広大な植物公園。
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第1条 本国の国名を「ネターランド王国(英名:Kingdom of the Neterlands)」と言う。
第2条 本国の国王は「禁句゛(=きんぐ)、戒名:安威川敏樹」とする。
第3条 本国は国王が行政・立法・司法の三権を司る、絶対王制国家である。
第4条 本国の公用語は日本語とする。それ以外の言語は国王が理解できないため使用禁止。
第5条 本国唯一の立法機関は「日記」なる国会で、国王が一方的に発言する。
第6条 本国の国民は国会での「コメント」で発言することができる。
第7条 「コメント」で、国王に不利益な発言をすると言論弾圧を行うこともある。
第8条 「コメント」で誹謗・中傷などがあった場合は、国王の独断で強制国外退去に踏み切る場合がある。
第9条 本国の国歌は「ネタおろし」とする(歌詞はid:aigawa2007の「ユーザー名」に記載)。
第10条 本国と国交のある国は「貿易国」に登録される。
第11条 本国の文章や写真を国王に無断で転載してはならない。
第12条 その他、上記以外のややこしいことが起きれば、国王が独断で決めることができる。
今年(2016年)6月21日、東京都知事だった舛添要一氏が辞任した。
次の東京都知事選挙は7月31日に行われる予定だが、立候補者が誰になるか注目されている。
舛添氏が辞任した理由は政治資金流用問題が泥沼化したからだが、日本中でその問題が騒がれている6月3日、一人の偉大なプロボクサーがこの世を去った。
元世界ヘビー級チャンピオンのモハメド・アリ氏である。
東京都知事選とモハメド・アリ氏、何の関係もないように思われる。
しかし、実は関係大アリなのだ。
1991年、任期満了となったため東京都知事選が行われることになった。
現職の鈴木俊一氏は4選を目指し立候補、これに対し自由民主党の本部からはNHKの報道局長だった磯村尚徳氏を擁立。
鈴木氏は自民党都連の推薦を受けていたから、自民党同士の全面対決である。
なぜこんな奇妙なことになったのかといえば、3期も東京都知事を務めてきた鈴木氏の力が強大になり過ぎて、自民党本部の意のままにならなくなったからだ。
ところが、磯村氏の出馬に待ったをかけた人物がいた。
それが、当時はプロレスラーで参議院議員だったスポーツ平和党のアントニオ猪木氏である。
猪木氏は磯村氏に対して、深い恨みを持っていたのだ。
1976年6月26日、日本武道館でアントニオ猪木×モハメド・アリの異種格闘技戦が行われた。
全世界に衛星中継されるほど注目された一戦だったが、お互いに大した技も出ず、結果は15ラウンドの引き分け。
世紀の大凡戦と言われ、猪木は大バッシングを受けた。
さらに、その夜のNHKニュースで、キャスターがこう言い放った。
「NHKでこんな試合を取り上げるのもどうかと思いますが、猪木×アリ戦は予定通り引き分けでした」
猪木氏にとって命懸けだった試合をコケにしたこのニュース・キャスターこそが、他ならぬ磯村氏だったのである。
「新間、俺は磯村の野郎だけは絶対に許せねえんだ!都知事選に出るぞ!」
磯村氏の出馬を知り、猪木氏は怒りに声を震わせ、猪木氏の片腕であり「プロレス過激な仕掛け人」と謳われた新間寿氏に言い放った。
新間氏も猪木氏の怒りは理解しており、都知事選出馬の準備を始めた。
「俺が落選しても、磯村だけは道連れにしてやる!」
それが猪木氏の本心だった。
このままでは、磯村氏は猪木氏と共倒れになってしまう。
そこで、当時は自民党の幹事長だった小沢一郎氏が、猪木氏の説得に当たった。
結局、猪木氏は都知事選出馬を断念し、スポーツ平和党は磯村氏を推薦するという、当初とは正反対の対応となった。
新間氏によると、猪木氏のバックに付いていた佐川急便が一枚噛んでいたという。
猪木氏が社長を務めていた新日本プロレスがアリ戦で膨大な借金を背負い、それはプロレス・ブームにより返しつつあったものの、その後は猪木氏が起こした事業の「アントン・ハイセル」が16億円もの負債を抱えてしまった。
