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安威川敏樹のネターランド王国

お前はチョーマイヨミか!?

ネターランド王国憲法

第1条 本国の国名を「ネターランド王国(英名:Kingdom of the Neterlands)」と言う。
第2条 本国の国王は「禁句゛(=きんぐ)、戒名:安威川敏樹」とする。
第3条 本国は国王が行政・立法・司法の三権を司る、絶対王制国家である。
第4条 本国の公用語は日本語とする。それ以外の言語は国王が理解できないため使用禁止。
第5条 本国唯一の立法機関は「日記」なる国会で、国王が一方的に発言する。
第6条 本国の国民は国会での「コメント」で発言することができる。
第7条 「コメント」で、国王に不利益な発言をすると言論弾圧を行うこともある。
第8条 「コメント」で誹謗・中傷などがあった場合は、国王の独断で強制国外退去に踏み切る場合がある。
第9条 本国の国歌は「ネタおろし」とする(歌詞はid:aigawa2007の「ユーザー名」に記載)。
第10条 本国と国交のある国は「貿易国」に登録される。
第11条 本国の文章や写真を国王に無断で転載してはならない。
第12条 その他、上記以外のややこしいことが起きれば、国王が独断で決めることができる。

ダイエー時代の終焉

今年(2015年)の8月31日をもって、大阪府富田林市にあるダイエー富田林店が閉店した。

筆者にとって最も近くにある大型スーパーだっただけに感慨深いものがある。

 

筆者が生まれたのは富田林市内だが、同じ富田林市でも南海高野線沿線の金剛団地であり、幼少の頃は富田林市の中心部たる近鉄長野線富田林駅の方面にはほとんど行ったことがなかった。

現在でこそ富田林駅と南海高野線の金剛駅の間には幹線道路が通っているが、羽曳野丘陵が南北を縦断しているため、昔の富田林市は東西に分断されていたのである。

 

筆者が近鉄沿線に引っ越したのは1976年4月のことだったが、近鉄沿線と言っても最寄り駅の富田林駅(あるいは喜志駅)までバスで20分もかかる超ド田舎だった。

日常の食料品は町内で賄えたが、ちょっとした買い物となるとバスか車で富田林まで出なければならなかったのである。

 

だが、筆者が引っ越した頃はまだ、富田林にダイエーはなかった。

しかし、富田林駅の近くには西友があったのである。

西友富田林店は地上4階建て、当然のことながらエスカレーターも備えていた。

 

金剛団地に住んでいた頃、近くにあったスーパーと言えばジャスコしかなかったが、1階が食品売り場、2階が上新電機となっているだけで、もちろんエスカレーターなどなく階段で昇り降りしていたのである(現在は両店とも既に閉店)。

当時の筆者は、エスカレーターと言えばデパートにしかないと思っていたから、

「富田林にはデパートみたいに大きいスーパーがあるんや!」

などと思っていた。

もっとも、エスカレーターと言っても、西友にあったのは登りのみで、降りるときは階段でえっちらおっちら下らなくてはならなかったが……。

 

ダイエー富田林店が完成したのは、引っ越してから半年後の同年10月のことだった。

こちらは地上3階、地下1階で、建物的には西友より低かったものの地階があるため規模的には変わらず、エスカレーターは上下ともにあった。

エレベーターこそなかったものの、スーパーに地階があるというだけで、当時の筆者には信じられなかったのを憶えている。

現在ではスーパーに地下やエスカレーター、さらにはエレベーターがあるなんて珍しくもないが、そんなものは都会のデパートにしかないと思っていた筆者には、拭いがたい田舎コンプレックスがあったのだ。

それはともかく、富田林駅前に西友ダイエーが並び立つという、スーパー競争時代に突入したのである。

 

しかし、同じ富田林駅前と言っても、ダイエーの方に大きなアドバンテージがあった。

西友は駅からやや離れていたが、ダイエー富田林駅の真ん前。

しかも、西友には貧弱な駐車場しかなかったが、ダイエーには開店当初から屋上駐車場を備えていた。

後に西友にも立体駐車場が完成したが、ダイエーの有利は変わらなかった。

 

世はバブル景気の時代。

ダイエーは業績を一気に伸ばし、その勢いはとどまることを知らなかった。

富田林でも、西友との差をジリジリと広げていったのである。

ダイエー本社も1988年の暮れに大阪のプロ球団だった南海ホークスを買収、福岡に移転し福岡ダイエー・ホークスとして人気球団に生まれ変わらせた。

 

しかし、ダイエーの天下も長くは続かなかった。

1990年代に入るとバブルが崩壊。

ダイエーにとって大打撃となった。

 

富田林でも、前述の羽曳野丘陵を切り開いて金剛東団地を開発、その中心部にジャスコ金剛東店がオープンした(現在のイオン金剛東店)。

ジャスコ金剛東店はエコール・ロゼという専門店街も併設する巨大スーパーで、富田林駅と金剛駅の中間という鉄道不便な地ながらも、広大な駐車場を備えて不利を補った。

郊外型の巨大ショッピングモールのはしりである。

ダイエー型のスーパーは時代遅れとなりつつあった。

ちなみに、イオン金剛東店の立体駐車場が今年、HONDAジェイドのCM撮影に使われた。

 

HONDAジェイドのCM。最後に登場する螺旋状の道路がイオン金剛東店の立体駐車場。「Koyodai,Osaka」の表記がある

www.youtube.com

 

ジャスコ金剛東店の登場により、ダイエー西友はモロに影響を受けた。

富田林駅前に二つもスーパーがあれば、片方が淘汰されるのは自明の理。

西友富田林店はまもなく、閉店に追い込まれたのである。

もちろん、ダイエー富田林店にとっても対岸の火事ではなかった。

 

ダイエー本社の業績も悪化する一方で、福岡ダイエー・ホークスも身売りされ福岡ソフトバンク・ホークスとなった。

一方、イオングループジャスコなどを統合して巨大化し、ダイエーは時代のうねりに飲み込まれて行ったのである。

ダイエーが「ごはんがおいしくなるスーパー」と銘打ってロゴマークを一新したが、現状打開には至らなかった。

 

新ロゴマークとなったダイエー富田林店。かつては写真の奥に子供用の乗り物があったため、富田林店には「ダイエーレジャーランド」の愛称があったが、その後は駐車場になった

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2013年には、遂にイオングループに組み込まれることになった。

そして今年(2015年)1月1日、イオンの完全子会社になったのである。

スーパーマーケット業界の最大手として我が世を謳歌したダイエーが、風前の灯火となってしまった。

 

さらに8月31日、富田林店閉店と時を同じくして、九州からダイエーが完全に消えたのである。

ホークスを根付かせて九州の象徴的な存在だったダイエーが、とうとう消滅してしまった。

 

今後、全国からもダイエーの名前が消えて、全店舗がイオンになってしまうのだろうか。

そうなれば、

ジャスコで万引き ダイエーで食い逃げ ニチイで捕まり ブタ箱へ♪」

という替え歌に登場するスーパーは、全てイオンになるということである。

 

上記替え歌の元歌「ジャスコで逢いましょう」。動画は現在閉鎖中のイオン(元はジャスコ藤井寺

www.youtube.com

 

 

ダイエー富田林店の屋上駐車場から富田林の街を望む。遠くには雲で隠れて見えないが葛城山と金剛山の山並み、手前は近鉄長野線。もうここからの景色は見ることができない

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