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安威川敏樹のネターランド王国

お前はチョーマイヨミか!?

ネターランド王国憲法

第1条 本国の国名を「ネターランド王国(英名:Kingdom of the Neterlands)」と言う。
第2条 本国の国王は「禁句゛(=きんぐ)、戒名:安威川敏樹」とする。
第3条 本国は国王が行政・立法・司法の三権を司る、絶対王制国家である。
第4条 本国の公用語は日本語とする。それ以外の言語は国王が理解できないため使用禁止。
第5条 本国唯一の立法機関は「日記」なる国会で、国王が一方的に発言する。
第6条 本国の国民は国会での「コメント」で発言することができる。
第7条 「コメント」で、国王に不利益な発言をすると言論弾圧を行うこともある。
第8条 「コメント」で誹謗・中傷などがあった場合は、国王の独断で強制国外退去に踏み切る場合がある。
第9条 本国の国歌は「ネタおろし」とする(歌詞はid:aigawa2007の「ユーザー名」に記載)。
第10条 本国と国交のある国は「貿易国」に登録される。
第11条 本国の文章や写真を国王に無断で転載してはならない。
第12条 その他、上記以外のややこしいことが起きれば、国王が独断で決めることができる。

大阪の「いらない子」河南町~その1

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大阪府の南東部に河南町という町がある。

しかし、その存在は大阪府民ですら知られていない。

以前、朝日放送(ABC)の「なるみ・岡村の過ぎるTV」というテレビ番組で、「大阪府でいちばん田舎なのはどの市町村か」というアンケートを取った。

しかし、その中に「河南町」という答えは1票もなかった。

 

河南町はそれほど田舎ではないということか?

否、そうではなかった。

要するに河南町」という町名を誰も知らなかったのである。

つまり、田舎かどうかという以前に、その存在すら認知されていないのが河南町ということだ。

存在を知らなければ、投票のしようがない。

それが河南町だったのである。

 

この結果を不憫に思ってか、後にこの番組では河南町の特番が組まれた。

しかし、その内容は惨憺たるものだった。

 

●大阪の不動産屋ですら河南町なんて知らない
●漢字は簡単なのに、町名を読める人がいない(「かなんちょう」と読む)
●町内に鉄道路線がなく、とある地区ではバスは1日4本だけ
●その地区の小学生は、通学にタクシーを使用しなければならない

 

こんな町に住んでいるヤツの顔が見たい!(鏡を見れば?)

筆者が「どこに住んでいるの」と問われれば、「河南町」と言ってもまず理解されないので、やむなく、

「つまり、富田林の近くで、富田林と言えばPLがある市で、花火が綺麗に見れるねん」

「富田林に住んでるの?」

「いや、その隣の町で……」

と、いちいち富田林のPLから説明せねばならず、実に面倒くさいことになる。

 

嗚呼!花の応援団」という漫画では、河南町がある南河内地区を舞台にしていたにも関わらず、河南町には「こうなんちょう」と、わざわざ間違えたルビが振られていた。

知らんのなら、ルビなんて振るな!

この漫画を描いたどおくまん南河内に精通していたはずだが、河南町の読み方を知らなかったのである。

 

では、河南町大阪府でいちばん田舎かというと、そんなことはない。

河南町の南隣りには、大阪府で唯一の村である千早赤阪村があるし、北隣りには河南町より人口が少ない太子町がある。

千早赤阪村や太子町に比べると、河南町はまだマシと思えるのだが、それ故に河南町は中途半端な田舎なのである。

要するに、個性が全くない。

 

千早赤阪村は、大阪府下で唯一の村として存在感があるし、楠木正成の根拠地としての知名度がある。

そして、大阪最高峰である金剛山と、二番目に高い大和葛城山があって、登山客が多い。

特に金剛山は、日本唯一の村営ロープウェイがあって、登山客でごった返している。

おそらく富士山と高尾山に次ぐ、日本有数の登山客が多い山だろう。

 

そして太子町は、町名でもわかるように聖徳太子ゆかりの町だ。

太子町内には、聖徳太子墓所となっている叡福寺がある。

さらに太子町には二上山があって、金剛山葛城山ほど高くないので、手軽なハイキングとして人気コースだ。

 

ところが、河南町にはなーんもない

二上山より高い山(岩橋山)はあるのに、一般的には全く知られていなくて、ハイカーなんてまず見掛けない。

早い話、山深いだけで、一般の人は寄り付かないのである。

田舎で人口は少ないわ、他から人はやって来ないわ、散々だ。

その点、観光資源がある千早赤阪村や太子町が羨ましい。

史跡も結構あるのに(西行法師の終焉地である弘川寺など)、全然有名じゃない。

要するに、河南町とは通り過ぎるだけの存在なのである。

 

千早赤阪村や太子町にあるのは、観光資源だけではない。

千早赤阪村には国道309号が通っていて、水越峠トンネルを抜けると奈良県に行くことができる。

太子町にも国道166号が通じており、竹内峠を越えれば、そこは奈良県だ。

つまり、千早赤阪村と太子町には奈良県に抜ける道があり、かなり重要な場所と言える。

実際に、国道309号(水越峠)と国道166号(竹内峠)は二車線の立派な道路で、交通量も多い。

流通道路として機能を果たしているのだ。

 

ところが、河南町にはそれすらない。

要するに、河南町には奈良県に抜ける道がないのだ。

河南町には観光資源もなければ、流通道路もない。

ハッキリ言って、河南町はクソの役にも立たないのである。

 