そこで佐川急便が、借金の肩代わりと引き換えに出馬断念を要請したという。
猪木氏がアリ氏と異種格闘技戦を行わなければ莫大な借金も背負わずに済んだだろうし、磯村氏から酷評されることもなかった。
つまり、猪木氏が都知事選出馬を表明することもなかったはずである。
最初に述べた、アリ氏が都知事選に関係があったという理由も、おわかりいただけただろう。
ところで、事実上の自民党一騎打ちとなった都知事選は(実際、両者以外の候補者は全員、供託金没収となった)、鈴木氏が4選を果たし、スポーツ平和党が推した磯村氏は約86万票差を付けられて惨敗した。
つまり、猪木氏が出馬しようがしまいが、磯村氏は落選していたのである。
ということは、アリ氏が猪木氏と戦わなくても、都知事選には大した影響はなかったということか。
自分で言ったことに信憑性を無くすような結論になってしまったが、佐川急便が猪木氏のために16億円もムダにしたことは間違いない。
日本時間の6月12日、カナダのバンクーバーでラグビーのカナダ×日本が行われ、日本代表が26-22で勝利した。
昨年(2015年)のワールドカップ以来、日本でも急速にラグビーに対する認識が高まったのは周知のとおり。
だが、まだ一般には浸透していないようだ。
たとえば、この試合を生中継した日本テレビでは「昨年のワールドカップ以来の日本代表戦」と言っていたが、実際には4、5月にアジア・ラグビー・チャンピオンシップ(ARC)で韓国代表および香港代表と各2試合ずつ、計4試合も日本代表戦を行っている。
この時の日本代表は主力を欠いた若手中心のメンバーだったからだろうが、「昨年のワールドカップ以来の日本代表戦」というのは明らかな誤りだ。
ちなみに日テレだけでなく、僕が見た限りでは他の放送局のスポーツ・ニュースでも同じような表現をしていた。
また、今回のカナダ×日本はテストマッチだったのだが(もちろん、前述のARCもテストマッチ)、これを日テレは別にして、他局のテレビやスポーツ関係者までが親善試合の類だと誤解していた。
たしかにサッカーなどのテストマッチはそういう意味になり、本番に向けた「選手やチームの仕上がり具合を試す試合」ということになるが、ラグビーにおける「テストマッチ」は全然違うのである。
ラグビーのテストマッチとは、学校での試験(テスト)と全く同じ、結果が成績に現れるのだ。
今回のカナダとのテストマッチでも、勝敗によって国際ランキングに反映され、2019年に日本で行われるワールドカップの組み合わせに影響してくる。
日本は開催国なので出場が決まっているが、よりランキング上位になれば有利なプールに入れるのは当然だ。
昨年のワールドカップでイングランドは、プール分けを決める時期のランキングで低迷したために強豪国が集う「死のプール」に属してしまい、開催国でありながら決勝トーナメント進出を逃してしまった。
テストマッチとは国と国の代表チーム同士の真剣勝負であり、出場した選手にはキャップ(帽子)が与えられ、ラガーマンとしては最高の名誉とされるのだ。
キャップ数と選手の実力が必ずしも比例するわけではないが、テストマッチ出場回数が多い選手は間違いなく尊敬される。
ちなみに言うと、ワールドカップでの試合もテストマッチの一種だ。
なお、日本代表のキャップ帽子は赤白のフェルト製で、テストマッチに出場するたびに貰えるわけではなく、初キャップ以降は5回出場ごとに星マークが1つ帽子の前面に付く。
テストマッチの歴史はかなり古く、ワールドカップが行われる遥か前から存在していた。
世界初のテストマッチは1871年に行われた、イングランド×スコットランドだ。
以降、ラグビーが盛んな地域でテストマッチが活発に行われるようになる。
やがて日本にもラグビーが伝わり、日本代表制度を導入して、英国に倣って選手にキャップを授与するようになる。
日本初のテストマッチは1932年に行われた、奇しくも今回と同じカナダ戦だった。
