京都アニメーションに対する放火事件があったが、プロレス界でも50年以上前に放火騒ぎがあった。
若かりし頃のアントニオ猪木をエースとした「東京プロレス」で起きた事件である。
週刊ファイトにコラムを書きました。
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第1条 本国の国名を「ネターランド王国(英名:Kingdom of the Neterlands)」と言う。
第2条 本国の国王は「禁句゛(=きんぐ)、戒名:安威川敏樹」とする。
第3条 本国は国王が行政・立法・司法の三権を司る、絶対王制国家である。
第4条 本国の公用語は日本語とする。それ以外の言語は国王が理解できないため使用禁止。
第5条 本国唯一の立法機関は「日記」なる国会で、国王が一方的に発言する。
第6条 本国の国民は国会での「コメント」で発言することができる。
第7条 「コメント」で、国王に不利益な発言をすると言論弾圧を行うこともある。
第8条 「コメント」で誹謗・中傷などがあった場合は、国王の独断で強制国外退去に踏み切る場合がある。
第9条 本国の国歌は「ネタおろし」とする(歌詞はid:aigawa2007の「ユーザー名」に記載)。
第10条 本国と国交のある国は「貿易国」に登録される。
第11条 本国の文章や写真を国王に無断で転載してはならない。
第12条 その他、上記以外のややこしいことが起きれば、国王が独断で決めることができる。
JR西日本の初乗り切符、120円分を購入しただけで、近畿2府5県(三重県、滋賀県、京都府、大阪府、兵庫県、奈良県、和歌山県)を一周できるという裏技がある。
それが「大回り乗車」だ。
たとえば、大阪駅から福島駅まで大阪環状線で行こうとすれば、内回りの電車で僅か1駅である。
しかし、外回りの電車に乗って、遠回りしても決してキセル乗車ではなく、全くの合法なのだ。
それを、もっとスケールを大きくすると近畿一周も可能である。
たとえば、大阪環状線に捉われず、東海道本線や北陸本線、和歌山線などに乗車すれば、近畿2府5県を一周できるのだ。
ただし、これにはルールがある。
そのルールとは、以下のとおり。
○大都市近郊区間であること。
○「一筆書き」の路線を通らねばならず、路線や駅が重複してはならない。
○途中下車は無効で、当日中に全行程を終えなければならない。
大都市近郊区間とは、大阪近郊区間以外でも仙台近郊区間、東京近郊区間、新潟近郊区間、福岡近郊区間の4区間がある。
したがって、この5つの区間以外では、大回り乗車はできない。
2018年4月29日、遂に「120円で近畿2府5県一周、完全制覇の旅」が敢行された。
そのときの様子がこちら↓
前回では近畿2府5県一周という目標を達成したので、今回は旅をコンパクトにした。
それが「240円で近畿半周2府2県の旅」である。
一周から半周と、距離は半分になっているのに、運賃は倍になっているのは、これいかにってか(^_^;)
こういう矛盾が生じるのも、大回り乗車の醍醐味(?)である。
なぜ、今回は運賃を240円にしたのか?
これには訳がある。
初乗り運賃の120円に拘っていると、尼崎駅で8の字になるため、大回り乗車のルールでは兵庫県の内陸部を走ることができないからだ。
そこで今回は初乗り運賃の120円を諦め、大回り乗車で初となる福知山線や加古川線を通ろうとしたわけである。
これにはもう一つの狙いがあって、今年(2019年)に開通した、おおさか東線の新大阪に通ずる路線を通ろうと画策したのだ。
実行日は2019年7月20日、携行人数は筆者を含めて4人である。
しかし、数日前は台風5号が接近していたので、列車が遅延して続行不可能になるのではないかと思われた。
ところが、幸いにも当日の天気は良いとは言えないが、大した雨には見舞われなかったのである。
とはいえ、この楽観が後に災いをもたらすことになるのだが……。
今回の予定は以下の通り。
塚口(兵庫県)10:26発(福知山線)
↓
川西池田(兵庫県)10:37着 10:39発(福知山線)
↓
篠山口(兵庫県)11:26着 11:31発(福知山線)
↓
谷川(兵庫県)11:47着 12:10発(加古川線)
↓
加古川(兵庫県)13:31着 14:07発(山陽本線)
↓
大阪(大阪府)14:58着 15:13発(大阪環状線)
↓
奈良(奈良県)16:03着 16:23発(関西本線)
↓
京都(京都府)17:14着 17:29発(東海道本線)
↓
新大阪(大阪府)17:52着 18:09発(おおさか東線)
↓
鴫野(大阪府)18:22着 18:27(片町線)
↓
京橋(大阪府)18:29着
塚口駅に着いて、いったん改札口の外に出て、改めて240円切符を買い求める。
全員がかなり早く集合したので、予定より早い10時11分発の普通電車に乗り込み出発!
