この選手はバーフィールドの次に紹介したかったが、急遽予定を変更してランスを先に持ってきた。
ディアーはバーフィールドが来日した翌年の1994年に阪神に入団している。


阪神は'85年の日本一以来、その後は低迷して「暗黒の'90年代」と言われたが、唯一光り輝いたのが'92年だ。
この年はヤクルトと最後まで優勝を争い、最終戦の一試合前で優勝を逃したものの、阪神復活を予見させるシーズンだった。
甲子園名物だったラッキーゾーンがなくなり、投手陣と守備陣を整備して、打撃陣もアベレージヒッターを育てたことが快進撃に繋がった。
特に注目されたのが、阪神入団2年目のトーマス・オマリー横浜大洋から移籍してきたジム・パチョレック、二軍から這い上がってきたヘッドスライディングの申し子、亀山努だった。
この年、日本の政界では湾岸戦争に関するPKO法案が議論されたが、阪神におけるPKOとは「パチョレック、亀山、オマリー」と言われたものだ。
優勝を逃したとはいえ、甲子園での最終戦でライトスタンドには「夢をありがとう、中村監督」の垂れ幕がかかっていた。
就任以来、ずっと苦汁を舐めさせられていた中村勝広監督にとって、これ以上のねぎらいの言葉はなかっただろう。


ところが翌年、パチョレックは体調不良のため途中帰国。
チーム成績も振るわず、またもやBクラスに転落。


そんな阪神の救世主として登場したのがディアーだった。
メジャー通算226本塁打の実績はボブ・ホーナーを上回る。
アベレージ・ヒッターのオマリーとホームラン打者のディアーとのコンビは、オマリー&パチョレックを越えると言われた。
事実、安芸キャンプでは場外弾を連発し、ディアーネットが張られた。
これはランディ・バースを越える優勝請負人になるに違いない、と阪神ファンは期待した。


で、結局はいつものように阪神ファンは騙された。


前年のバーフィールド以上に、日本投手の変化球に全くついていけず、三振の山を積み上げ、打率は1割台。
ホーナーは「地球の裏側にもうひとつのベースボールがあった」と捨てゼリフを吐いたが、ディアーの場合は「地球の裏側まで何しに来たの?」と言いたくなるような成績だった。
同僚のオマリーもずっとディアーをかばい続けたが、あまりの不甲斐なさに遂にサジを投げた。
中村監督も亀山を控えに置いてまでディアーを使い続けたが、全く打てなかったためにシーズン途中解雇。
翌年も成績が一向に上がらなかった中村阪神は、シーズン途中で中村監督が辞任。
前年の「ディアー・ショック」が大きいと言われ、ディアーは「中村監督のクビを切った男」と言われた。


阪神の三大優良外人(打者)はこの年のオマリーに神様バース、そしてマイク・ラインバックと言われる。
三人に共通していることは、野球以外でも阪神ファンに愛されていることだ。
オマリーはその後、ヤクルトに移籍したにも関わらず、未だに阪神電鉄のCMに出演している。
バースはサントリー「MALTS」の一員になったり、映画「ミスター・ルーキー」にも出演し、日本への愛情を忘れていない。
ラインバックは地味だったものの、アメリカへ帰国後、非業の死を伝えられると関西のバラエティ番組「探偵!ナイトスクープ」で取り上げられるなど、長い間ファンの記憶に残っていた。


もう一つ、この三人に共通しているのは、メジャーで活躍した選手ではなかったということだ。
ラインバックはメジャーで12試合しか出場できず、バースはメジャー通算僅か9本塁打、オマリーもメジャーには定着できなかった。
そのため、日本に来ても高額の年俸では迎えられず、必死で日本野球に対応して、実績を積み上げていった。
このあたりの野球に対する真摯な取り組みも阪神ファンの共感を得た。


しかしディアーは、メジャーで充分の実績をひっさげて来日し、いきなり高額な年俸を得た。
だが、日本ではサッパリ打てず。
今から考えると当然である。
実はディアーはメジャー3000打席以上の打者で三振率.363と堂々たる1位だ。
こんな打者、日本で通用するわけがないではないか。
オマリーのような目立たない優良外人を連れてくる一方で、こんな前近代的なスカウトをしていたのだ。


しかもオマリーはデイアーが入団した(と同時に退団した)翌年、ヤクルトに放出されている。
理由は「外人にしては長打力がない」というものだった。
ラッキーゾーンがなくなって、長打力よりもアベレージヒッターが必要になったからこそ、オマリーが重宝されたのではなかったのか。
この頃の阪神の外人獲得は全くわけがわからない。
ちなみにオマリーはヤクルトで優勝に貢献する大活躍を見せた。
狭い神宮では打率を落とさずにホームラン31本を打つという、スタイルの変化も見せた。
そして阪神は、最下位街道まっしぐらという坂道を転がり落ちていく。


この頃の阪神ファンは誰もが思っていた。
メジャーでの実績なんてどうでもいいから、日本で活躍できる助っ人が欲しい、と。
もうディアーのような、メジャーでは凄くても、日本ではサッパリ、という外人はうんざりだ、と。


ところが「ディアー・ショック」の3年後、阪神ファンはディアー以上の超大物に悩まされることになる……。


「阪神は必ず優勝できる!一人の超大物が日本に行って、阪神に入団するからな」
「そ、その超大物とは!?」
「わたしだよ」
「……!」
「それともこのグ○ー☆△ェ◇は超大物ではないかな?」
「……グ、グ○ー☆△ェ◇さん……!!(涙)」


日本滞在期間約半年。出場70試合。本塁打8本。打点21点。打率.151。盗塁0。三振76。