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ネターランド王国

国王:ハードフォーク安威川トークン

ネターランド王国憲法

第1条 本国の国名を「ネターランド王国(英名:Kingdom of the Neterlands)」と言う。
第2条 本国の国王は「禁句゛(=きんぐ)、戒名:ハードフォーク安威川トークン」とする。
第3条 本国は国王が行政・立法・司法の三権を司る、絶対王制国家である。
第4条 本国の公用語は日本語とする。それ以外の言語は国王が理解できないため使用禁止。
第5条 本国唯一の立法機関は「日記」なる国会で、国王が一方的に発言する。
第6条 本国の国民は国会での「コメント」で発言することができる。
第7条 「コメント」で、国王に不利益な発言をすると言論弾圧を行うこともある。
第8条 「コメント」で誹謗・中傷などがあった場合は、国王の独断で強制国外退去に踏み切る場合がある。
第9条 本国の国歌は「ネタおろし」とする(歌詞はid:aigawa2007の「ユーザー名」に記載)。
第10条 本国と国交のある国は「貿易国」に登録される。
第11条 その他、上記以外のややこしいことが起きれば、国王が独断で決めることができる。

想い出のフィールド(38)〜札幌ドーム、札幌市円山球場

札幌ドーム、札幌市円山球場(行った回数:各0回)


北海道日本ハム・ファイターズの本拠地である札幌ドームは2001年に開場した。
と言ってもファイターズのために造られたわけではなく、札幌市が2002年の日韓共催サッカーワールドカップ会場として名乗りを上げ、元々はドーム球場建設が計画されていたが急遽、野球とサッカーがプレーできる世にも珍しい競技場に変更された。
普通、野球とサッカーを共用しようとすれば、野球場にサッカー用のピッチを描く、というものだが(実際その方法で、阪神甲子園球場でJリーグの試合が行われたことがある)、札幌ドームの場合は野球用とサッカー用のフィールドを別々に造る、という方法が用いられた。
そこで採用されたのが、まず野球用のドーム球場があって、天然芝のサッカー場を芝生養生のために屋外に出しておき、サッカー使用時にはサッカー場をドーム内に移動させるという「ホヴァリング・システム」と呼ばれる世界初の画期的な方式である。
サッカー場は「ホヴァリング・サッカーステージ」と呼ばれ、この方式により完全ドームでありながら天然芝でサッカーが行えるという、日本唯一のスタジアムとなった。


しかし、ワールドカップが終わった後が問題だった。
ワールドカップを開催した自治体が、建設した巨大なスタジアムのために、建設費と維持費で後々苦しむ例が多々あったが、札幌もそうなりかねなかった。
サッカーの方はJリーグのコサンドーレ札幌がホームスタジアムとして使用するので問題はないが、それでもサッカーだけでは試合数が少ないため、いかんせん稼働率が悪い。
普通の競技場ならそれでもいいかも知れないが、何しろサッカー場をドーム球場の中に出し入れして使用するという贅沢な造りだから、それではとても採算が合わない。
プロ野球を開催するといっても年に数回だから、建設費と維持費を考えれば焼け石に水であり、札幌ドームを本拠地とするプロ野球チームがどうしても必要だった。


そこで親会社のコクドが札幌ドーム建設に関わったという縁で、西武ライオンズが準本拠地として使用する、という計画が浮かび上がった。
しかしこの計画には無理があった。
西武は既に西武ドームという自前の球場を持っていたし、埼玉と札幌という非常に離れた場所をダブルフランチャイズにするのは、選手に負担を強いるし、経費面でも無駄が多い。


そして、日本ハム・ファイターズが2004年から札幌ドームを本拠地とする、と発表。
当時の日本ハムは本拠地の東京ドームを読売ジャイアンツと共有していたのだから、この移転計画は妥当だった。
そもそも一つの球場を2球団が共有するという状態が異常なのである。
西武は初め反対したがやがて同意、オーナー会議でも承認されて、晴れて北の大地にプロ野球団が誕生した。
その後、コクドは不祥事により倒産したのだから、もし西武が準本拠地として使用していたら、今頃札幌ドームは宙ぶらりんになっていたかもしれない。
そう考えると、日本ハムはよくぞ札幌移転を名乗り出てくれたものである。


札幌ドームを本拠地とし、名称も北海道日本ハム・ファイターズと、札幌市民のみならず北海道民を意識したものに変更されたが、不安が無いわけではなかった。
まず、北海道の人は昼間に仕事を終えた後、夜にナイターを楽しむ、という習慣が無かったことだ。
札幌ドームで毎日ナイトゲームを開催しても、客が集まるか疑問だった。


それ以上に不安だったのが、北海道民の野球ファンはほとんどが巨人ファンだったという事実である。
そんな巨人ファンが、選手の名前もロクにわからないパ・リーグの試合を観に来るとは思えない。


だが、そんな心配は杞憂に終わった。
北海道民はおらが町のプロ野球チームを待ち望んでいたのである。
球団も地域密着に対する地道な努力を怠らず、今や札幌ドームは大盛況、パ・リーグいや12球団でも指折りの人気球団に成長した。
ちなみに、日本ハムがまだ東京ドームを本拠地としていた頃、その東京ドーム周辺で人気球団調査が行われたことがある。
結果は、1位はもちろん巨人、2位が阪神タイガースでこの2球団が約半数を占め、残る半数を10球団で分けあい、日本ハムはなんと最下位。
本拠地球場周辺で、そのチームが一番の不人気球団だったのだ。
当時のフランチャイズがいかに機能していなかったかを物語る数字である。
つまり、日本ハムの本拠地移転は大成功だったわけだ。
この大英断を下した日本ハム経営陣に拍手を贈ると共に、いつまでも東京ドームに居座り続けた同経営陣の怠慢さに罵声を浴びせたい。


