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安威川敏樹のネターランド王国

お前はチョーマイヨミか!?

ネターランド王国憲法

第1条 本国の国名を「ネターランド王国(英名:Kingdom of the Neterlands)」と言う。
第2条 本国の国王は「禁句゛(=きんぐ)、戒名:安威川敏樹」とする。
第3条 本国は国王が行政・立法・司法の三権を司る、絶対王制国家である。
第4条 本国の公用語は日本語とする。それ以外の言語は国王が理解できないため使用禁止。
第5条 本国唯一の立法機関は「日記」なる国会で、国王が一方的に発言する。
第6条 本国の国民は国会での「コメント」で発言することができる。
第7条 「コメント」で、国王に不利益な発言をすると言論弾圧を行うこともある。
第8条 「コメント」で誹謗・中傷などがあった場合は、国王の独断で強制国外退去に踏み切る場合がある。
第9条 本国の国歌は「ネタおろし」とする(歌詞はid:aigawa2007の「ユーザー名」に記載)。
第10条 本国と国交のある国は「貿易国」に登録される。
第11条 本国の文章や写真を国王に無断で転載してはならない。
第12条 その他、上記以外のややこしいことが起きれば、国王が独断で決めることができる。

80年代のキャンプ事情

2月1日、今年も日本プロ野球(NPB)全12球団が一斉にキャンプ・インした。

球春到来に胸を躍らせている野球ファンも多いだろう。

ところで、近年のキャンプ地は沖縄と宮崎に集中している。

今年の各球団一軍(あるいはA班)のキャンプ日程を記してみよう。

 

パシフィック・リーグ

福岡ソフトバンク・ホークス宮崎・生目の杜=2月1~26日

オリックス・バファローズ宮崎・清武=2月1~26日

北海道日本ハム・ファイターズ:沖縄・名護=2月1~26日

千葉ロッテ・マリーンズ:沖縄・石垣島=2月1~20日

埼玉西武ライオンズ宮崎・南郷=2月1~20日

東北楽天ゴールデンイーグルス沖縄・久米島、金武=2月1日~(日程未定)

 

セントラル・リーグ

読売ジャイアンツ宮崎=2月1~15日沖縄・那覇=2月16~26日

阪神タイガース沖縄・宜野座=2月1~25日

広島東洋カープ宮崎・日南=2月1~16日沖縄=2月18日~3月2日

中日ドラゴンズ沖縄・北谷=2月1~26日

横浜DeNAベイスターズ沖縄・宜野湾=2月1日~3月1日

東京ヤクルト・スワローズ:沖縄・浦添=2月1~26日

 

宮崎を、沖縄をで示したが、特に最近は沖縄が大人気なのがわかる。

球団によっては2ヵ所に分散しているが、宮崎が5球団なのに対し、沖縄は実に9球団である。

今年の異変としては、オリックスが沖縄・宮古島から宮崎・清武に移ったことだ。

ある意味、時代に逆行しているとも言えるが、宮古島は離島なので、他球団となかなか練習試合が組めないという事情があるのかも知れない。

 

沖縄は日本一温暖な地域でありながら、かつてはキャンプ地として使用されなかった。

理由は、2月の時期は雨が多いことと、練習施設が貧弱だったことである。

いくら暖かくても、雨が多ければ練習にならない。

そんな沖縄で、初めてキャンプを行ったのは1979年(昭和54年)の日本ハムだった。

といっても、バッテリー組だけでしかも一週間程度だったが、それでも沖縄でキャンプができることを証明した。

その後、沖縄キャンプを計画するチームが増え続け、さらに沖縄県もキャンプ地誘致を積極的に進めたため、今や日本のみならず韓国プロ野球(KBO)にとっても沖縄は最適なキャンプ地となっている。

雨の多さは、雨天練習場と練習施設を充実させることでカバーした。

 

沖縄がキャンプ地のメッカとなった反面、かつてはキャンプ地銀座と呼ばれた高知では、とうとう一軍キャンプが行われなくなった(オリックスオープン戦のために高知に移動するが)。

高知も暖地とはいえ、沖縄や宮崎には敵わず、遅れをとってしまったのが原因だろう。

アメリカのメジャー・リーグ(MLB)では、キャンプ(スプリング・トレーニング)地といえばフロリダ州アリゾナ州に分かれ、それぞれグレープフルーツ・リーグ(フロリダ)とカクタス・リーグ(アリゾナ)などと呼ばれているが、NPBもMLBと似たような状況になりつつあるのかも知れない。