いや、河南町にも一本だけ奈良県に抜ける道がある。

それが「奈良県道・大阪府道704号竹内河南線(以下・大阪府道704号)」だ。

府道704号線は平石峠を越える道だが、府道と銘打ちながら車は通行できない

府道ならぬ「腐道」である。

 

文字通り腐った道、それが府道704号だ。

それでも奈良県側はまだマシ、舗装されているしそれなりに整備されている。

しかし大阪府側(つまり河南町)の道は、舗装もされていないし全く荒れ果てたままだ。

大阪府が管理しているはずなのに、全くのノータッチである。

 

府道でありながら、途中では倒木があってまともに進めない。

また、丸太階段があって、行く道を阻む。

どうやら大阪府は、府道704号を整備する気はないようだ。

 

つまり、大阪府にとって河南町とは全くのお荷物、いらない子なのである。

 

府道704号、平石峠越え。こんな悪道で「府道でござい」とよく言えたものだ

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付録①千早赤阪村から奈良県御所市に抜ける水越峠トンネル(平石峠と見比べて)

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付録②太子町から奈良県葛城市に抜ける竹内峠(平石峠と見比べて)

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名古屋~埼玉の最短ルート

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のっけからヘンな質問で恐縮だが、みなさんは名古屋から埼玉(さいたま市内)へ急いで行く時は、どんな方法を使うだろうか。

飛行機を利用するという手もあるが、名古屋市内からセントレア空港まではかなり遠いし、羽田あるいは成田空港から埼玉まで行くにも時間がかかる。

普通の人なら、名古屋駅から東海道新幹線に乗って東京駅まで行き、そこから東北・上越北陸新幹線に乗り換えて大宮駅まで行くだろう。

ケチな人は金銭感覚に優れた人は東京駅から大宮駅まで在来線を利用するかも知れないが、いずれにしても鉄道利用となる。

時間がかかっても構わないという人は夜行バスの利用となるが、どちらにしても随分遠い距離だ。

なにしろ愛知県を越えると、静岡県~神奈川県~東京都と、3つの都県をまたいでいるのだ。

 

ところが、もっといいルートを見つけた。

それが「長野またぎルート」である。

 

中部地方の地図をよく見てみると、長野県は愛知県とも、そして埼玉県とも接している。

つまり、愛知県と埼玉県は、僅か一県をまたいでいるだけなのだ。

要するに、東京都をまたいでいるだけの神奈川県と千葉県のような関係である。

いや、埼玉県にとっても、一県(一都)をまたいでいるだけという点では、愛知県も神奈川県も同じような存在と言える。

 

関西で生まれ育った人間にとっては、愛知県と埼玉県が一県をまたいでいるだけという近しい関係とは夢にも思わなかった。

というよりも、埼玉県と長野県が隣県同士だったことが驚きである。

では、実際に愛知県から埼玉県までの、一県またぎ(長野またぎ)ルートと新幹線ルートを見てみよう。

 

赤い実線が一県またぎ(長野またぎ)ルート、黒い点線が新幹線ルート

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おお、距離的にも長野またぎの方がやや短いように見える!

そこで、実際にはどんなルートになるか調べてみた。

すると……、愛知県から長野県に直通する鉄道路線なんてない!

愛知県から長野県へ行く路線としてJRの飯田線があるが、この線は静岡県内を通るので「一県またぎ」に反してしまう。

当然、JRの中央本線岐阜県内を通ってしまうのでダメだ。

 

まあいい、ここまでは想定内だ。

列車が使えないので当然、車での移動となる。

それでは、名古屋市からさいたま市まで、一県またぎのスタートだ。

 

名古屋市から長野県へ行くには、中央自動車道に乗るのが一番手っ取り早い。

ところが、中央自動車道中央本線と同じく岐阜県を通ってしまうのだ。

これもやはり「一県またぎ」に反する。

やむなく、東名高速に乗るとしよう。

 

……しかし、長野県内に入ろうと思えば、豊田あたりで降りなければならない。

高速道路走行区間、みじか!

東名高速を降り、国道153号を走って目指すは長野県境。

そして、県境の山もなんのその、遂に長野県に入った!

 

さらに国道153号を北東へ進んで辿り着いたのは飯田市

見えて来たのは、待っていたぞ中央自動車道

これで、心置きなくユーミンのカセットテープをデッキに挿入できる(いつの時代や)。

中央エキスプレスウェイを快適ドライブ、一気に諏訪湖まで北上だ!

中央自動車道は英語でCHUO EXPRESSWAYと言い、CHUO FREEWAYではない。日本にはフリーウェイと呼べる自動車道はなく、高速道路はエキスプレスウェイと呼ばれる。だからユーミンには正しく「中央エキスプレスウェェイ♪」と歌ってもらいたい》

 

……ところが、このまま中央自動車道を走り続けると山梨県まで行ってしまうので、ここで降りなければならない。

ふう、また一般道か。

今度は国道299号で標高2127mの麦草峠越え(ゲェ!)。

 

無事に麦草峠を越えて、このまま国道299号を走っていれば埼玉県に到達するのだが、その前に群馬県を通ってしまうので、国道299号からは離れなければならない。

国道141号やその他の道路を走り、ようやく埼玉県との県境の村、長野県川上村に辿り着いた。

ここからが最後の難関である。

 

なにしろ、長野県と埼玉県を結ぶ道路は1本しかない

標高1740mの三国峠越えが唯一のルートだ。

まずは長野県側から、川上村道192号梓山線(旧:梓山林道)に入る。

では、その動画を見てもらいたい。

この動画ではバイク走行、やや早回ししているようだ。

 

