地下鉄2路線の駅名であり、JRも通っていて近くには大阪天満宮もあるので、大阪では知られた地だ。
ところが、南森町があるのは北区。
北なのになぜか南なのだ。
まあ、そんなことはままあるだろう。
そもそも大阪市内には「西中島南方」なんていうワケのわからん駅名がある。
ところが、南森町というからには他に「森町」と付く地名がありそうなものだが、これがないのだ。
大阪市北区には北森町も東森町も西森町も、さらには中心たるべき森町すらない。
なぜ森町は南にしかないのか。
あるいは「南」の「森町」ではなく、「南森」の「町」なのかも知れない。
しかし、この近くには「南森」の由来となるものは何もない。
ちなみに苗字で「南森」さんというのは、日本全国で100人ほどしかいないという珍名さんだ。
「西森」さんは16,300人ほどいるのに、「南森」さんは極端に少ない。
「東森」さん(約1,500人)や「北森」さん(約2,400人)も多いとは言えないが、「南森」さんよりはずっと多いのだ。
つまり、この辺りに「南森」さんが住んでいて、それが地名の由来になったとは考えにくい。
ところが、調べてみると南森町の北側にはかつて、北森町があったというのだ。
1872年(明治5年)に南森町と北森町が生まれたが、1978年(昭和53年)の町名変更で北森町の方は消えてしまったらしい。
南森町の方は、駅名にもなって浸透していたので生き残ったという。
実は明治時代以前の江戸時代には既に南森町という地名はあったようで、その時には北森町もあったのだろう。
ではなぜ「森町」という地名はないのか。
「南森町」しかないというのは、「浦和駅」「東浦和駅」「西浦和駅」「南浦和駅」「北浦和駅」と、「浦和」が全て揃った埼玉県さいたま市とは大違いだ(他にも「中浦和駅」「武蔵浦和駅」「浦和美園駅」と、「浦和」が付く駅は8個もある)。
つまり、鎮守の森の南側が南森町で、北側が北森町というわけだ。
鎮守の森に町は作れないので「森町」はないということか。
なるほど、これで南森町の謎は解けた。
今後、北森町が復活するとは考えにくいので、南森町は永久に孤独な存在なのだろう。