大阪城ホール(行った回数:3回)
大阪城ホールが開場したのは1983年のこと。
収容人員はスタンド、アリーナを含めて16,000人を誇り、完成した当初は東京の日本武道館を上回る日本最大の屋内施設だった(横浜アリーナの開場は1989年)。
それまで大阪におけるインドアスポーツのメッカといえば大阪府立体育会館だったが、規模の大きさから大阪城ホールが圧倒している(手許の資料によると、大阪府立体育会館第一競技場の収容人数は、プロレス開催時で約6,500人)。
特に集客が見込めるプロレスやバスケットボールなどのビッグイベントでは大阪城ホールが使用されるようになった。
スポーツ以外でもコンサート会場としても大きな地位を占め、アーティストにとって大阪城ホールが大きな目標となっている。
現在では大阪ドームが最大の屋内施設だが、音響の面や適正なキャパシティを考えれば、大阪城ホールが大阪におけるコンサート会場のメッカと言ってもいいだろう。
かくいう僕もスポーツイベントで大阪城ホールに来たことはなく、3回の内2回はコンサート、1回は僕自身が競技者となった。
その競技とは日本テレビの全国高等学校クイズ選手権(高校生クイズ)である。
その時は第2回大会だったが、僕が参加したのは初めてだった。
この頃は現在のように都道府県別の予選ではなく、近畿地区から数組が全国大会出場というシステムだった。
当時も同じ高校の3人組が参加条件だったため、同級生のS(ナゴヤドームや広島市民球場に一緒に行ったSとは別人)とHを引き連れて(もちろん僕がリーダーである)、いざ大阪城ホールに乗り込んだ。
JRの大阪環状線に大阪城公園駅があるが、ここから歩いてすぐの所にある。
そもそもこの駅ができたのも、大阪城ホールの完成に合わせてのことである。
森ノ宮駅と京橋駅の間に造ったため、駅間距離は非常に短い。
現在では大阪市営地下鉄の長堀鶴見緑地線の大阪ビジネスパーク駅からでも行くことができる。
変わった交通手段としては、アクアライナーという水上バス乗り場もすぐ近くにある。
大阪城ホールに着くと、スタンドに入る前に○×クイズ(正確にはYES・NOクイズ)が2問張り出されていた。
「大阪城の蛸石と、エジプトのピラミッドにある一番大きな石では、蛸石の方が大きい」
「現在、レコードデビューしている高校生は、東日本出身者の方が西日本出身者よりも多い」
という2問だったと思う。
問題を読んだら、既定の時間までに「○○」「○×」「×○」「××」の四つの内のいずれかのスタンドに入場する。
制限時間まで、電話などで他の人のアドバイスを受けられるわけだが、僕たちはそんなことはせずに自分たちの判断で(ハッキリ言うと僕の独断で)「○×」のエリアに入ったと記憶している。
制限時間いっぱいとなり、四つのエリアに分かれたスタンドもほぼ満員となった。
アリーナには司会のトメさんこと福留功男が出てきた。
もちろん「ニューヨークへ行きたいかー!」ではなかったが、「青春真っ只中、燃えているか!」と叫んだだけで「オー!」と地鳴りのような声が大阪城ホール内に響き渡り、この興奮を味わえただけでも来た甲斐があったと思った。
トメさんが「正解はこれだ!」と言って電光掲示板に映し出されたのは「○×」。
僕たちのスタンドからは大歓声が湧き上がり、残り4分の3のスタンドはシーンと静まり返った。
僕たちは喜び勇んでアリーナに降り立った。
最初はイヤイヤ付き合っていた感があったSが一番ハシャいでいた。
いよいよアリーナを踏みしめることができた。
世界の一流選手がプレーしたフロアである(もっとも、後にコンサートでアリーナ席に座ることになるのだから、大したことはないのだが)。
アリーナに降りてからも○×クイズは続いた。
トメさんもすぐ間近で見た。
僕たちは次々と正解を続け(もちろん僕の独断によるものである)、最初から連続6問も正解した。
そしてあと1問正解すれば二次予選のマラソンクイズに進出するところだったが、ここで残念ながら不正解で、一次予選敗退となった。
でも、僕たちは満足だった。
アリーナに降りることができたし、トメさんを間近に見ることができたし、何よりもこれだけ正解すれば、絶対にテレビに映っていると確信したからだ。
ところが、後日この放送を見ると、映し出されていたのは最初の2問(つまりスタンドでのクイズ)とマラソンクイズだけで、僕たちがアリーナを走り回っていた3〜7問目までは見事にカットされていた。
実に残念だったが、大阪城ホールにおける一番の想い出である。
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