三国峠越え:長野側上り

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無事に県境の三国峠に到着。

イヤハヤ、絶景かな。

新幹線では、こんな景色は望めないだろう。

遂に埼玉県に入った。

 

しかし、行きはよいよい(あまり良くなかったが)帰りは怖い。

埼玉県側の秩父市道大滝幹線17号(旧:中津川林道)は舗装されていないのだ。

ずっとダートの悪路が続く。

しかも野生のシカが生息しているという。

そして、17:00~翌朝8:00は通行止めなので、日の入りまでに走破しなければならない。

 

三国峠越え:埼玉側下り

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さらに、三国峠越えを果たしたところで、さいたま市内まではまだまだ遠い。

一応は秩父市内だが、中津川は秩父市街地からは遠く離れているのだ。

無事に秩父市街地まで辿り着けても、なにしろ秩父である。

ラッシャー木村国際軍団が打倒アントニオ猪木のために死に物狂いでトレーニングした場所である。

ここから大宮まで、どれぐらいかかるだろう。

まあでも、名古屋市さいたま市を、長野一県またぎルートで到達した!(ことにしよう)

バンザーイ\(^o^)/

 

誰か、この「名古屋~埼玉・長野一県またぎルート」を試してみる人はいないだろうか。

もしいれば、どれぐらい時間がかかったか、教えていただきたい。

ちなみに、名古屋~大宮間を新幹線利用すれば、ある時間帯なら乗り換え時間を含めて2時間16分だ。

きっと、それよりも早く到達するだろう。

なにしろ、新幹線の三県またぎ(一都含む)に対して、こちらは一県またぎなのだから。

 

あ、岐阜県~埼玉県だと、もっと条件がいいかも知れない。

こちらも長野県の一県またぎになるが、新幹線利用だと愛知県も挟まるので4県またぎ(一都含む)になる。

しかも、岐阜羽島駅は「のぞみ」が停まらないのだから、もっと時間がかかる。

調べてみると、岐阜羽島~大宮間は乗り換え時間を含めて2時間17分だ(あれ、名古屋発と比べて1分しか変わらない)。

これは是非とも試してみる価値はある。

僕はイヤだけど。

 

なお、三国峠の埼玉側は、冬季(12月1日~翌年4月30日)は通行止めなので、夏に行くことをお勧めする。

道が通れば風景が変わる・国道480号(父鬼バイパス~鍋谷峠道路)

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2017年4月1日、国道480号大阪府和泉市和歌山県かつらぎ町間が開通した。

いや、正確には以前からこの間の国道480号は通じていたので、今回開通したのはバイパス(父鬼バイパス~鍋谷峠道路)だ。

 

大阪府和泉市和歌山県かつらぎ町との間には和泉山脈が横たわっているため、県境を跨ぐには山越えとなる。

しかし、以前のこの間の国道480号にはトンネルが無かったので、とんでもない山道であり、しかも細くて車同士が対向するのも難しく、さらに大きく曲がりくねっていたのである。

そのため、いわゆる国道ならぬ酷道(こくどう)」と呼ばれていた。

 

国道480号の県境部分(鍋谷峠)の旧道

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大阪府から和歌山県へ抜けるには、大阪湾近くの西側は阪和自動車道をはじめ、一般道も何本か通っているので便利だ(実は同日、国道26号のバイパスも全線開通した)。

ところが、東側となるとまともな道路は国道371号しか通ってないため、慢性的な渋滞となっている。

ましてや、その中間には国道480号しかなく、いかんせん「酷道」ではとても流通道路とは呼べない。

しかし、今回のバイパス開通で和泉市役所~かつらぎ町役場間が71分から53分に短縮すると試算されており、渋滞緩和が大いに期待できる。

特に、国道480号はどちらかというと東寄りなので、国道371号の利用者が新バイパスに流れてくるのではないか。

 

2017年4月1日、国道480号の新バイパス(父鬼バイパス~鍋谷峠道路)開通

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ところで、国道480号も和泉山脈の「酷道」部分以外では、2車線(片側1車線)という普通の流通道路として以前から機能しており、筆者も何度か通ったことがある。

しかし、大阪側の国道480号を運転していると、奇妙な感覚に捉われたものだ。

 

和泉市大野町から和歌山方面、即ち南へ走っていると、右斜め前に未開通の道路が建設されている箇所がある。

方角で言えば西の方向、やや南で大阪湾の方へ道が開通するのか、と思っていた。

 

国道480号の旧道(緑の実線)を走っていると、A地点に差し掛かった部分で、南西の方向に未開通の新道(赤の点線)が建設されていた

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ところが、さらに真っすぐ走っていると、今度は右側(西)と左側(東)にも、未開通の新道が建設されているではないか。

さっきは西側に抜ける道路が建設されていたのに、その先にも東西へ抜ける新道が造られている……。

つまり、さほど遠くない距離に、大阪湾へ抜ける東西の道が2本も通るということか?

