ネタランでは何度もプロレスに関する記事を書いているが、僕は決してプロレスに詳しい方ではない。
というか、僕にとってのプロレスとは「昭和プロレス」であり、「平成プロレス」に関してはほとんどわからないのだ。
いや、全日四天王(三沢光晴、川田利明、田上明、小橋建太)や闘魂三銃士(武藤敬司、橋本真也、蝶野正洋)のことはわかるので、20世紀までならなんとかなるが、21世紀プロレスとなるともうお手上げ。
しかし、そんな僕が先日、ドラゴンゲート(ドラゲー)の試合を観に行くことになった。
そもそも僕は、プロレスを生観戦したのはたった一度しかない。
吉本女子プロレスJd’という、その名のとおり女子プロレスで(現在は消滅)、岸和田での興行でタダ券を貰ったので観に行ったことがある。
もっともこの団体は大阪プロレスと業務提携していたのでスペル・デルフィンらが出場しており、一応は男子プロレスも見ることができた。
それ以外では、団体名は忘れたがアマチュアのプロレス団体(アマチュアなのになぜプロレスと呼ぶのか不思議だが)で、羽曳野で試合をするというので観に行ったが、アマチュアということで入場無料だった。
他にも、近所にある大阪芸術大学の学園祭で、プロレス同好会の試合も見たことがあるが、もちろんタダである。
要するに、金を払ってプロレスを見るのは今回が初めてということだ。
だが、ドラゲーに関する知識がほとんどない。
知っていることといえば、ルチャ・リブレ(空中殺法を主体としたメキシコのプロレス)系の団体であること、神戸を本拠地としていること、全日本プロレスや新日本プロレスら老舗系メジャー団体とは一線を画しながらかなりの人気があること、ぐらいである。
知っているレスラーといえばCIMAだけ(後で知ったことだが無所属らしい)。
あ、ストーカー市川も知っていた(なんでそんなヤツ知ってるねん)。
海の日の7月20日、この日はドラゲーにとって年に一度の「KOBEプロレスフェスティバル」という、神戸ワールド記念ホールで行われるビッグイベント。
三宮からポートライナーに乗り込んだ時、車内は既に満員だった。
そもそも僕がポートライナーに乗るのは、1981年のポートピア博以来である。
そう、ポートライナーはその時に開業したのだった。
あの時のフィーバーぶりもよく憶えている。
午後1時半頃、ポートアイランド内の市民広場駅で下車すると、試合開始の1時間半も前なのに、ワールド記念ホールへ続く道は鈴なりとなっていた。
つい数年前まではプロレス暗黒時代と言われていたのに、この盛況ぶりはどうだろう。
もっとも、景気がいいのはドラゲーと新日本プロレスぐらいかも知れないが。
試合開始1時間半前にもかかわらず、ドラゲーを見に来た大勢の人たち。奥にある茶色い建物がワールド記念ホール
ワールド記念ホールの中に入ると、大阪城ホールほどではないが大きな会場。
最近のプロレス団体は後楽園ホールですら満員にするのが難しいのに、ドラゲーは1万人近く集めている。
ちなみに、今年の5月21日に後楽園ホールで行われた全日本プロレスでは、元横綱の曙が登場する三冠ヘビー級タイトルマッチにもかかわらず、平日だったとはいえ定員より約半分の911人(主催者発表)しか集められなかった。
会場内には若い女性客が多い。
おそらく彼女らは、昭和プロレスなんて全く知らないだろう。
昭和プロレスは、ヤローのファンが圧倒的に多かった。
テリー・ファンクのようにチアリーダー姿をした親衛隊が付いているレスラーもいたが、それは例外である。
もっとも、僕の隣りに座っていたのは、一人で来ていた中学生ぐらいの少年だった。
おそらく、この日のために貯金して、なけなしの小遣いをはたいたのだろう。
この少年は試合中もほとんど声を発することなく、じっと試合を見つめていた。
かつての猪木信者などとは全く違う、今風のプロレス・ファンなのだろうか。
午後3時、いよいよ第一試合が始まった。
第一試合といえば前座だが、そんな雰囲気は全くない。
いきなりバリライトと大音量により、花道から6人のレスラーたち(シックスメン・タッグマッチなので)が颯爽と入場してくる。
かつてのプロレスでは、前座での派手な演出はもちろん、試合中の大技(空中殺法などはもちろん御法度)すら禁じられていた。
なぜなら、前座から盛り上がりすぎたら、メインの試合が霞んでしまうからである。
しかしドラゲー(あるいは今のプロレス)では、最初から盛り上がらないと損とばかりに、会場のテンションは上がっていた。
第一試合からいきなりのバリライト&大音響。客もレスラーもテンションが上がりまくり
僕が座っていたのは2階席、しかも楕円形のホールの長辺側だったので見にくいのかなと思ったが、さすがはルチャ系で動きが派手なので、遠いという感じは全くない。
むしろ、リングサイドの後ろの席の方が見にくかったのではないか。
臨場感ではもちろんリングサイドの方が迫力があるだろうが、見やすさで言えば2階席の前の方がいいかも知れない。
第2試合はエイトメン・タッグマッチ。
この試合ではなんと、”ハリウッド”ストーカー市川がフォール勝ち!