しかし、戦後になっても日本代表は本当の意味での「テストマッチ」には参加させてもらえなかったのである。
当時、国際ラグビーを統括していたのはIRFB(インターナショナル・ラグビー・フットボール・ボード)で、加盟国は僅か8ヵ国。
つまりイングランド、スコットランド、ウェールズ、アイルランド、フランス、ニュージーランド、オーストラリア、南アフリカというラグビー強国だけだ。
日本はIRFBの準加盟国という扱いだったのである。
この頃のテストマッチは、IRFB加盟8ヵ国の間のみで、まるでヤミ談合のように行われているだけだった。
もちろん、日本代表もイングランド代表やウェールズ代表などと試合を行ったことがあった。
しかし、日本代表の選手には当然キャップが与えられたが、相手国は選手に対するキャップの授与は行われなかったのだ。
要するに、日本協会はテストマッチ扱いしても、相手国協会はテストマッチとは認めてなかったのである。
一部の例外を除いて、IRFB加盟国は日本代表との試合をテストマッチとは認定しなかった。
たとえば、日本代表が初めてIRFB加盟国に勝った歴史的試合、1989年のスコットランド代表戦もスコットランド協会はテストマッチ扱いしなかったのである。
したがって、最近ではこの試合を「日本代表×スコットランドXV(フィフティーン)」などと表記しているのだ。
IRFBは日本を差別していたのか!と憤慨する人もいるかも知れないが、日本だって他国を「差別」していた。
それは、アジア大会においてである。
当時は(今でもそうだが)日本代表にとってアジアにはほとんど敵はなく、アジア大会での代表戦をテストマッチとは認定せず、決勝戦のみをテストマッチ扱いしていたのだ。
当然、アジア大会の予選リーグに出場しても、キャップは貰えなかった。
逆に、日本代表が「格上」のオックスフォード大学などと戦う時は、代表戦ではないからテストマッチではないものの、キャップ対象試合として選手にキャップを与えていた。
それだけオックスフォード大学が強かったからだが、実際に当時の日本代表がオックスフォード大学に勝ったことはない。
元々ラグビーには、アジアのような後進地域を除いて、最強国を決めるような大会はなかった。
テストマッチこそが最高の試合で、わざわざ最強国を決める必要はない、という考え方だったのである。
これが、サッカーに比べてワールドカップの開催が大幅に遅れた原因だ。
唯一、大会のようなものだったのがヨーロッパの五ヵ国対抗(現在の六ヵ国対抗)だが、これも各国が年に一度ずつテストマッチを行っていたのが、たまたまリーグ戦のような形になっただけであり、元々は大会という概念はなかった(現在の六ヵ国対抗は大会となっている)。
しかし、ラグビーでもワールドカップを行おうという機運が高まり、遂に1987年に第1回ワールドカップが開催された。
当時のラグビー界はアマチュアリズムを重んじており、ワールドカップ開催はラグビーのプロ化を促すと伝統国は反対していたのだが、実力で優位に立っていた南半球の国々に押し切られた格好になったのである。
日本はアジア代表として推薦出場して、3戦全敗だったが、3試合ともテストマッチと認められた。
その後、ワールドカップは回を重ねるごとに巨大化し、伝統国が危惧した(?)とおりラグビーはプロ化され、現在に至っている。
現在の国際ラグビーを統括する団体はワールド・ラグビー(WR)となっており、もちろん日本も堂々たる加盟国だ。
そして今では、他の競技と同じように世界ランキング制度を採り入れている。
ワールドカップが始まったために、テストマッチの地位が落ちたような感があるのは否めない。
各国とも4年に1度のワールドカップを最大の目標としており、テストマッチはそれに向けての強化という位置付けになっているのも事実だ。
ラガーマンにとってキャップが最高の栄誉だということに変わりはない。
毎年行われる北半球の六ヵ国対抗はますます盛んになり、南半球では四ヵ国に拡大したザ・ラグビー・チャンピオンシップが人気を博している。