かなりの田舎なのに、実に無駄なことではないか。

ちなみに、左側(東)の方にはトンネルが見えていた。

 

A地点を過ぎたB地点には、右側(西)と左側(東)に未開通の新道(赤の点線)が見える。左側(東)の先には未開通のトンネルもあった

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国道480号のバイパスが開通し、走る機会があった。

しかし新バイパスには、建設中だった「東西2本の新道」が全く見当たらなかったのである。

何かキツネにつままれた気分だった。

 

結論から言えば、この「東西2本の新道」こそが、開通した国道480号のバイパスだったのである。

実は、2本の新道は1本だったわけで、東西ではなく南北に真っすぐ伸びていたのだ。

旧道を真っすぐ走っていたつもりが、実は旧道の方が蛇行していたため、新道と交差する部分では東西と南北が逆転していたのである。

だからB地点で見た、東側と思っていたトンネルは、本当は南側にあった。

(上記バイパス動画の最初の方で、A地点とB地点を通っている)

 

これが開通した本当の図。A地点から旧道(緑の実線)が蛇行し、B地点で新道(赤の実線)と交差する時には、旧道を南に走っていたつもりが実は西に走っていた

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揚子江は、場所によっては北に流れている。別の場所では南に流れている。西に流れている場所だってある。しかし全体としては、揚子江は東に流れているのだ」

という言葉が中国にはある。

つまり、他人を見る時でも、一部分だけ見て判断するのではなく、その人全体を見よ、という戒めだ。

 

しかし、今回はそれとは全く逆のことを味わった。

旧道を走っている時、全体としては南に走っているのはわかっていたのだが、ある場所(A地点)では東に、別の場所(B地点)では西に走っていることがわからなかったのである。

道が蛇行していると、ハンドルを握っていてもどの方角に走っているのか、わからなくなるのだろう。

というか、蛇行していても真っすぐ走っている、と錯覚してしまう。

 

それにしても、新しいバイパスが開通すると、同じ場所を走っていても風景が一変する。

それまでは幹線道路として走っていた旧道が、新バイパスが開通した途端にどこを通っている道路かわからなくなるのだ。

いつものことだが、今回もそれを痛感した。

 

なお、4月22日現在では、Yahoo!地図には国道480号の新バイパス(父鬼バイパス~鍋谷峠道路)はまだ描かれていない。

 

数年前の地図に、今回開通した新バイパスの上図部分を描いてみたもの(南北を逆さにしたため、元地図の文字は逆)

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【トップ写真は、国道480号のバイパスが開通した翌4月2日にグランド・オープンした、和歌山県かつらぎ町の「道の駅くしがきの里」】

タイブレーク論

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今年(2017年)のセンバツ高校野球は、大阪桐蔭の2度目の優勝で幕を閉じた。

勝戦で対決したのは同じ大阪の履正社と、史上初の大阪決戦として注目を集めたのは記憶に新しいところ。

 

そしてもう一つ注目を集めたのが、二回戦の福岡大大濠×滋賀学園、続く健大高崎×福井工大福井が史上初めて2試合続けての延長15回引き分け再試合となったことである。

いや、2試合続けての再試合のみならず、1つの大会で引き分け再試合が2試合あったことも史上初めてだ。

 

ここで心配されたのが、投手の疲労である。

翌日は4校にとって休養日となったものの、再試合で勝ったチームは決勝まで最大4連戦となるからだ。

ヘタをすればエース投手が4連投すると危惧されたのである。

 

こういう時、必ず出て来るのがタイブレーク論である。

ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)でも採用されているルールで、2017年のWBCでも侍ジャパンがオランダ相手に延長11回のタイブレークの末に勝ったことで、一気に認知度が高まった。

 

一口にタイブレークと言っても方法は色々あるが、今回のWBCルールで説明すると、延長11回からは無死一、二塁の状態からその回の攻撃を始めるというものだ。

つまり、点を入りやすい状態にして、早く試合の決着を着けようという制度である。

あらかじめ人為的にチャンスを作ることによって、偶然性を高めようというわけだ。

 

タイブレークがシニア・レベルで最初に行われたのは実は日本で、社会人野球で採用された。

それまでの社会人野球は金属バットの使用が認められていたので、派手な打ち合いになることが多く、延長戦が長引くことはほとんどなかった。

ところが、国際大会で金属バットが禁止になると、社会人野球でも木製バットのみとなった。

そうなると、金属バット時代の派手な打ち合いは鳴りを潜め、一転して投手戦のオンパレードとなったのである。

つまり、点が入りにくくなり、延長戦が長引くなることが増えたのだ。

 

ここで困ったのが応援団。

社会人野球と言えば、会社員を動員しての派手な応援合戦が名物だが、延長戦で試合が長引くと、社員たちは翌日の仕事に差し支える。

ましてや、地方の出場チームはどうなる?

試合が終わらなければ、応援団は宿泊や帰省の予定が立てられない。

そこで、早く試合が決着する方法として、タイブレークが採用されたのである。

要するにタイブレークとは、野球の本質とは関係なしに、応援団(というより会社)の都合によって採用されたルールなのだ。

 

もっと言えば、社会人野球で採用される遥か前から、タイブレーク制度はあった。

中学野球である。

1979年に始まった全日本中学校軟式野球大会(全中)では、既にタイブレークは行われていたのだ。

それだけではない。

筆者の父親が参加していた町内の草野球大会でも、タイブレークが採用されていたのである。

要するにタイブレークとは、社会人野球では応援団(会社)の都合、あるいはジュニア・レベルや草野球レベルで考え出されたルールなのだ。

WBCやオリンピックでも採用されたが、これはテレビ放映権の都合である。

つまり、野球の本質とは関係ないのがタイブレークと言えよう。

 