いつの間に強くなったんだ?ストーカー市川!?
3人による綱渡りならぬロープ渡り
第3試合は、オープン・ザ・ブレイブゲート選手権試合という、この日初めてのシングル・マッチ。
チャンピオンの戸澤陽がトップロープで、挑戦者のEitaを抱え上げようとすると、
「ブレーン・バスター!!」
と戸澤が叫ぶ。
ディック・マードックかっての。
もちろん、観客も一緒に「ブレーン・バスター!!」。
結局、戸澤がパッケージ・ジャーマン・スープレックス・ホールドというややこしい技でピンフォールを奪い、王座防衛。
第4試合はタッグ・マッチでB×Bハルク(もちろん、ハルク・ホーガンではない)がバンピング・ボンバー(当然、アックス・ボンバーではない)からピンフォールを奪った。
第5試合では我らがCIMAが登場、オープン・ザ・トライアングルゲート選手権試合6人タッグ3WAYマッチという、ワケのわからん試合形式。
要するに、3人ずつがタッグを組んで、3組が三つ巴で対戦するという方式である。
つまり、9人が一堂に介して勝敗を競うのだ。
あるときはチーム同士が協力し合い、あるときは反目し合うという、バトルロイヤル的要素のある試合。
最大の見せ場は、2階席にまで及んだ場外乱闘。
普通、場外乱闘といえばリングサイドで行うものだが、この日は相撲で言うところの向正面の2階席で場外乱闘を行い、相手レスラーを突き落とそうというもの。
場外乱闘はスタンドまで及び……
アリーナへ落とされそうになり……
落とされちゃった
おまけ:昔懐かしいコント「ゆーとぴあ」のゴムパッチンまで披露
勝敗はまあ、どうでもいいでしょう(^_^;)
<注:CIMAが最終的にフォール勝ちしています>
第6試合、セミ・ファイナルのオープン・ザ・ツインゲート統一タッグ選手権試合は、土井成樹&YAMATO組の王者チームが防衛に成功。
そして第7試合、メイン・エベントはオープン・ザ・ドリームゲート選手権試合、チャンピオンの吉野正人と挑戦者のT-Hawkとのシングル・タイトルマッチ。
吉野は35歳、T-Hawkは25歳と、10歳離れている。
昭和プロレス風に言えば、ナウリーダー対ニューリーダーの一戦か。
ちなみにT-Hawkは駒大苫小牧の野球部出身で、マー君こと田中将大のブルペン捕手を務めていた。
シングルのタイトルマッチということもあって、セミ・ファイナルまでのタッグ・マッチでの空中殺法が飛び交う試合とは違い、かなり重厚なムード。
とはいえ、やはり軽量級のレスラー同士の戦いだけあって、中盤からは試合が動き出す。
ドラゲーにはヘビー級の選手はいない。
かつてのプロレスでは、体重70kg台の選手がレスラーになることなど考えられなかったが、ドラゲーでは充分にスターになれるのだ。
会場には男女関係なく声援が飛び交う。
「よしのー!」
「ティーホーク!!」
中には、
「よしのさぁーん!」
と何度も叫ぶ女性がいた。
さん付けかい。
それも、フォールされそうになった時に叫ぶのではなく、試合が膠着した時に、
「よしのさぁーん!」
と唐突に叫ぶのである。
このあたりの心情はよくわからない。
試合は30分にも及ぶ長い試合となり、吉野がソル・ナシエンテ改という技でT-Hawkからギブアップを奪い、王座を防衛した。
この日の7試合の中で、ギブアップ決着はこの試合だけだ。
ルチャ系の試合の中で、ギブアップで試合を決めたというのは興味深い。
30分23秒、吉野正人がT-Hawkからソル・ナシエンテ改でギブアップを奪い、王座防衛
結局、全試合が終わったのは試合開始から4時間15分も経った午後7時15分頃。
せいぜい3時間ぐらい(つまり、午後6時ぐらい)で終わると思っていたのが、とんだ計算違いとなった。
それでも、長時間とはあまり感じなかった。
今夜はまさしく、夏の夜の夢だったのだろうか。
夏草や 兵どもが 夢の跡
試合が終わると、さっきまでの喧騒がウソのように寂しく、リングが解体されていく
ワールド記念ホールを後にして、ポートライナーで三宮に戻り、「龍の扉」という店に行った。
「龍の扉」、英訳すればDRAGON GATEである。
つまり、ドラゲー・ファンが集まる店だ。
ここで店の名物である「こげそば」と宮崎地鶏を堪能して、神戸の夜にサヨナラを告げた。