もちろん、これらの試合は全てテストマッチであり、北半球の国と南半球の国とのテストマッチも数多く行われる。
また、以前は曖昧だったテストマッチの基準が、現在ではWRが認定した試合のみを指すようになり、以前のように各国の協会が認めたり認めなかったりということはなくなった。
そのあたりの歴史を知れば、より深くラグビーを楽しめるだろう。
なお、次の日本代表のテストマッチは6月18日(愛知:豊田スタジアム)と6月25日(東京:味の素スタジアム)に行われ、いずれもスコットランド戦だ。
前述したように、1989年に日本代表がIRFB加盟国に初めて勝った相手であり、去年のワールドカップでは唯一敗れた相手でもある。
2試合とも19:20キックオフで、日本テレビ系列で19:00から全国生中継、J SPORTS 3でも18:50から生放送される。
今年(2016年)の場合、6月21日に夏至となる。
北半球に住む人にとって、太陽が最も近く感じる日だ。
日本の場合は梅雨の季節でもあるし、地熱も暖まってないので8月ほど暑くないが、紫外線が最も強くなる季節である。
夏になると、誰もが思うだろう。
「太陽ってなんで、こんなに熱いの?」
と。
外を歩くと汗だくになり、みんな日陰を求めて直射日光を避けようとする。
太陽は約1億4960万kmも離れているのに、地球をこれだけの灼熱地獄に陥らせるのだから、いかに巨大なエネルギーを秘めているかわかるだろう。
ところで、誰でもこんな疑問を持つのではないだろうか。
太陽は、全宇宙ではどれぐらいの規模に位置づけられるのか、ということを。
子供の頃、太陽は空の王様で、最も大きくて明るいと思っていたが、小学校高学年か中学校の理科では、宇宙には太陽よりも大きくて明るい星はたくさんあるということを習う。
でも、太陽が何位ぐらいの明るさなのかまではわからない。
夜空に輝く星の中で、1等星と呼ばれる明るい恒星(太陽のように燃えている星)は21個ある。
星の明るさは等級によって表され、等級が少ないほど光度が増す。
たとえば、1等星の明るさは2等星の2.5倍であり、2等星のそれは3等星の2.5倍だ。
同じ1等星でも、明るさによって等級は細かく分けられる。
四捨五入して1等星になる星、即ち1.5等星より明るい(1.49等星以上)恒星が1等星に分類されているわけだ。
七夕の空に輝く彦星ことわし座のアルタイルは0.8等星、織姫星と呼ばれること座のベガは0等星と、ベガの方がやや明るい。
アルタイルやベガと共に夏の大三角を形成するはくちょう座のデネブは1・3等星と、1等星の中では暗い星ということになる(21個中19位)。
1等星の中で、つまり恒星の中で最も明るいのは、冬の星座として知られるおおいぬ座のシリウスで、マイナス1.5等星という圧倒的な光度を持つ。
ちなみに太陽はマイナス26.7等星で、これら1等星とは問題にならない明るさである。
ただし、今まで話してきたのは地球から見た場合の明るさだ。
明るさは距離の2乗に反比例し、当然のことながら近いほど明るく、遠いほど暗くなる。
たとえば、先に挙げたシリウスは、地球からの距離が8.6光年と比較的近い。
なお、1光年とは光の速さで1年かかる距離のことだ。
太陽の光は地球まで8分19秒で到達し、光年に直すと0.000016光年の距離ということになる。
地球から最も近い恒星(太陽を除く)は、ケンタウルズ座のα星で4.4光年の距離だ。
マイナス0.1等星と、太陽を除く恒星では3番目の明るさなのに、有名な名前が付いていないのは、南天の星座で北半球からは見えにくいからだろう(一応リギル・ケンタウルスという名前はある)。
アルタイルは17光年、ベガは25光年と比較的近いが、シリウスに次いで2位の明るさを誇るりゅうこつ座のカノープス(マイナス0.7等星)は309光年と、圧倒的に遠い。
それでもケンタウルズ座α星よりも明るいのだから、それと同じ4.4光年の位置にあったとしたら、どれだけの光度になるのだろう。