そもそも野球とは、サッカーのような時間制のスポーツと違って、延長戦で決着の着けやすいゲームである。

しかもサッカーはロースコア・ゲームになることが多いため、延長戦がいつまでも続くことが懸念されるので、ノックアウト式トーナメントではPK戦で決着を着けざるを得ないのだろうが(それでもPK戦反対論者は多いようだ)、野球は延長戦で1イニングずつ区切ることができ、しかも点が入りにくいスポーツでもないので、無理やりチャンスを人為的に作って下駄を履かせるタイブレークを採用する必要など全くない。

 

「野球は時間制限がなく、試合時間が3時間以上にも及ぶので、世界的に野球を普及させるためにもタイブレークは必要だ」

という意見もある。

だが、オリンピックでタイブレークを採用した野球競技はどうなったか。

結局は、アッサリと野球はオリンピックの正式種目から外された。

要するに、タイブレークを採用しても、何の効果もなかったのだ。

2020年の東京オリンピックで野球は再び正式種目となったが、これは野球が盛んな日本開催だからというだけで、その次のオリンピックではまた正式種目から外されるだろう。

タイブレークなんていう小手先を使っても、野球を認知しないオリンピック発祥地・ヨーロッパで人気が出るわけがない。

 

時間短縮をしたいのなら、公認野球規則に明記されている12秒ルールを徹底させるとか(無走者の場合、投手は12秒以内に投球しなければならないが、全く守られていない)、打者が無駄に打席を外すことを認めないとか、1試合にかけるタイムの数を制限するとか、遅延行為の元凶であるサイン盗みは厳罰に処するなど、やることはいくらでもあるのだが、その努力もしないでタイブレーク採用などオハナシにならない。

そして、野球を世界に普及させるはずのWBCでは、試合時間をますます伸ばすことになる球数制限(これはメジャー・リーグ球団および代理人の都合)を採用するなど、やっていることがハチャメチャだ。

しかも、ビデオ判定の導入により、試合時間はますます延びた。

そしてメジャー・リーグでは、時間短縮を目標に掲げながら、その効果がほとんど期待できない敬遠申告制を採用した。

敬遠申告制がいかに愚かな制度か、こちらを参照されたい。

 

さて、少し話が逸れたが、高校野球におけるタイブレーク制である。

実は現在でも、高校野球ではタイブレーク制は採用されている。

それは春季大会や明治神宮大会など、甲子園には直結しない大会だ。

また、軟式野球でもタイブレークが用いられた。

ただし2017年現在、春夏の甲子園はもちろん、甲子園大会に直結する夏の地方大会や秋季大会では採用されていない。

 

では、本当にタイブレークで投手の酷使を防げるのだろうか。

結論を先に言えば、そんなことは絶対に有り得ない。

タイブレークを採用すれば、監督ならエースをなるべく降板させないように続投を強いるだろう。

何しろ大ピンチからの投球となるのだから、エース以外の投手では荷が重すぎる。

タイブレーク制により、却ってエースの連投となるだろう。

それに、タイブレークで一旦点が入ると、雪崩現象のように攻撃が続く可能性が非常に高い。
特に、精神的にまだ未熟な高校生だとその傾向は顕著だろう。

そうなると、投手は却って球数を投げるようなハメになる。

ハッキリ言って、タイブレークが投手の酷使をなくすというのは幻想に過ぎない。

 

それに、タイブレークは先攻と後攻で著しく不平等になる。

先攻は一気に大量点を取ればほぼ勝ちを手中にするが、点を取れなければ後攻はセコく1点を取りに来るだろう。

もちろん、普通の野球だって先攻と後攻は全く平等とはならないが、タイブレークだとそれとは比べ物にならないほど、運が大きく関わってくるのだ。

せっかく延長戦をやりやすいスポーツなのに、タイブレーク方式など全くのナンセンスである。

つまり、野球というスポーツの本質を歪めてしまうのだ。

しかも、野球とは打者が出塁して、本塁に還って来て初めて点となるのが大原則である。

タイブレークとは、野球の原則すら無視するルールなのだ。

タイブレーク推進者は、そのことを理解しているのだろうか?

 

「では、投手の酷使問題はこのままでいいのか」という人もいるだろう。

もちろん、このままでいいわけがない。

すると、1試合の球数を制限するべきだ、という意見が必ず聞かれる。

だが、球数制限なんてルールを設けたら、打者はファウルで徹底的に粘って、相手投手を降ろしてしまう作戦に出るのがオチだ。

つまり「積極的に打つ」という、野球の本質が失せてしまう。

 

さらに、無名校は大会に参加できなくなるだろう。
そうなると、ただでさえ少子化なのに野球の底辺は狭まるばかりである。

高校野球の素晴らしさは、甲子園や全国優勝を狙う選手も、素質や環境には恵まれない選手でも同じ土俵で、同じ目標に向かって挑戦できることだ。

これこそが他国にはない、日本の野球文化である。

高校野球の底辺の広さが、日本の高い野球レベルを支えているのだ。

1984年のロサンゼルス・オリンピックから2008年の北京オリンピックまで、さらに2006年から始まったWBCの、全ての大会(計11回)でベスト4に入っている国は日本だけである。

体格やパワーで劣る日本がこれだけ安定した成績を収めているのは、ある意味驚異だ。

 

投手の酷使を防ぐために最も必要なのは、タイブレークや球数制限などの小手先のルール変更ではなく、指導者の意識改革である。

投手の酷使が問題視されるたびに、日本高等学校野球連盟高野連)が必ず槍玉に上がるが、筆者にはこれが理解できない。

高野連は「投手を連投させよ」などとは一言も言っていないのだ。

むしろ、複数投手制を奨励しているぐらいである。

戦時中に行われた、選手の交代を認めない文部省主催の中等野球とは違うのだ(注:後述)。

しかし、無知な連中は「高野連による残酷ショー」などと騒ぎ立てる。

 