塚口駅を出発して、当初から降りる予定だった川西池田駅で降りる。
余談ながらこの駅名は、兵庫県の川西市と、大阪府の池田市を合わせており、県を跨いだ市名を採用する駅名など珍しいのではないか。
川西池田駅に宝塚行きの快速があったので、それに乗り込むことにした。
やがて、宝塚駅に到着。
あの、宝塚歌劇団の宝塚である。
もちろん劇場は見えないが、阪急電鉄の宝塚駅はバッチリ見えた。
都会的で洒落た雰囲気の宝塚を過ぎると、トンネルがやたら多くなって片田舎風景に染まっていく。
武田尾駅などは、半分がトンネル、半分が橋の上だった。
三田駅付近になると賑やかな様相になるが、そこを過ぎればまた田舎。
篠山口駅に到着した。
塚口駅を早く出発したのだが、篠山口駅に11時26分着は予定表通りである。
この駅までは、JR西日本では福知山線のことを「JR宝塚線」と呼んでいるが、これはあくまでも篠山口駅までの愛称であり、ここから先は正真正銘の福知山線だ。
大阪への通勤圏内となっている篠山口駅
篠山口駅を過ぎると、完全な田舎となる。
しかし電車は、丹波路快速と同じく2列転換クロスシートを採用しており、すこぶる快適だ。
ただ、ここから以降はICOCAなどのICカードは使えないそうで、知らずにICカードで乗車した人は大変だろう。
とはいえ車窓では、川沿いを走るので風景を存分に堪能できる。
篠山口を過ぎると、清流と並走
そして、谷川(たにかわ)駅に着いた。
ここで加古川線に乗り換えである。
ここからは筆者にとっても、未知の世界だ。
谷川駅は、乗換駅とは思えないほどのローカル駅。
何しろ、1本の電車を乗り過ごせば、3時間ぐらい待たないといけないのだ。
しかし今回は時刻表に合わせてスケジュールを組んでいたので、加古川線ホームでは既に電車が待機していた。
ローカル線ながら、2列転換クロスシートと1列転換クロスシートという、関空快速のような仕様。
もっとも、1両編成だが。
加古川線はほとんどが無人駅のため、路線バスのような整理券が発行されていた。
大回り乗車では不要なのだが、一応は谷川駅から乗った証拠になるし、記念に整理券を取っておいた。
谷川駅の加古川線ホームでは、既に1両編成の電車が待機
電車の中では整理券が発行されていた
電車が走り出すと、車窓に広がるのは、今までにも増してド田舎風景ばかり。
まさしく兵庫県の内陸部という感じだ。
田んぼや畑には、多くの白鷺が飛来している。
途中の本黒田駅には、あの黒田官兵衛の生誕地だと書かれていた。
ここで黒田官兵衛が何かをしたというわけではなく、ただ黒田官兵衛がオギャアと泣いただけだ。
そして、日本のへそ公園駅を通る。
西脇市は、子午線の東経135°が通っている市だ。
やがて西脇市駅に到着。
加古川線は直通運転をしておらず、西脇市駅で谷川方面に行く系統と、加古川方面へ行く系統に分かれるのだ。
したがって、ここで乗り換え。
ホーム移動のため、跨線橋を渡る。
左が加古川駅行き、右が今まで乗っていた谷川駅行き
加古川方面へ行く列車は、谷川方面と違い味気ないロングシートだが、2両編成となり、乗客が急に増えだした。
それでも無人駅は多く、加古川方面行きの電車でも整理券は発行されており、こちらも記念にもらっておいた。
相変わらず田舎を走るとはいえ、民家なども増えてくる。
そして、粟生(あお)駅に着いた。
後述するように神戸電鉄粟生線は乗ったことがあるが、北条鉄道には乗ったことがないので、ぜひ一度乗ってみたい。
