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安威川敏樹のネターランド王国

お前はチョーマイヨミか!?

ネターランド王国憲法

第1条 本国の国名を「ネターランド王国(英名:Kingdom of the Neterlands)」と言う。
第2条 本国の国王は「禁句゛(=きんぐ)、戒名:安威川敏樹」とする。
第3条 本国は国王が行政・立法・司法の三権を司る、絶対王制国家である。
第4条 本国の公用語は日本語とする。それ以外の言語は国王が理解できないため使用禁止。
第5条 本国唯一の立法機関は「日記」なる国会で、国王が一方的に発言する。
第6条 本国の国民は国会での「コメント」で発言することができる。
第7条 「コメント」で、国王に不利益な発言をすると言論弾圧を行うこともある。
第8条 「コメント」で誹謗・中傷などがあった場合は、国王の独断で強制国外退去に踏み切る場合がある。
第9条 本国の国歌は「ネタおろし」とする(歌詞はid:aigawa2007の「ユーザー名」に記載)。
第10条 本国と国交のある国は「貿易国」に登録される。
第11条 本国の文章や写真を国王に無断で転載してはならない。
第12条 その他、上記以外のややこしいことが起きれば、国王が独断で決めることができる。

南天群星

今日、テレビ朝日の「ミュージックステーション」で、サザンオールスターズの特集をやっていた。
サザンは若い頃から大好きで、カラオケを始めたころはサザンばっかり歌っていた記憶がある。


意外に思われるかも知れないが、サザンのメンバーが初めて顔を合わせたのは、ドラムスの松田弘と、現在は脱退したギターの大森隆志
彼らは中学生の時に宮崎で知り合い、バンド活動を始める。
この二人が後にサザンのメンバーとして日本一のバンドのメンバーになるとは夢にも思っていなかっただろう。


時はグーンと飛んで、ボーカルの桑田圭祐が青山学院大学に入学した。
ここで桑田はベースの関口和之と出会い、バンドを組む。
1年後、大森とキーボードの原由子が青学に入学し、桑田のバンドに入った。
このバンドは何度も名前を変え、メンバーの入れ替わりも激しかったが、バンド名は桑田の友人が入浴中に思いついたという「サザンオールスターズ」に落ち着く。
サザンオールスターズ」は青学内では有名なバンドとなり、当時アマチュアバンドの登竜門と言われた「ヤマハEastWest」に参加することとなる。
この頃、宮崎で高校を中退してバンドマンをしていた松田が、大森を慕って上京する。
実力を買われた松田は青学生ではないのに「サザンオールスターズ」のドラムスとしてメンバーに加わることとなる。


大森はもう一人、メンバー入りを打診していた。
大森がバイトしていたライブハウスに入り浸りしていて、トカゲの如く嫌われていたパーカッションの野沢秀行である。
野沢って知らん?
要するに、毛ガニのことだ。
大森は熱心に「サザンオールスターズ」入りを誘ったが、毛ガニは「俺はセミプロだからさあ。今さら学生バンドに入れったって……」とメンバー入りを渋った。


そして迎えた「ヤマハEast&West」で桑田がベスト・ボーカリスト賞を受賞。
一気にプロデビューの気運が高まった。
意外なことに、このときのメンバーに関口の名前はない。
プロデビューに向けてのメンバー補強のために関口がベースとして加わった。
この時点での「サザンオールスターズ」メンバーは、V.桑田圭祐、G.大森隆志、B.関口和之、Ds.松田弘、Key.原由子の5人だった。


ここで焦った人間がいた。
そう、あの毛ガニさんである。
毛ガニはカレーを食いながら大森に言った。
「俺さあ、セミプロだけどさあ、準メンバーとして参加してやってもいいよ」

……。
言うに事欠いて「準メンバー」とは。
毛ガニは自分の立場がわかっていたのだろうか。
それはともかく、「サザンオールスターズ」はいつの間にか参加したPer.毛ガニ野沢秀行を加えた6人でプロデビューすることとなった。


その後の活躍はここで書くまでもないこと。
そして凄いことは、問題を起こして脱退した大森以外、プロになってから一度もメンバー交代が行われていないことだ。
30年もの間、6人もメンバーがいるバンドとしては稀有の例と言っていい。
しかもその間、日本の音楽シーンを30年間ずっとリードしてきたのだ。


もちろん、サザンの中心は桑田であり、桑田の才能によってサザンが支えられてきたのは事実であるが、メンバーの半分が、既に脱退した大森が連れてきた人間であることを忘れてはならない。
松田のテクニックと毛ガニの人間性がなければ、いくら桑田の実力があっても、デビュー間もなくして解散していただろう、と言われる。
それだけに大森の不祥事は残念に思われる。


今日の「ミュージックステーション」では、サザンの曲の人気投票発表も行われていた。
1位の「真夏の果実」は納得だったが、意外だったのは2位の「希望の轍」。
もちろん、この曲はいい曲なのだが、なぜ意外だったのか。


この「希望の轍」はシングル曲ではない。
それだけでも数ある名曲の中で2位に選ばれるというのは驚きだが、なんとサザンオールスターズ名義の曲ではないのだ。


この「希望の轍」は桑田が監督を務めた映画「稲村ジェーン」の挿入歌で、クレジットは「稲村オーケストラ」である。
この「稲村オーケストラ」のボーカルはもちろん桑田だが、それ以外にサザンのメンバーはいない。
ちなみに、「希望の轍」は映画サウンドトラックの「稲村ジェーン」に収録されていて、このアルバムのクレジットは「SOUTHERN ALL STARS and ALL STARS」となっている。
このアルバムには、サザン名義の「真夏の果実」や、稲村オーケストラ名義の「稲村ジェーン」などが混在している。
サザンの楽曲の編曲はほとんど「サザンオールスターズ」であるが、「希望の轍」の編曲は小林武史である。


もちろん、「希望の轍」はサザンのライブでも何度も歌われ、現在ではサザンの曲として認知されている。


希望の轍」がサザンの曲であるかどうかはさておき、数えきれないヒット曲があるサザンの曲の中で、シングルでもない曲が2位に輝いているという事実に驚かされる。
他にもシングル曲ではない、筆者も大好きな「栞のテーマ」が8位にランクされていたのが嬉しかった。
この曲には甘酸っぱい思い出がある。


単なるヒット曲だけではなく、世間の注目を集めにくいアルバムの中にこれだけの名曲を秘めていたのがサザンの強みだったのだろう。


安易に目先のシングルヒットばかり狙う昨今の音楽シーンには教訓となる出来事ではないか。