2017年のセンバツ二回戦で、延長15回を投げ切った福岡大大濠のエース三浦銀二投手は、中1日の再試合でも9回完投。

ところが、翌日の準々決勝では三浦投手は登板を回避したのである。

その理由として、福岡大大濠の八木啓伸監督は、

「三浦は投げたがっていたし、トレーナーからも大丈夫という報告は受けていた。だが、優勝するためにも三浦を温存すべきと思った。再試合相手の滋賀学園さんが継投策を採ったので、投手層の厚さも勉強になった」

と語った。

結果、福岡大大濠は準々決勝で報徳学園に敗れてしまったが、八木監督の勇気は称えるべきだろう。

惜しむらくは、再試合の時に気付くべきだったが、気付かないよりはマシだ。

福岡大大濠は、前年の秋季大会から三浦が1人で投げ抜いてきたが、それだけに甲子園でエース以外の投手を先発させるのは勇気がいることだったに違いない。

言い換えれば、エースの三浦1人に頼っていて、他の投手に公式戦を経験させていなかったのは八木監督の失態だったが、今回の件で勉強になっただろう。

さらに、高校野球には後援会やOB会といった厄介な連中もいる。

彼らはチームが負けると好き勝手なことを無責任に騒ぎ立てるが、そんな連中の意見に左右されない確固たる信念が高校野球の指導者には必要だ。

 

三浦は高野連によるメディカル・チェックも受けている。

そこで「問題ない」という医師の診断結果も得た。

それでも、八木監督は準々決勝では三浦を投げさせなかった。

試合の途中、三浦はブルペンに行ったが、八木監督は「その必要はない」とやめさせた。

「高校生は『投げられるか?』と訊くと、必ず『投げられます』と答える。でも、そこで本当に投げられるかどうか、見極めるのが監督の務め」

まさしくその通りである。

 

タイブレークや球数制限でルール化しても、指導者の意識が変わらなければ、むしろ悪化するだけだろう。

それどころか「100球投げただけで潰れてしまう投手」を量産してしまうのがオチだ。

日本の高校野球がアメリカで紹介されると、アメリカ人は必ずこう言う。

「高校生にこれだけ投げさせるなんてクレイジーだ。アメリカでは高校生に投球制限を必ず設ける」

そして、日本にいる「アメリカ野球の事情通」とやらも、アメリカ野球を見習え、と声高に叫ぶのだ。

 

だが、彼らは知っているのだろうか。

投球制限で守られているはずのアメリカの投手が、どれだけ多くトミー・ジョン手術を受けているのか、ということを。

2010年~14年の5年間で見ると、メジャー・リーグ(MLB)の投手が実に110人(内、日本人投手が5人)、日本プロ野球(NPB)の投手は21人(内、韓国人投手が1人)である。

MLBの日本人投手以外が全てアメリカ人投手というわけではないが、日本人投手以外のMLBと、NPBおよびMLBの日本人投手がトミー・ジョン手術を受けた人数は、105人:25人。

実に4倍以上ものMLB投手(日本人を除く)が、日本人投手よりも肩や肘に故障を抱えているのだ。

おそらく、アメリカ野球信望者たちは、こんな事実も知らないのだろう。

 

そして「日本の高校野球はケシカラン!アメリカの投手は球数制限で守られているので故障しない」などと何の根拠もなくデッチ上げる。

さらには「高校野球にもタイブレークや球数制限を!」と主張するばかりか、人によっては「高校野球(甲子園大会)そのものをやめてしまえ!」などと言う極論が飛び出すのだ。

そうなれば、日本の野球文化が崩壊することは目に見えているのに。

投げ過ぎは良くないが、故障しないためにいちばん大切なことは、故障しない投球フォームを身に付けることだ。

ところが、生半可通のド素人は、この根本的なことがわかっていない。

「肩や肘を守るため」ろくすっぽ投球練習もせず、間違えたフォームのまま投げているので、大した投球数も投げていないため肩や肘を故障してしまうのである。

 

NPBでもかつて「鉄腕」稲尾和久や「権藤、権藤、雨、権藤」の権藤博など、投げ過ぎによって短命に終わった投手がいた。

だがその後、NPBでも投手の酷使は良くないと先発ローテーションが確立し、先発・中継ぎ・抑えという投手分業制が当たり前になったのである。

しかし、この戦術変更は、ルール変更によってもたらされたのではない。

NPBのルールは、当時から変わっていないのである。

つまり、各球団が「投手を分業制にした方が得策」と判断したのだ。

高校野球でも、ルール変更ではなく、指導者の意識改革による複数投手制が何よりも重要だ。

その方が、投手育成にどれだけ有効かわからない。

実際に、再試合を経験した4校のうち、福岡大大濠を除く3校は中1日あったにもかかわらず、エースを完投(あるいは登板)させなかった。

昔に比べると、複数投手制は浸透してきているのだ。

 

高野連がルールとして介入すべきといえば、メディカル・チェックだろう。

前述したように現在でも行っているが、診断結果を報告するだけで、あとは各校の判断に任されている。

これを、医師の判断で「出場してはダメ」と言えば、選手が出場したいと言おうが、監督が出場させたいと言おうが、出場を認めないというルール作りだ。

これは甲子園大会だけでなく、地方大会でも徹底してもらいたい。

 