徐々に車内も賑やかになり、厄神駅に到着。
この駅からかつて、三木鉄道が走っていた。
三木鉄道は2008年に廃止されたが、その直前に乗ったことがある。
三木鉄道は厄神駅と三木駅を繋いでおり、三木駅には前述の神戸電鉄粟生線が通っているので、その時に神戸電鉄粟生線に乗ったわけだ。
厄神駅に到着した、在りし日の三木鉄道(2008年3月25日撮影)
やがて、終点の加古川駅に着いた。
今までの田舎風景とは打って変わって、大都会の様相。
甲子園でのナイターが長引いて「加古川の人、帰られへんがな」と福本豊に言われた加古川とは思えない。
あるいは、今までが田舎過ぎて、その対比として加古川が大都会に見えるのか。
加古川駅の加古川線ホームから山陽本線(JR神戸線)のホームへ行くためには、中間改札を通らなければならない。
無人駅が多い加古川線での不正乗車を防ぐためだが、中間改札は前回の和歌山駅で経験済み。
駅員に経路図を提示し、大回り乗車であることを説明して、無事に中間改札を通り抜けた。
加古川駅での楽しみは駅グルメである。
JR西日本は駅グルメを堪能できる駅が少なく、以前は和歌山駅に駅そばがあったが、それも閉店した。
13時半過ぎと遅い昼食だが、ここで駅そばを堪能することにした。
同店舗は駅の改札内および改札外から入店できる。
改札内側はカウンターのみ、改札外側はテーブル席があって、もちろん仕切られており、厨房はその中間だ。
筆者は360円(安っ!)の「きつねえきそば」を注文(食券方式)。
出汁は和蕎麦だが、麺は中華麺となっており、天かすと七味をトッピングして食べた。
「きつねえきそば」。出汁は和蕎麦で中華麺と変わった風味だが、実に美味
腹ごしらえをして、山陽本線(JR神戸線)の長浜行き新快速に乗り込む。
加古川線の電車と違って、新快速は速い速い。
あっという間に駅を通過していく。
そこへ、新幹線がやってきた。
明石市内には、JR神戸線と山陽新幹線が並走する区間があるのだ。
このときにタイミングよく、新幹線が走ってきたのである。
JR西日本が誇る新快速と新幹線との競走、そうそう見られるものじゃない。
新幹線はあっという間に、新快速を抜き去ってしまった。
JR西日本ご自慢のスピード・スター新快速を問題にしないとは、さすが新幹線!(そりゃそうだろ)
明石駅を過ぎて、海と淡路島が見えてきた。
そして、今回の旅のポイントである明石海峡大橋も堪能できたのである。
海の向こうに見えるのは淡路島
日本有数の国際港である神戸港と、六甲山が迫っている景観が神戸の魅力だ。
海と山、両方が堪能できる大都市は、日本でもそう多くはないだろう。
港町・神戸に迫る六甲山系
芦屋や西宮、尼崎などの阪神間を通り過ぎ、新快速は大阪駅に着いた。
ここで大阪環状線の内回りと関西本線(大和路線)を走る大和路快速に乗り換える。
大和路快速も新快速と同じく快適な2列転換クロスシートで、奈良まで一っ飛びだ。
大阪駅の夜景(2012年11月10日撮影)
この日から夏休みとあって、環状線内は満員。
西九条駅からは桜島線(JRゆめ咲線)に乗り換えて、USJへ行くことができる。
大和路快速は京セラドーム大阪や通天閣、あべのハルカスの傍を通って、大阪環状線から関西本線(大和路線)に入った。
八尾市にある久宝寺駅を過ぎると乗客も減り、車窓の風景も大都会からまた田舎になっていく。
