先日も日記で少し書きましたが、亡くなった叔母のお通夜と告別式(初七日を含む)が行われました。
僕と叔母との関係は、以下の日記をご覧ください。
京都の亀岡から姉がやって来て、母親と共に3人でお通夜と告別式に出席しました。
お通夜の翌日、神戸から三女(母親の妹で、亡くなった叔母の姉)とその子供2人(姉と弟)が来て、告別式のみの参加です。
告別式には、久しぶりに母親方の親戚が集まったわけです。
昔は、盆と正月になるたびに、親戚が我が家に集まっていました。
みんなで集まってやることと言えば麻雀。
僕も高校生の頃からメンツに加わり、僕の両親はもちろん亡くなった叔母やその旦那さんらと昼も夜も麻雀ばかりしていました。
二抜け(5人以上いたため、2位の人は抜けるルール)でメンツに漏れた人は、盆の昼間は高校野球、正月の昼間はラグビーを見てたものです。
夜は徹夜麻雀、メンツ外は仮眠をとってました。
亡くなった叔母の一人息子は先日「おかげで僕ら子供はほったらかしやった」と、ぼやいていたぐらいです。
叔母も亡くなる前、もう一度麻雀をしたかったと言っていたんだとか。
その子供たちも今やいい大人になってしまいましたが、久しぶりに会うと関係はいっぺんに当時のままに戻りました。
僕や姉にとって、叔母の一人息子や神戸の姉弟は未だに可愛い弟や妹です。
先日の日記にも書いたように、叔母の一人息子はこの夏に家族葬専門の葬儀会社を開業しました。
今回の葬儀は4回目だそうですが、お通夜と告別式を通しで行ったのは今回が初めてです。
ある意味、本格的な葬儀では最初の客が自分自身。
一人息子は、自分の母親の葬儀でありながら、気丈に司会進行も務めていました。
社員(2人の女性しかいないけど)からは「社長」と呼ばれていて、「お前が社長と呼ばれるようになったか」なんて言っていたものです。
しかし、自分の親の葬儀を仕事として行うというのは、どういう気持ちなのでしょう。
僕には想像もつきません。
喪主は叔母の旦那さん、つまり一人息子の父親です。
旦那さんは明るいオヤジで、自分の妻の葬儀にもかかわらず常に冗談を言って笑顔を振りまいていました。
久しぶりに僕の顔を見た途端「おう、お嫁ちゃんはどうしたんや!?」と判り切ったことを訊いてくる始末。
心配せんでも見付けたら式に呼んだるがな、と答えました。
そんな明るい旦那さんも、出棺の時には人目をはばからず涙を流してました。
もちろん、旦那さんの涙を見たのは初めてです。
旦那さんが泣く姿なんて、それまでは想像すらできませんでした。
棺の中の叔母は、オシャレだった若い頃からは大きく変わり果てた姿になっていました。
お見舞いに行った時も既に昔の姿ではなかったのですが、それよりも一層やせ細っていたのです。
そして火葬され、お骨拾いに行ったときは、当たり前の話ですが骨だけになってました。
2時間ぐらい前までは姿かたちもちゃんとあったのに、信じられない姿になって、これで本当にもう帰って来ないんだと実感したものです。
僕や姉は叔母のことを「タカちゃん」と呼んでました。
バイバイ、タカちゃん。
僕がそっちに行った時、4人以上揃ってたら麻雀やろうな。
【追記】
トップ画像は、お通夜会場へ行く時に架かっていた虹です。
姉が車の中から撮った写真なので窓ガラスに光が反射してますが、虹の根っこがあんな近くに見えたのは初めてでした。
歩いて虹の根っこまで行けそうです。
まるでタカちゃんが天国へ昇りやすいように架けられた橋のように思えました。