高校野球での投げ過ぎで、必ず語られるのが1990年の夏の甲子園で準優勝した沖縄水産大野倫投手である。

大野は甲子園での連投により、肘を故障して投手を諦め、打者に転向したのは事実だ。

だが、これはハッキリ言って時代が違う。

当時はまだ、高野連によるメディカル・チェックもなかった。

そして、高校野球ではエースが連投するのは当たり前の時代だったのである。

しかし、大野が引き金になって投手の酷使が問題視されるようになり、高野連によるメディカル・チェックが行われるようになって、複数投手制が勧められた。

現在では医学も進歩して、投手の肩・肘に関するケアは、当時とは比べ物にならないほど充実している。

昔はエースが1人で投げ抜くのが当たり前だったし、投球後の肩や肘のケアも充分ではなかった。

  

もう一つは、日程の問題である。

現在の甲子園大会では、準々決勝の後に休養日を1日設けている。

しかし、2017年のセンバツでは、引き分け再試合が2試合も生まれたうえに、それ以前に雨天中止があったから、休養日が無くなってしまったのだ。

そのため、再試合を行うことになった4校は、決勝に進出すれば4連戦の日程になったのである(実際には、この4校とも準々決勝以前で敗退したため、最大2連戦に留まった)。

これは「2日間の順延があれば休養日を無くす」というセンバツ規定(夏の場合は3日間)があったからだ。

 

だが、こんな規定が必要か?

2017年センバツの場合、順調に行けば3月30日に全日程が終了するはずだった。

しかし、大会序盤の雨天順延、引き分け再試合の2試合分、そして決勝戦前の雨天順延により、大会が終わったのが4月1日となったのである。

たしかに阪神甲子園球場は、阪神タイガースの本拠地でもあるので、日程を長引かせるわけにもいかない。

だが、阪神が甲子園を使用するのは4月7日。

3日間も順延しても、まだ中5日の余裕があったのである。

だったら、2日間の順延ぐらいで、休養日を無くす意味は全くなかったのだ。

高野連を批判するならば、こういう杓子定規的な部分だろう。

「2日間の順延ならば(夏の場合は3日間)休養日は無くす」なんて規定はやめ、よほど順延で大会が長引いた時だけ、阪神甲子園球場と相談して日程を変更すればいいのだ。

たしかに、日程が延びればテレビ放映や応援団の宿泊などの問題はあるが、これは雨天では試合ができないという野球の特性上、仕方あるまい。

 

2017年4月15日付の朝日新聞を読むと、高校野球の日程について、

「投手を守る意識改革は着実に進んでいる。さらに、現在の準決勝前に休養日を設けるだけではなく、準々決勝前、準決勝前、決勝前の合計3日の休養日を設けて、連戦がない日程にすることも一考の余地がある」

と書かれている。

この方が、タイブレークや球数制限よりも遥かに合理的だ。

夏の大会の主催者である朝日新聞でこう書かれているのは、日程について一歩前進かも知れない。

現在の甲子園大会では、春夏とも阪神甲子園球場が特別協力となっている。

元々、阪神甲子園球場高校野球(当時は中等野球)のために造られた球場だ(完成当時、プロ野球は行われてなかった)。

ここは阪神甲子園球場および阪神球団に協力してもらうしかない。

 

そもそも、阪神球団が阪神甲子園球場で行うホーム・ゲームは年間60試合と契約で決まっている。

阪神の年間ホーム・ゲームは毎年71~72試合。

つまり、11~12試合は、ホーム・ゲームで阪神甲子園球場以外の球場を使用するわけだ。

その11~12試合を春夏の高校野球の時期に充てると、充分に対応できる。

夏の時期になると阪神は「死のロード」と呼ばれるが、近年では京セラドーム大阪を使用するし、ほっともっとフィールド神戸も使用できるので、さほど負担にはなるまい。

 

そして、以前から筆者が何度も言っている、サスペンデッド・ゲーム制度を採用するべきである。

サスペンデッド・ゲームとは、延長戦に期限を設けて、それでも決着がつかなければ後日改めて延長戦の続きを行うという制度だ。

現在の高校野球では、延長15回を終わると引き分けになり、翌日に再試合となる。

以前は延長18回で打ち切り、翌日に再試合という制度だったが、1998年夏の横浜×PL学園が延長17回の死闘となって、以降は延長15回に短縮された。

だが、延長戦が18回から15回に短縮されるということは、再試合の可能性が増えるということであって、実際にこの制度に改められた後は引き分け再試合が激増した。

つまり、延長15回の翌日にはまた最低9イニングも戦わなければならなくなったので、却って選手の負担が増えたのである。

こんな改悪的な制度は即刻やめて、サスペンデッド・ゲームを採用すべきだ。

そうすれば、延長15回を戦った後でも場合によっては1イニングで済むかも知れないのである。

少なくとも、最低9イニングも戦う必要はない。

こんな単純な制度を採用しないのが不思議なぐらいだ。

ハッキリ言って、タイブレークよりも遥かにいい。

 

サスペンデッド・ゲームに関して、必ず引き合いに出されるのが2014年の軟式高校野球で起きた中京×崇徳の延長50回ゲームだ。

この試合を、野球ド素人の識者は残酷ショーと決め付け、もっともらしく批判を繰り返したのである。

だが、延長50回なんて滅多に起こらない、というより奇跡だ。

点が入りにくい軟式野球だからこそ起きた試合だが、軟式野球でも滅多には起こらないだろう。

ところが、ワイドショーでは「サスペンデッド・ゲームでは投手を交代できないが、再試合だったら他の投手を先発させることができる」と、とんでもないことを言っていた。

サスペンデッド・ゲームだと、投手交代ができない?