キャンプ地に球団が集中したほうが、練習試合やオープン戦(エキシビジョン・ゲーム)を組みやすいからだ。

 

沖縄でキャンプを張る球団が増え始めた1980年代、NPBの球団のキャンプ地はバラバラだった。

たとえば、高知の安芸でキャンプを張っていた阪神

「安芸キャンプ」と言えば阪神の代名詞でもあった。

2月下旬にキャンプを打ち上げ、最初のオープン戦高知市営球場でキャンプを張っていた阪急ブレーブス(現:オリックス)と行っていたのである。

安芸市営球場での阪急とのオープン戦こそが、春の到来を告げるビッグ・イベントだったのだ。

2月下旬の土曜日に安芸市営球場阪神×阪急のオープン戦第1戦を行い、翌日曜日には高知市営球場で阪急×阪神オープン戦第2戦を行うのが恒例だったのである。

しかし現在では、阪神は二軍でしか安芸キャンプを行っていない(今年も安芸で阪神×オリックスの練習試合は行われる)。

 

そんな当時の阪神も、実は浮気(?)して、安芸キャンプから離れたことがあった。

1980~81年(昭和55~56年)、米アリゾナ州のテンピで海外キャンプを張ったのである。

ケチ球団と言われた阪神が大枚はたいて海外キャンプを決行したが、これは大失敗に終わった。

沖縄とは比較にならないほど気温が高いテンピだったが、ここはいささか暑すぎたのである。

しかも、雨は滅多に降らない土地という触れ込みだったが、実際には大雨続きで練習にならない。

それこそ、ユニフォームをテンピ(天日)干しにできなかったという。

 

これに懲りた阪神はテンピキャンプをやめ、翌年には安芸キャンプに戻ったが、キャンプ前に行ったのがハワイ・マウイ島での合同自主トレ。

テンピほどクソ暑くもなく、それでいて沖縄よりもずっと暖かいマウイ島は選手の評判も良く、1983~84年(昭和58~59年)にはマウイ島キャンプを決行した。

しかし、当時の阪神の某四番打者がマウイ島で奇病を発症したとかで、結局は翌年にはまた安芸キャンプに落ち着く。

そしてその年、阪神は21年ぶりのリーグ優勝に、2リーグ分裂後初の日本一にも輝いた。

 

この頃は、海外キャンプが大流行りの時期でもあった。

例えばヤクルトは、アリゾナ州ユマでのキャンプが通例となっていたのである。

でも、当時のヤクルトは弱小チームもいいところで、毎年最下位争いをしていた。

そのため、高い金を払って毎年ユマ・キャンプを張る必要があるのか、と糾弾されていたのである。

その後、ユマ・キャンプをやめたヤクルトが、宮崎・西都でキャンプを張るようになってから何度も優勝するようになったのは皮肉な話だ。

 

ロッテのキャンプ地といえば、鹿児島が有名だ。

宮崎でキャンプを張っていた巨人とのオープン戦を鹿児島で行っていたのが、春の到来を告げていたのである。

しかし、鹿児島と深い関係を持っていたロッテも、一軍キャンプ地から外した。

宮崎より南部に位置する鹿児島も、地形により雪が多かったのも原因かも知れない。

 

面白かったのが南海ホークス

金持ち球団ソフトバンクの前身球団だが、大阪を本拠地としていた当時のホークスは現在と違って貧乏球団。

キャンプ地は広島・呉だった。

沖縄はもちろん、九州・四国でもなく、なんと本州である。

瀬戸内海に面していて、多少は温暖とはいえ、それでも春季キャンプに適した地とは思えない。

大体、大阪の南海が呉でキャンプを張るなら、広島が呉キャンプを行えばいいではないか。

キャンプ地までの旅費はメチャメチャ安くつく。

どうやら、南海の大親分で、呉出身でもある鶴岡一人の口利きで呉キャンプを行っていたようだが、それにしても本州でキャンプを張ることはなかろう。

漫画「あぶさん」によると、南海は70年代、和歌山・田辺でキャンプを張っていたようだ。

こちらも本州とはいえ南紀で、呉よりずっと暖かそうだが、いかんせん他球団のキャンプ地とかなり離れているため、おいそれとオープン戦日程を組めやしない。

それが田辺を捨て、鶴岡御大のいる広島・呉へ走らせたのかも知れない。

 