本拠地移転は、ファイターズの野球も変えた。
東京ドーム、札幌ドーム共に両翼100m、中堅122mと全く同じだが、左・右中間に関しては東京ドームが110m、札幌ドームは116mと6mも違う。
狭い東京ドーム時代は長距離砲を揃えた「ビッグバン打線」が売り物だったが、広い札幌ドームに移って機動力と守りの野球に転身し、12球団No.1の外野陣を揃え、現在(2011年)までリーグ優勝3回、日本一1回の好成績を残した。
札幌移転後の僅か7年間でこの数字は素晴らしい。
ちなみに、札幌移転前の58年間はリーグ優勝2回、日本一1回だったから、いかに球団経営に熱を入れていなかったかがわかる。
後楽園球場を本拠地としていた1981年に優勝し、この年のセ・リーグ覇者が同じ後楽園を本拠地とする巨人だったため、日本シリーズは史上唯一の全試合同一球場開催という異常事態になった。
もちろん、後楽園に詰めかけたほとんどの客は巨人ファンで、日本ハムは全試合アウェー状態で戦わざるを得なかった。
2009年、日本ハムは日本シリーズで再び巨人と対戦、この時の札幌ドームはほとんどがファイターズ・ファンだった。
ファイターズはようやく我が家を得たのだ。


札幌ドームを見るといつも思うのが、北海道民の温かさである。
ファイターズの投手が2ボール0ストライクとなると、スタンドから拍手が沸き起こる。
もちろん、カウントが悪くなったのを喜んでいるわけではなく、投手を励ましているのだ。
こんなことは甲子園では考えられず、阪神の投手が2ボール0ストライクとなると、決まってヤジが飛ぶ。
そのため、阪神の投手陣には相当プレッシャーになっているようだ。
北海道のファンは温かいだけではなく、ここ一番では熱くなる。
稲葉ジャンプ」は今や全国的に有名になった。
こんなことは、東京ドーム時代では考えられなかっただろう。


札幌ドームに関してはいいことずくめのように書いてきたが、もちろん欠点もある。
野球専用ではなくサッカーと共用ということで、ファウルゾーンが異様に広いことだ。
つまりスタンドからフェアゾーンまで遠いわけで、臨場感に欠けてしまう。
また、構造上スタンドが急傾斜になっているので、一応手すりは付いているもののお年寄りには優しくない構造となっている。
また、人工芝はサッカー場を入れる際に巻き取られる仕組みになっているためフィールドターフを使用できず、選手への負担は大きい。
アクセス面でも、最寄駅の札幌市営地下鉄の福住駅から徒歩約10分とやや遠い。


とはいえ、北の大地の札幌で、プロ野球(NPB)とJリーグを楽しめるという希少価値を考えれば、日本でも有数のスタジアムと言えるのではないか。
なお、野球使用時の収容人員は40,476人と、パ・リーグの本拠地球場では最大のキャパシティを誇っている。


そんな札幌ドームが完成する前、北海道における野球場のメッカだったのが札幌市円山球場である。
北海道には梅雨がないので、梅雨の季節になると各球団が北海道遠征を企て、中でも巨人が毎年行っていた札幌シリーズでは必ず円山球場が使用された。
円山球場にはナイター設備がないためデーゲームで行われていたが、なぜかいつも平日だった。
ところが年に一度(大抵は3連戦だったが)の巨人戦ということで、平日の昼間にも関わらずいつも超満員だった。
テレビ中継は夜に日本テレビ系で録画放送していた。


両翼は98mと当時としては広く感じるが、中堅が117mと奥行きが狭く、ホームランが出やすい球場でもあった。
巨人の桑田真澄がプロ初完封したのも円山球場で、この時は桑田自らがバックスクリーンへのホームランを放っている。
巨人が毎年遠征していたため、逸話も巨人戦絡みで多く残っている。
中でも有名なのが1978年の広島東洋カープ戦で、巨人投手陣が1イニング10四死球という日本プロ野球史上ワースト記録を残している。
また、1988年に巨人の吉村禎章が栄村忠広と激突、大怪我を負ったのもこの球場だった。


収容人員は25,000人と地方球場としては充分な大きさを誇るが、札幌出身のライターである佐野正幸によると「バックネット裏の席でも背もたれなし、売店は整っているとは言えないし、トイレも綺麗とは言い難い」と、スタンドはお粗末だったようである。(「あの頃こんな球場があった(草思社)」より抜粋)。
年に数試合しかプロ野球開催がない地方球場としては仕方がないところか。


でも、夜に録画中継で見る円山球場は、こちらは梅雨でジメジメしているのに札幌には陽光が降り注いでいて、実に爽快で羨ましかったのを憶えている。
なお、札幌ドームが完成してからは、円山球場での巨人戦は行われていない。




1978年の円山球場での巨人×広島戦(1イニング10四死球の試合ではない)