荒唐無稽もいいところだ。

そんなルールはどこにもない。

たまたまこの試合では、両校の監督が投手交代させなかっただけだ。

批判をするなら、その部分だろう。

また、高野連を批判すべき部分は、硬式野球でサスペンデッド・ゲームを採用しないことだ。

サスペンデッド・ゲームの採用に関しては、野球関係者が提唱しているのにもかかわらず、なぜかマスコミには伝わらない。

まるで、タイブレークや球数制限をゴリ押しするために、サスペンデッド・ゲーム論を黙殺しているようだ。

要するに、タイブレークや球数制限ありきで世論を操作しているのである。

 

こんな世論操作をしているのは、野球ド素人の識者に他ならない。

あるいは、野球に精通しながらアンチ日本野球、アンチ高校野球、あるいはアンチ高野連の連中である。

ハッキリ言って、アンチの意見など、何の参考にもならない。

彼らは、自分が気に入らないものを潰すことが目的なので、こんな意見は百害あって一利なしだ。

 

恐ろしいのは、現在はネット社会なので、彼らの意見を「もっともだ」と受け入れる無知の輩が多く存在することである。

ただでさえ日本は「空気」が支配する社会なので、ロクにモノを考えない連中が「空気」によって支配されるのだ。

そして、彼らは無責任な意見をネットに書き込む。

こうして、無責任な意見が社会に蔓延するという構図だ。

高校野球タイブレーク論など、その典型的な例と言えよう。

我々はそんな「空気」に捉われず、正しい目を持たなければならない。

 

そして、忘れてはならないのが、タイブレークは記録において重大な影響を及ぼすということ。

たとえば、投手がパーフェクト・ピッチングをしていても、延長戦に入りタイブレークとなれば、パーフェクト・ゲーム(完全試合)の記録はその瞬間に途絶えてしまうのだ。

その投手は1人の出塁も許していないのに、ただタイブレークというルールのために、人為的に出塁させてしまうから、完全試合とはならないのだ。

こんなバカげた話もあるまい。

 

野球とは、単に勝敗を競うスポーツではない。

記録も重要なファクターである。

野球ほど、団体スポーツでありながら、個人記録を算出できるスポーツは他にない。

そこが野球というスポーツの素晴らしいところである。

スコアブックを付けたことがある人なら、そのことが理解できるだろう。

 

WBCではタイブレークのみならず、球数制限が設けられている。

そのため、投手がいくら好投しようが、一定の球数を投げただけで交代させられてしまうのだ。

だから、WBCで完投など望むべくもない。

もっと言えば、たとえパーフェクト・ピッチングをしていながら、球数制限のためにこの大記録がパーになってしまうのだ。

こんなバカげた話もあるまい(NPBでは、日本シリーズの日本一が決まる試合で、8回までパーフェクトを続けながらその投手を降板させた愚かな監督もいたが)。

こんなルールを採用していること自体、主催しているメジャー・リーグ(正しくはWBCI)がいかにWBCを本気で取り組んでいないかがわかる。

WBCは野球世界一を決める大会と銘打ちながら、実際には各国から未来のメジャー・リーガーを募るオーディション・大会に過ぎないのだ。

そう考えれば、日本代表では青木宣親以外の日本人メジャー・リーガーに対して、MLB球団がWBCに出場させなかった理由がわかる。

MLBに所属する日本人投手がWBCごときで故障されては、MLB球団が困るからだ。

MLBで活躍している日本人投手の実力はもうわかっているから、WBCでオーディションをする必要はない、という理屈である。

恐ろしいのは、WBCでタイブレークや球数制限が採用されているからと言って、これが本当の野球だと誤解してしまう人が増えることだ。

WBCは本場のアメリカですら本気になっていない、歪な野球大会だということを理解しなければならない。

 

ここまで書けば、タイブレークや球数制限がいかに愚かで、野球文化を破壊するルールであるか、賢明な方ならおわかりいただけたかと思う。

まさしく百害あって一利なしのルールだ。

それを、タイブレークや球数制限を金科玉条の如く声高に叫ぶ人は、野球の本質がわかっていないのだろう。

まさしく愚の骨頂である。

 

【注】=戦時中の中等野球

日米関係が悪化した1941年夏から中等野球(現在の高校野球)が中止になったが、太平洋戦争が始まった翌1942年夏には文部省および大日本学徒体育振興会の主催で夏の中等野球が復活、例年通り全国大会が甲子園球場で行われた。

太平洋戦争中ということで軍事色の強い大会となり、死球というルールが外され、死球になりそうな球でも打者は避けてはならない(球から逃げるのは敢闘精神に欠ける、ということ。現在ではボールが当たっても打者が避けなければ死球とは認められない)とか、試合は先発メンバーの9人のみで行われ、よほどの大怪我でない限りは選手の交代は認められないなどのルールがあった。

ただし、守備位置の変更は認められていたため、投手交代は可能だったので(例えば先発投手が試合途中で外野手に回ってリリーフを仰ぐなど)、先発メンバーの中に投手ができる選手を入れておく必要があったのである。

そして、エラーをした選手には、軍人が殴り掛かる、なんてこともあったという。

およそ野球とは思えないこの大会、主催者が違ったため現在では記録としては残っておらず「幻の甲子園大会」と呼ばれている。

戦後、高野連が発足されたのは、国の都合による外部からの圧力に左右されないように、独立性を保つ機関となるためだった。