週刊ファイトにコラムを書きました。
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第1条 本国の国名を「ネターランド王国(英名:Kingdom of the Neterlands)」と言う。
第2条 本国の国王は「禁句゛(=きんぐ)、戒名:安威川敏樹」とする。
第3条 本国は国王が行政・立法・司法の三権を司る、絶対王制国家である。
第4条 本国の公用語は日本語とする。それ以外の言語は国王が理解できないため使用禁止。
第5条 本国唯一の立法機関は「日記」なる国会で、国王が一方的に発言する。
第6条 本国の国民は国会での「コメント」で発言することができる。
第7条 「コメント」で、国王に不利益な発言をすると言論弾圧を行うこともある。
第8条 「コメント」で誹謗・中傷などがあった場合は、国王の独断で強制国外退去に踏み切る場合がある。
第9条 本国の国歌は「ネタおろし」とする(歌詞はid:aigawa2007の「ユーザー名」に記載)。
第10条 本国と国交のある国は「貿易国」に登録される。
第11条 本国の文章や写真を国王に無断で転載してはならない。
第12条 その他、上記以外のややこしいことが起きれば、国王が独断で決めることができる。
遅ればせながら、今年(2024年)の3月20日に阪神甲子園球場に行ってきた。
コロナ以来、甲子園に来るのは久しぶりである。
この日は第96回選抜高等学校野球大会の一回戦が行われていた。
本当に久しぶりの甲子園。
いつものように阪神電鉄本線の大阪梅田駅から電車(この日は西宮行きの急行だった)に乗り込み、甲子園を目指す。
以前の高校野球は、ネット裏を含めて内野席は全て自由席、外野席は無料だったが、現在では全て指定席の有料である。
この日の天候はあまり良くなく、雨に見舞われる危険があったので大銀傘のある内野席に座りたかったが、事前にネットで調べておくと三塁側内野席の上部がまだ発売中だったので、そこに狙いを付けた。
甲子園駅に着いて、いつものように甲子園球場へ歩いて行ったが、これは以前と変わらぬ景色だ。
ただ、出店している店などは変わっていたが。
切符売り場に行くと案の定、三塁側上部の内野席は売られていた。
筆者は迷わず、そのチケットを購入する。
だが、それは重大な間違いだった。
甲子園名物と言えば蔦。
しかし、2006年に始まった甲子園のリニューアル工事により伐採されてしまった。
工事終了後、再び蔦が植え始められたが、まだまだ蔦の絡み具合は不十分である。
▼まだまだ蔦の発育状態は充分ではない
筆者が生まれて初めて野球場に行ったのは小学三年生の夏休み。
大阪市内にあった日本生命球場だったが、その時に初めてプロ野球のナイトゲームを観戦したのだ。
その一週間か二週間ぐらい後だっただろうか、今度は夏の高校野球が行われていた甲子園球場を訪れる。
この時の衝撃は、今でも忘れない。
同じ野球場と言っても、日生球場と甲子園球場では、全く雰囲気が違ったのだ。
その大きな要因は、蔦の存在である。
現在の甲子園球場での蔦がどのように発育するのは不明だが、野球の聖地たる甲子園に相応しい蔦に育ってもらいたい。
チケットを購入し、三塁側内野席に陣取る。
ここなら雨に見舞われることもあるまい。
なお、高校野球では甲子園球場内での写真をネット上にアップすることは禁止されているため、当ブログでも球場内の写真掲載は自粛する。
筆者の左隣に座る予定だったオジサンがいて、さらに左隣りの席が空いていたので、そこに座ることにしたらしい。
もちろん、その空いた席のチケットを持った人がいれば席を譲らなければならないが、まだその人は来ていなかった。
そのオジサンにそういう事情を聞いていると、筆者の右隣りに親子連れがやって来る。
その父親は、どうやら第二試合に登場する京都外大西の関係者か、OBらしい。
やたら京都外大西の応援歌に詳しく、京都外大西にヒットが出るたび(というより、京都外大西のピッチャーがストライクを取るたび)に2つのメガホンを鳴らして大喜びしていた。
ただ、息子の方はまだ野球を判ってないらしく「今のはどうなったの?」としきりに訊く始末。
そして、この日の京都外大西の相手は前年度優勝校の山梨学院。
京都外大西は先制するものの、後半は地力の差を見せ付けられて1-7で完敗した。
右隣りの親子連れは、試合終了後にそそくさと席を立って帰ろうとしたが、父親が徐に振り返って筆者に「僕の席に何か落ちてませんか?」と訊いてきた。
右隣りの席を確認すると、財布が落ちている。
父親に財布を渡したが、財布を落とすなんて京都外大西の敗戦がよほどショックだったようだ。
ところで、左隣りのオジサンは、試合途中に本来の席の人が来たため、筆者の左隣りに移動した。