王寺駅を過ぎると法隆寺駅や郡山駅など、歴史的価値の高い駅を過ぎていく。
そして、奈良駅に到着した。
大和郡山市出身のジッタリン・ジン「夏祭り」
JRの奈良駅周辺。奈良市の中心街から外れた場所にあり、近鉄奈良駅に押されているが、近年では再開発が進む(2015年12月20日撮影)
ここまでは、心配されたダイヤの乱れもなく、予定時刻通り順調に進む。
しかし、思わぬ落とし穴が待っているのが大回り旅。
やはり、神様は運命の悪戯がお好きのようだ。
定刻通り16時3分に奈良駅を出発したみやこ路快速は、木津駅に到着。
ここは既に京都府で、正式な奈良線はこの木津駅を起点(というか終点)とし、京都駅まで至る路線だ。
つまり、奈良線と銘打ちながら奈良県内は一切走らず、京都府内のみを走っている路線である。
奈良線は単線となり、2列転換シートであることは変わらないものの、トコトコ進む。
木津駅から2駅目、みやこ路快速は棚倉駅という聞いたこともないような駅で停車した。
快速なのにこんなマイナーな駅に停車するということは、単線のために駅で行き違えをするらしい。
ところが、停車時間が長すぎた。
なんでこんな長い時間、停まっているのかとと思っていたら、やがて車内放送が流れる。
「踏切でのナンチャラのため、現在では運転を見合わせております」
ナンチャラの部分が聞き取れなかったが、要するに踏切でトラブルがあったために、この駅で停車しているようだ。
単線なのだから、トラブルがあると上り下りを問わず、全ての列車に影響が出る。
好事魔多しとはこのことか。
これまで、順調すぎるほど順調に進んでいた大回り旅、やはり一筋縄ではいかない。
ここで乗客としては、
「せっかく大回り旅をしてるのに、ダイヤが乱れたら旅を完遂でけへんやないか!」
とクレームの一つも付けたいところだが、却って、
「私どもJRとしては、そもそも大回り乗車などしていただきたくないのですが」
と言われてしまいそうだ。
結局、17分遅れで棚倉駅を出発。
これが後に影響を受けることになる。
ナンチャラのせいで遅れたものの、その後のみやこ路快速は奈良線を快走。
平等院がある宇治を通り、伏見城および伏見稲荷大社の近くも走る。
とはいえ、いずれも見ることはできなかったが。
定刻よりも17分遅れで京都駅に到着。
ナンチャラのおかげで、完全にスケジュールが狂った。
京都駅から東海道本線(JR京都線)の17時29分発の新快速に乗るはずだったが、17分も遅れては乗れるはずもない。
やむなく、次の新快速に乗ろうと思ったが、ここまで遅れてしまえば同じこと。
混雑が予想される新快速は避け、高槻駅以降は快速になるという普通電車に乗り込んだ。
この電車なら、確実に座ることができる。
予定より大幅に遅れて、新大阪駅に到着した。
本来なら新大阪から、3月16日に開通したおおさか東線に乗り込むところだが、ここでタイム・リミット。
残念ながら新大阪駅で降りて、おおさか東線に乗ることはできなかった。
塚口駅から、降りる予定だった京橋駅も、そして新大阪駅も、運賃は240円で全く同じ。
新大阪駅で、今回の近畿半周旅は終了した。
もちろん、駅員に言って切符を記念に持ち帰ったのは言うまでもない。
今回の乗車記念切符。真ん中にパンチが打ち込まれている
プロレスの定期中継がゴールデン・タイムから撤退して、30年以上が経つ。
プロレス中継の、地上波ゴールデン復帰の可能性はあるのか!?