南海とは違い、世界的大企業の大洋漁業が親会社の横浜大洋ホエールズ(現:横浜DeNAベイスターズ)も、キャンプ地には金をかけてなかった。

キャンプ地はなんと、静岡・草薙。

黒潮が通るので暖地には違いないが、それでも大洋の本拠地である神奈川・横浜の隣県である。

もう少し金をかけてもいいんじゃないかと思うが、親会社の大洋漁業は「プロ野球はただの道楽」と思っていたのかも知れない。

 

そして、当時の多くの球団は、キャンプを本拠地でスタートしていたのである。

阪神の場合は、一次キャンプは甲子園で行うのが通例だった。

南海は、二軍球場がある大阪・堺市の中百舌鳥球場でキャンプ・インする。

大洋も、一次キャンプは横浜スタジアムで一週間ほど行っていた。

ある年など、関東が大雪に見舞われたため、キャンプ初日が横浜スタジアムの雪かきだったこともある。

 

つまり、当時のキャンプ・インといえば、静岡あり、広島あり、高知あり、宮崎あり、鹿児島あり、米ハワイあり、米アリゾナあり、米フロリダありと、実に多士済々だったのである。

しかも、本拠地スタートを加えると、横浜、中百舌鳥(大阪・堺)、甲子園(兵庫・西宮)と、実にバラエティに富んでいた。

 

そんな中で、圧倒的な存在感を放っていたのが西武である。

当時の西武のキャンプ地は高知・春野だった。

しかし西武が、春野キャンプを行ったのは2月中旬である。

それまでは極寒の埼玉・所沢で一次キャンプを張っていたのだ。

 

その理由として、当時の西武に在籍していたあるベテラン投手はこう語っている。

「2月の初旬は、所沢も春野も寒さはあまり変わりませんからねえ。それだったら少々寒くても、設備が整った本拠地の所沢で調整したほうがいいです」

 この言葉が、当時最強を誇った西武の秘密だったのかも知れない。

この頃の西武は、最も近代的な練習設備がある、日本一優れた球団だった。

たしかに、練習設備が貧弱な田舎に行くぐらいなら、施設に恵まれた本拠地で過ごした方がいいだろう。

 

また、当時は「合同自主トレ」が合法的に行なわれていた時代だった。

「合同自主トレ」とは、80年代前半に大流行した練習方法である。

本来、NPB球団と選手との間には、2月~11月までの契約期間があるのみだ。

従って、12月と1月の間は選手にとって球団とは何の関係もないのである。

しかし、当時は「ユニフォームを着ていなければ、チームの練習ではない」という理由で、1月初旬から「合同自主トレ」という奇妙な名前のキャンプが行われていたのだ。

 

この合同自主トレが、西武にとって上手く作用した。

1月初旬から寒い所沢でじっくり鍛え上げ、万全の状態になったところで、暖かくなった2月中旬の高知・春野に移動したのである。

この頃のキャンプが、常勝軍団・ライオンズを支えたのは間違いない。

その後、プロ野球選手会が発足され、指導者付きの合同自主トレは禁止されたが、それが西武黄金時代の落日を招いたのだろうか。

 

この頃の、フジテレビ「プロ野球ニュース」のキャンプ情報を見るのが楽しみだった。

気温が表記されたので、どの地域が一番暖かいのか一目でわかる。

本拠地の横浜スタジアムや甲子園、所沢などでは「気温7℃」などと、とてもキャンプとは思えない寒さだった。

 

同じ頃、ヤクルトのキャンプ地であるユマでは「気温30℃」と、真冬の日本とは別世界。

他の球団ではグラウンド・コートを着てアップしているのに、ヤクルトの選手たちは半袖のアンダーシャツだった。

 

沖縄は、アリゾナやフロリダ、ハワイほどではないとはいえ「気温20℃」と、こちらも真冬の日本とは思えない暖かさ。

時には「気温25℃」を記録することもあった。

 

宮崎や高知、鹿児島は「気温15℃」前後で、本拠地スタートの球団よりは暖かいが、メジャーのキャンプの常識からすればかなり寒いだろう。

ロッテの鹿児島キャンプで憶えているのは、打撃練習中に雪が舞ってリー兄弟(兄のリーと弟のレオン)が震えていたことだ。

アメリカでは、雪が舞う中のキャンプなんて考えられなかっただろう。

 

今では前述したとおり、キャンプ地は沖縄と宮崎に絞られ、海外キャンプも本拠地スタートもなくなったから、かつてのような「気温」に関する楽しみはなくなった。

80年代のキャンプは、気温7℃~30℃まであったのだから、球団によってキャンプ事情は全く異なっていたのである。