二人で顔を見合わせ、思わず無言で苦笑い。
このオジサンも、第二試合が終わると球場を後にした。
ちなみに私事で恐縮だが、山梨学院の吉田洸二監督は、筆者の同僚の恩師である(長崎県立清峰高校時代、野球部とは関係ない)。
第二試合が終わり、腹ごしらえをしようとスタンド下の売店へ行く。
この日は、とにかく寒かった。
太陽は顔を覗かせるも、筆者は大銀傘の下にいるので、ずっと日陰。
むしろ屋根のない席の方が、日光が当たって暖かそうだった。
同じ大銀傘があるにしても、甲子園の場合は午前中から午後にかけては一塁側の方に陽が降り注ぐ。
先に、三塁側の内野席に陣取ったことを「重大な間違い」と書いたのは、そういう意味だ。
三塁側は、陽が当たらないので寒くてたまらない。
ただ、第二試合の途中で凄い音が鳴り響き、何事かと思ったら、激しい雨が降ってきた(おそらく雹も混じっていただろう)。
つまり、雨や雹が大銀傘に当たった音である。
寒かったとはいえ、甲子園の大銀傘は雨や雹から守ってくれたのだ。
左隣りのオジサンと「凄い雨ですねえ。第三試合は中止ですかね」なんて話していたほど、グラウンドでの雨が目に見えていた。
もっとも、この雨は長くは続かなかったため、水捌けの良い甲子園の土と、阪神園芸の神技にかかると、第三試合には全く支障がなかったが。
それはともかく、スタンド下の売店はどこも満員。
甲子園名物のカレーライスを堪能したかったが、この寒さを考慮してカレーうどんにした。
▼これはアップしても良かろう。甲子園のカレーうどん
野球観戦と言えばビールだが、この日はあまりに寒かったため、ビールは2杯でギブアップ(それでも2杯も呑んだんかい)。
熱燗を売っている売り子もいたので、その後は熱燗に切り替えた。
筆者が高校野球で好きなのは、試合前のシートノック。
やっていることはどの高校も大差はないのだが、やはりどこか違うのだ。
強豪校と言われるチームは、この僅か7分間のシートノックを有効に使う。
ハッキリ言って、プロを名乗っている独立リーグの監督やコーチよりも、高校野球の監督やコーチの方がノックは遥かに上手い。
筆者はカレーうどんをすすりながら、シートノックを堪能した。
第三試合は、江戸時代に開校したという和歌山県立耐久高校と、中央学院(千葉)との対決。
序盤は好勝負となり、最後まで観たかったところだが、時間の関係により試合途中で退席した(結果は7-1で中央学院の勝利)。
そして、この日のもう一つの目的だった甲子園歴史館に向かう。
今年は、甲子園にとって100歳を迎えるということで、甲子園歴史館もリニューアルされたらしいので、是非とも行きたかった。
甲子園歴史館に行くのも久しぶりである。
以前はレフトスタンド下からスコアボードにかけて歴史館が設置されていたのだが、現在はスタンドから離れた場所にあるらしい。
レフトスタンドの後方にある歴史館でチケットを購入した。
なお、甲子園歴史館も甲子園でのフィールド内と同じく、写真撮影は許されているものの、ネット上に写真をアップするのは禁止されているので、当ブログで写真は掲載できないことをご容赦いただきたい。
甲子園歴史館では、阪神タイガースの数々の展示はもちろん、センバツ開催中ということでセンバツ関連のグッズや写真等も数多く展示されていた。
さらに、バーチャルのバッティングセンターやピッチング・エリアまであったのである。
甲子園歴史館を出ると、実は今までと同じくレフトスタンド下にも歴史館はあった。
もちろん、同じチケットで入場可能である。
球場エリアには、甲子園球場そのものの歴史が数多く展示されていた。
リアル野球だけではなく、高校野球漫画の展示まである。
スコアボード・エリアには、手書き時代の選手名スコアボードが飾られていた。
また、野球以外ではアメリカン・フットボールの大学日本一決定戦である甲子園ボウルも展示されている。
甲子園のクイズ検定なんてのもあった。
甲子園歴史館に行くと、甲子園球場こそが日本野球の歴史そのものだと実感させられる。
いや、日本スポーツ史の原点と言ってもいい。
甲子園球場が誕生したのは1924年(大正13年)8月1日。
この1世紀の間、甲子園は誇り高き伝統を守りつつ、絶えず進化を続けてきた。
今年(2024年)の8月1日に100歳を迎える甲子園球場を、是非ともご堪能いただきたい。
ネタランではすっかりお馴染みになった、奈良県大和高田市を流れる高田川の千本桜。
昨年に引き続き、今年も行ってまいりました。
今年は開花が遅かったのですが、それが却って幸いし、日曜日の4月7日にちょうど満開を迎えたのです。
ちょっと曇りがちだったのが残念ですが、太陽も時おり顔を覗かせ、絶好の花見日和になりました。
それでは、高田川の千本桜を存分にご堪能ください。
▼千本のソメイヨシノの中に1本だけヤエザクラかな?
