龍間ぐりーんふぃーるど(行った回数:3回)
龍間ぐりーんふぃーるどと聞いても、この球場の名前を知っている人はほとんどいないだろう。
大阪府にあるのだが、大阪の野球ファンでもその存在を知るものは少ない。
なぜか?
二軍を含むプロ野球(NPB)の試合が開催されたことがないことはもちろん、夏の高校野球大阪大会でも使用されたことはないのだ。
ちなみに、夏の大阪大会の使用球場は7球場、そのうち大阪ドームは開幕日のみの使用なので、事実上6球場である。
大阪とほぼ同じ参加校数の神奈川では12球場、愛知で10球場だから、大阪の使用球場がいかに少ないかがわかる。
そのため、大阪大会は日程消化に時間がかかり、決勝戦が行われるのはいつも全国で一番最後だ。
そんな球場難の大阪なのに、なぜ龍間ぐりーんふぃーるどを使用しないのだろう。
球場が狭いから?
いやいや、両翼96m、中堅120mと高校野球としては充分な広さで、大阪大会使用球場ではこれより狭い球場など複数ある。
フィールドは内野が土、外野は天然芝で、スコアボードは磁気反転式、そしてこのレベルの球場には珍しくナイター設備がある。
収容人員が682人と貧弱なのがネックだが、3回戦ぐらいまでなら使えるかも知れない。
実はこの収容人員以外に、大きな問題があるのだ。
交通アクセスが悪いのである。
いや、悪過ぎるのである。
最寄駅はJRの片町線(学研都市線)の住道駅だが、ここからバスで20分ぐらいかかる。
しかもそのバスが1時間に1本程度と、不便極まりない。
となると車で行かなければならないのだが、これが大変だ。
大阪市内の梅田付近からだと、国道1号線を東へ走る。
国道1号線は蒲生四丁目で左に曲がるが、左折せずにそのまま直進すると府道8号線に入る。
その府道8号線をひたすら東へ進むと、だんだん山間の風景が見えてくる。
大東市で大阪外環状線(国道170号線)と交差すると、そこから向こうは阪奈道路だ。
阪奈道路の山道をグネグネ曲がりながら登っていくと、左側に「龍間ぐりーんふぃーるど」と書かれた看板があり、そこを左に入るとようやく龍間ぐりーんふぃーるどに到着する。
標高にすると600mぐらいはあるだろうか、要するに生駒山の山頂付近に球場があるのだ。
もう少し東へ行くと、そこは奈良県である。
周りには店など何もないので、行く際には下界(!)で何か購入してから行った方がいいだろう。
行きはまだマシだが、帰りはもっと悲惨なことになる。
阪奈道路は中央分離帯があるので、大阪側の車線に直接行くことができない。
そのため、わざわざ奈良側に一端入って、どこかでUターンしなければならないのだ。
なぜこんなヘンピな所に球場を造ったのか理解に苦しむが、仮に夏の大阪大会を開催したところで、とても客は集まらないだろう。
他の都道府県にはもっと不便な球場があるかも知れないが、大阪のほとんどの球場はアクセスがいい所にあるので、龍間ぐりーんふぃーるどまで行くのは大阪の野球ファンにとって苦痛に違いない。
ところが、関西独立リーグでは公式戦が使われている。
実は僕が初めて関西独立リーグでのサブ公式記録員としてスコアを付けたのも、この龍間ぐりーんふぃーるどだった。
サブというのは、この時の僕は公式記録員の経験がなく、この後日に公式記録員デビューが決まっていたので、一度経験しておこうと無理を言ってお願いしたのだ。
この時は雨天順延が続いてこの日に日程がずれ込んだらしく、急遽龍間ぐりーんふぃーるどでの試合となったようだ。
しかもビリケーンズの前期優勝がかかった試合で、こんなヘンピな場所に報道陣も来ていた。
何しろこの年に関西独立リーグが発足して、初めての優勝が決定するかも知れないのである。
そして見事、この日ビリケーンズが勝って前期優勝を果たし、村上隆行監督(元・近鉄)が胴上げされた。
こんなヘンピな所にある球場だが、実は大阪桐蔭高の練習グラウンドがすぐ近くにある。
大阪桐蔭は練習試合で龍間ぐりーんふぃーるどを使用しているようだ。
大阪桐蔭時代の中田翔(現・日本ハム)が練習試合で、高校通算本塁打新記録(当時)となる87号ホームランを打ったのもこの球場だった。
関西独立リーグでの初優勝の瞬間に、高校通算本塁打新記録、無名の球場がこんな歴史的瞬間を見届けていたのである。
中田翔が龍間ぐりーんふぃーるどで放った、高校通算87号本塁打の新記録