地球から見た明るさを視等級といい、実際の明るさを絶対等級という。
絶対等級は、地球から10パーセク、即ち32.6光年離れた場所に星があった場合の明るさだ(1パーセクは3.26光年)。
ちなみにカノープスの絶対等級はマイナス5.6等級で、シリウスの1.4等級よりも遥かに明るい。
それでもシリウスの絶対等級は明るい方で、ケンタウルズ座α星は4.3等級とかなり暗い星になる。
ベガは0.6等級で視等級とさほど変わらず、アルタイルは2.2等級でやや暗い。
彦星様も織姫様には頭が上がらないといったところか。
夏の大三角の中で最も暗いデネブの絶対等級はマイナス6.9等級と、アルタイルやベガとは比べ物にならないほど明るい星ということになる。
なにしろデネブまでの距離は1411光年と、アルタイル(17光年)やベガ(25光年)よりも遥かに遠いのに、1.3等星という光度を保っているのだから。
ちなみに1等星の中で絶対等級1位はオリオン座のリゲルで、マイナス7等級の明るさだ(2位はデネブ)。
では、我らが太陽の絶対等級はどうか。
地球から32・6光年離れた太陽は、どれぐらいの明るさに見えるのだろう。
よく似た距離の1等星は、36.7光年にある4位のうしかい座・アークトゥルスで0等星だ(絶対等級はマイナス0.3等級)。
太陽の絶対等級は……、なんとたったの4.8等級。
ケンタウルズ座α星の4.3等級よりも、まだ暗い。
肉眼で見える星は6等星までと言われているが、東京や大阪などの大都会では4.8等星を見つけるのはまず無理だ。
もしアークトゥルス系の惑星に宇宙人がいたとしても、太陽は名前すら付けてもらえないだろう。
1等星の中で太陽よりも暗い星はなく、唯一似ているのはケンタウルズ座α星だけだ。
いや、2等星まで枠を拡げても、絶対等級が4等級台なのは太陽とケンタウルズ座α星だけで、3等級台の恒星すらない。
太陽は、宇宙的に見ればかなり暗い星の部類に入るのである。
しかも、我々地球人が見ている星は、銀河系の中でも極々近い距離にある。
先述したデネブまでの距離は1411光年、1等星、2等星を合わせて最も遠い距離にあるのがおおいぬ座のη星で1988光年だが、銀河系の直径はなんと約10万光年(半径は5万光年)もあるのだ。
太陽系があるのは、銀河系の中心部から約2.8万光年も離れた、ハッキリ言うと田舎である。
某都知事ふうに言えば、銀河系の中心が東京23区部で、太陽系は奥多摩にあるといったところか。
2000光年ぐらいなら明るい星だと「星」と認識できるが、それより遠くなると肉眼では星とはわからず、天に流れる川のように見える。
それが、七夕の日に彦星様と織姫様が年に一度だけデートする天の川だ。
地球は銀河系の中にいながら銀河系を俯瞰できるのは、銀河系の端っこにあるからかも知れない。
銀河系の中心部から見れば、太陽なんてあってなきが如しの存在だろう。
こんなちっぽけな恒星系に高等生物が宿っているなんて、想像すらできないに違いない。
なお、星の明るさが温度に比例するわけではないが、太陽の表面温度は6,000℃と恒星の中ではかなり低い。
ちなみに、地球から見える最も温度が高い星は2等星のとも座・ζ星(ナオス)で、表面温度はなんと42,000℃(1083光年、絶対等級はマイナス5.4等級)。
太陽の7倍も熱い。
夏になると「太陽はなんて熱いんだ」と思ってしまうが、実際には暗くて温度が低い恒星、空の王様どころかハッキリ言うとかなりショボい星だということがわかる。
もし太陽の距離にナオスがあったとしたら、地球はどうなるか。
金星どころの灼熱地獄ではなく(金星の表面温度は約460℃)、地球上の水は干上がってしまい、とても生命は育たなかっただろう。
太陽程度の暗くて温度が低い星で、地球ほどの距離を保ち、地球程度の大きさがあったからこそ、我々人類が誕生したのだ。
この奇跡的とも言える絶妙なバランスこそ、生命の源である。
地球が「奇跡の星」と呼ばれる所以だ。
宇宙規模から見れば暗くて温度が低い太陽も、ショボすぎるぐらいでちょうど良かった