▼桜が満開となった天気のいい日曜日。屋台も出て大賑わい
▼生まれて初めて屋台の広島焼を食べる。大阪のお好み焼きとあまり変わらず
▼高田川を泳ぐコイ。カープ、カープ、カープ広島、広島カープ♪
▼コイだけではなく、ハトも花見かな?
▼高田川の隣りにある、大中池の桜
今年(2024年)の3月1日、漫画家の鳥山明さんが68歳という若さで亡くなった。
鳥山先生の代表作と言えば「Dr.スランプ」そして「ドラゴンボール」である。
どちらも奇想天外な漫画だが、「ドラゴンボール」には「精神と時の部屋」という摩訶不思議な空間が登場した。
「精神と時の部屋」とはどんな部屋かと言えば、地上では1日しか経っていないのに、この中に入ると1年間もの時間が流れているのである。
戦闘民族サイヤ人が超(スーパー)サイヤ人になっても歯が立たない人造人間セルが現れた時、普通の修業ではセルにはとても勝てないので、孫悟空や息子の孫悟飯、ベジータらが「精神と時の部屋」に入り、1日で1年分の修業を行った。
荒唐無稽、いかにもマンガ的な発想だが、実は「精神と時の部屋」は本当に実在するのだ。
それは、我々が住んでいるこの世界である。
このことを理解するためには、まずは相対性理論を知らなければならない。
アルベルト・アインシュタインが提唱した特殊相対性理論では、時間というのは絶対的なものではなく、状況によって時間の進み方が変わるのだ。
よく知られているのが、スピードが光速に近付くと時間の進み方が遅くなる、というものである。
この世で最もスピードが速いのは光で、秒速約30万㎞だ(正確には真空中で299,792,458 m/s)。
極端な話、我々が静止しているときと、新幹線に乗っているときでは時間の進み方が違うのである。
ただし、新幹線程度のスピードでは時間の進み方が変わっても微々たる違いなので、時間の進み方が遅くなっても我々が気付くことはない。
もっと言えば、地球上で最も速い宇宙ロケットに乗ったとしても、時間の進み方の違いなんて全く判らないだろう。
だが、光速に近付けば、時間の進み方は明らかに遅くなるのである。
一般相対性理論では、速度だけではなく重力によっても時間の進み方が変わるのである。
どういうことかと言えば、重力が強ければ強いほど時間の進み方が遅くなるのだ。
重力が強い、という天体で連想されるのがブラックホールである。
ブラックホールとは、太陽よりも遥かに重い恒星が最期を迎える時、収縮されて密度が無限に凝縮された成れの果てだ。
ブラックホールの周囲では、その重力のために空間が捻じ曲がり、光ですら真っ直ぐ進めなくなる。
空間が捻じ曲がる、というのも想像できないが、相対性理論では時間だけではなく空間も絶対的な存在ではないのだ。
そして、重力が無限大になっているブラックホールでは、時間が止まっていると考えられている。
つまり、矢沢永吉がわざわざ「時間よぉ~止ま~れ~」なんて願わなくても、ブラックホールの中では時間は止まってくれているのだ。
時間が止まっているブラックホール、あるいは時間の進み方が遅いブラックホール周辺から見れば、我々が住んでいる地球は時間の流れが圧倒的に早いので「精神と時の部屋」と同じ状態ということになる。
それにしても、同じ宇宙にあるのに、時間の進み方が早かったり、あるいは止まっていたりと、なかなか想像し難いだろう。
こんな不思議な世界の存在を証明したからこそ、相対性理論は面白いし奥が深い。