週刊ファイトにコラムを書きました。
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今年(2019年)6月29、30日の2日間、メジャー・リーグ・ベースボール(MLB)がイギリスのロンドンに遠征して、ニューヨーク・ヤンキース×ボストン・レッドソックスの2連戦が行われた。
イギリスはもちろん、ヨーロッパでMLBの公式戦が行われるのは今回が初めてである。
普段はサッカーなどが行われるオリンピック・スタジアムを、このたった2試合のために、野球場に造り変えたのだ。
MLBの、欧州進出に賭ける意気込みがわかる。
この2日間で約12万人、即ち1試合平均で約6万人の観客動員だった。
野球不毛の地と呼ばれるイギリスだが、実は野球との関係は深い。
1938年に行われた第1回野球ワールドカップでイギリス代表は、ベースボールの母国であるアメリカ代表を4勝1敗で破り、初代チャンピオンとなっている(当時は英米の2ヵ国対抗)。
余談ながら、ラグビー15人制は戦前に4度、オリンピック競技になっており、そのうちの2回はアメリカ代表が優勝し、これは最多記録だ。
野球オンチのイギリスが野球ワールドカップで初代王者になったり、ラグビー・オンチのアメリカがオリンピックのラグビー競技で最多優勝を誇ったり、戦前は不思議な現象が起きている。
そもそも文献に初めて「Base-ball」という名称が現れたのは、1744年にイギリスで出版された「小さなかわいいポケットブック」という児童書だ。
また、ベースボールの元になったのは、イギリスのラウンダーズという球技だと言われている。
ただ、ベースボールのルーツがイギリスにあるとはいえ、現在のイギリスでは野球はやはりマイナー・スポーツ。
今回、1試合平均約6万人の大観衆を集めたとはいえ、ほとんどが在英米人か、アメリカから遠征してきた人ばかり。
現地メディアでも、電子版で試合結果を伝えたのみで紙媒体の新聞では報じられず、地上波中継もされなかった。
したがって、現地のイギリスでは、ロンドンで野球が行われたことすら知らないイギリス人が多かったという。
なぜイギリス人は、野球を受け入れないのか?
その理由の一つに、イギリス人はアメリカ生まれのものを受け付けない、という気質があるだろう。
イギリス人から見れば、アメリカなど伝統もなく、移民で構成されたポッと出の国。
わざわざ「アメリカごとき」のスポーツなどやる必要はないと思っている可能性がある。
その傾向は、むしろアメリカが世界最強国になった戦後の方が、より一層強まったのかも知れない。
だから、戦前の第1回野球ワールドカップではイギリス代表がアメリカ代表を破って優勝したのに、その後は廃れてしまったのだろう。
そして、もう一つの大きな理由は、イギリスでは同国生まれのクリケットが盛んだということだ。
ボールを投げてバットで打つ球技といえば、イギリスではクリケットを指す。
野球とクリケットはなまじ似ているから、却って「もう一つのスポーツ」がわからなくなるのだ。
これは、野球はよく知っている日本人が、クリケットのことはサッパリわからない、という点にも通じるだろう。
ちなみに、野球とクリケット、両方とも盛んな国は珍しく、世界でもオーストラリアぐらいではないか。
そのオーストラリアでも、野球とクリケット、どちらが人気があるのかといえば、クリケットの方である。
世界的な普及度では、野球よりもクリケットの方が上だろう。
さすが、かつては「日の沈まない国」と呼ばれた大英帝国の影響の強さがわかる。
たとえばイギリス人が野球を見て、どちらもスタンドに入る大飛球を打ったのに、ある時は得点となって(即ちホームラン)、ある時はストライクに数えられて(即ちファウル)、訳が判らなくなるだろう。
