日米共に野球界も大詰めを迎えつつある。
アメリカではナ・リーグチャンピオンシップでロッキーズがダイヤモンドバックスをスイープし、ワールドシリーズ進出を決めた。
レギュラーシーズン後半からロッキーズ及び松井稼頭央が絶好調だった。
ア・リーグでは、レッドソックスの松坂が打ち込まれ、インディアンス相手に1勝2敗と負けが先行。
日本ではパ・リーグCS第二ステージで、マリーンズがファイターズに勝ち、2勝2敗のタイに。
日本シリーズ出場は明後日の最終戦に持ち込まれた。
そんな野球の話で最近注目されているのが、清酒「黄桜」のCM。
小林繁と江川卓が、実に28年ぶりに対談しているのだ。
このCMを見るだけでは、今の若い人にはなんのことかサッパリわからないだろうが、この二人がいかに運命の奇妙な糸に操られていたか、簡単に説明しよう。
作新学院高校時代、甲子園で怪物ぶりを発揮して史上最高の投手と言われた江川は、1973年(昭和48年)のドラフト会議で阪急ブレーブス(現・オリックスバファローズ)に一位指名を受けた。
しかし江川はこれを拒否、法政大学に進学した。
法大進学後、江川は東京六大学史上二位となる47勝を挙げ、再びドラフトの目玉に。
'78年のドラフトではクラウンライターライオンズ(現・西武ライオンズ)から一位指名を受けたが、あくまでも巨人入団の意思を貫いて入団拒否、アメリカで1年間浪人生活を送った。
そして迎えた'78年のドラフト、巨人が江川獲得のためのウルトラCを放った。
ドラフトの規約では、入団交渉権は前年のドラフト会議日から翌年のドラフト前々日、とある。
ということは、ドラフト前日はどの球団にも拘束されておらず、それならこの日に契約してしまえ!と、巨人は江川と一方的に入団契約してしまったのだ。
これが俗に言う「空白の一日」事件である。
もちろん、こんな屁理屈を連盟は認めず、巨人側はこれを不服として翌日のドラフトをボイコットした。
結局、翌日のドラフト会議は巨人不在のまま行われ、江川の入団交渉権は阪神が獲得した。
しかし巨人は、全球団が揃わないドラフト会議は無効だとして、江川の巨人入団が認められなければ連盟脱退、新リーグ設立も辞さないと強行手段に出た。
もちろん、いくら大巨人軍とはいえ、そこまで強硬手段に出ることはできず(その度胸もなく)、江川問題は平行線を辿ったままだったが、年明けに事態は動いた。
金子鋭コミッショナーが「江川は速やかに阪神に入団せよ。そして巨人とトレードを行えばいい」という「強い要望」を出した。
「強い要望」とは、意見を求めるのではなく、「つべこべ言わずに言うことを聞け」という意味である。
結局、キャンプ直前の'79年1月31日、江川は阪神と入団契約。
同日、江川は巨人にトレードされた。
そのみかえり選手となったのが、当時は巨人のエースだった小林だった。
小林は翌日の2月1日から始まる宮崎キャンプのために羽田空港にいたが、そこでの突然の非情なトレード通告だった。
このトレードにより、わがまま江川、かわいそうな小林というレッテルが貼られた。
そしてこの年、小林は古巣巨人に対して意地の8勝0敗で、しかも22勝を挙げて見事に沢村賞。
逆に江川は阪神戦で何度もKOされ、ファンの溜飲を下げた。
簡単に説明する、と言いながら結構長くなってしまったが、それぐらい当時としては衝撃的な事件だったのだ。
話を「黄桜」のCMに戻すと、両者がちゃんと顔を向けて話をするのは28年ぶりだという。
球場で顔を合わせても、お互いに声をかけることはなかった。
江川は、小林さんには謝罪をしたかったが、会うのが怖かったと語っている。
ということは、ちゃんと話すのは「28年ぶり」ではなく、「初めて」ではなかったのか?
実は、江川と小林は世紀のトレードの直後に会っている。
このことは、江川原作のマンガ「実録たかされ」に描かれていた。
江川の証言によると、トレード成立後に、当時婚約者だった現夫人の正子さんとレストランに行ったとき、偶然そこに小林がいたという。
江川は小林に謝罪をしようとすると「わかってるから気にするな」と小林が言ったそうだ。
江川は、こんな仕打ちを受けたにもかかわらず、自分を許してくれるのかと感激し、そのことを正子さんに伝えて二人で泣いた、と証言している。
しかし「実録たかされ」の作画を担当した本宮ひろ志のプロダクションの取材によると、小林は全く違うことを言っているという。
小林が江川とこのレストランで会ったとき、「僕はこの店の常連だから、あまり荒らさないで下さい」と江川が言ったそうだ。
このときに小林は「なんて常識のないヤツだ」と思ったという。
当然だろう。
要するに小林が「わかってるから気にするな」と言ったのは、こんなレストランで偶然に会った場所で謝罪するのではなく、謝罪したければちゃんと俺に会いに来い、という意味だったのだ。
しかし江川はそうはとらえず、自分が迷惑をかけた小林さんが許してくれたと、そのことだけが嬉しかったのだろう。
そして、江川は小林に直接謝罪することはなかった。
小林には既に許してもらったという安堵感と、直接謝罪に行く怖さが交錯していたのかも知れない。
だがこんなこと、日常生活ではよくあることではないか。
自分の言ったことが誤解される。
言われた人は、それがトラウマになってしまう。
しかし、言った自分はそんなことは全く憶えていない。
都合のいいところだけ憶えている。
江川は28年間、小林に対する申し訳なさで自ら壁を作っていた。
その壁で、小林も江川に歩み寄ろうとはしなかった。
それがCMという思いもよらない形で、二人の対談が実現した。
事前の打ち合わせは全くなく、3時間二人で話しあっていたという。
その様子はこちら↓