そもそも、ファウルは2ストライクまではストライクと数えるのに、その後は何球ファウルを打ってもストライクにならない、という理屈も判らないに違いない。
日本人だって、クリケットを見たときに、投手(ボウラー)の正面にゴロを打っても打者(ストライカー)が走らないのは、理解できないのと同じだ。
ちなみにクリケットでは、アウトになると判断したら、走る必要はない。
内野ゴロを打ったときに「アウトになると思っても全力で走れ!」と教えられる野球とは対照的だ。
今回のイギリスでのMLB公式戦では、1試合目が17-13、2試合目が12-8という、合計50点の大乱打戦だったが(ヤンキースの2連勝)、多くの野球関係者は「イギリス人に大味な試合を見せてしまった」と嘆いていた。
しかし、イギリス人は案外「投手陣がメチャメチャ頑張ってるなあ」と思っていたかも知れない。
何しろ、クリケットでは100点ゲームなど当たり前だからだ。
それどころか、1試合に100打点を挙げる選手もいる(これをセンチュリーという)。
アウトになると思えば走らなくてもいいうえに、360°どの方向に打ってもいいのだから、90°しか打てない野球に比べて4倍のヒットゾーンがあるわけだ。
そのため、クリケットではアウトを1つ取るたびに、守備側の選手たちはまるで優勝したかのように抱き合って喜ぶ。
野球で3割打者が一流選手と呼ばれることに対し、イギリス人は理解できないに違いない。
クリケットで、打って7割もアウトになる選手など、ヘボ打者以外の何物でもないからだ。
クリケットのルールに関しては、以下を参照していただきたい↓
クリケットでは、投手(ボウラー)は助走をつけての、ワンバウンド投球が普通
打者(ストライカー)は360°どこへ打ってもよく、ワンバウンド投球が多いためアッパースイングが基本
果たして、イギリス人に野球のルールを覚えてもらうことはできるのだろうか。
そのためには、クリケットを頭から外してもらって、まっさらな状態で野球を見ていただくしかない。
2019年7月6日、大阪府南部にある百舌鳥・古市古墳群がユネスコにより世界文化遺産に登録された。
中でも有名なのが、百舌鳥古墳群(堺市)にある仁徳天皇陵(大仙陵古墳)だろう。
仁徳天皇陵は、クフ王のピラミッドや秦の始皇帝墓陵と並ぶ世界三大墳墓と言われており、全長では仁徳天皇陵が他の2つを上回る。
ところで、仁徳天皇陵がある堺市に、クフ王の墳墓ほどではないとはいえ、ピラミッドがあるのをご存知だろうか。
それが堺市中区にある土塔(どとう)である。
土塔が築かれたのは、仁徳天皇陵(古墳時代)よりも新しい時代の奈良時代、727年のことだった。
行基が60歳の時、大野寺を創建した際にピラミッドのような階段状の土塔を築く。
発掘調査によると、土を盛り上げた一辺53.1m、高さ8.6m以上の十三重の塔で、各層には瓦が葺かれていたという。
土塔の全面に約6万枚もの瓦が葺かれ、各層の垂直面にも瓦を立てて風雨による盛土の崩壊を防いでいた。
土による塔が作られたのは、この土塔が初めてである。
大きさも日本最大と言われていおり、現存するのは堺の土塔と奈良の頭塔の2つだけだという。
2009年、当時の姿に復元され、現在では国指定の重要文化財になっている。
それでは、土塔がある土塔町公園を見てみよう。
西および南側から見ると、瓦が積んである
近付いてみると、瓦はこんな感じ
東および北側には草が生えている
公園内には土塔の模型もある
仁徳天皇陵をはじめとする百舌鳥古墳群に行った際には、土塔も訪れてみてはいかがだろうか。
最寄り駅は泉北高速鉄道の深井駅で、そこから歩いて1.1km、あるいは南海バスの堺東駅前行きに乗車、深井東町バス停で下車してすぐの所にある。
もしくは、仁徳天皇陵に近い南海高野線の堺東駅から深井駅行きの南海バスに乗り、やはり深井東町バス停で下車すればよい。