落語家の修行というのは厳しいらしい。
師匠にとっても他人のお子さんの人生を預かるわけだから、実の親以上に厳しく躾ける。
では、実の子を弟子にすると、どうなるのか。
これは他の弟子の手前上、甘やかすわけにはいかない。
相撲界の若貴兄弟と同じく、我が子には他の弟子以上に厳しく接する。
例えば、現在の林家正蔵(以前の林家こぶ平)がそうだ。
偉大なる父・初代林家三平に弟子入りすると、我が父かと疑うぐらい厳しく鍛えられた。
また、他の弟子からもそれまではお坊ちゃん扱いされていたが、正蔵が新弟子になると待ってましたとばかりにイジメにかかる。
親に弟子入りするというのは、想像を絶する苦労があるわけだ。
では、月亭八光の場合はどうか。
八光の父親はご存知の通り、月亭八方。
八光が成長した頃、父と同じ道を目指して父の八方に弟子入りした。
八方は我が子に、林家三平が施したような厳しい修行を強いた。
……わけではなく、躾も何もなくほったらかし。
落語の稽古すら付けようとしない。
当然、八光の落語が上達するわけもない。
それもそのはず、父の八方の師匠が、あの悪名高い月亭可朝だったのである。
可朝と言えば、あの人間国宝・桂米朝の弟子にも関わらず、古典落語は一切やらずにカンカン帽を被ってギターを弾きながら、
「ボインやで〜♪」
なんて歌っていた人物である。
そんな師匠に育てられた八方が、弟子に厳しい稽古など付けられるわけがない。
それに、他人の親から預かった弟子なら責任も持つが、所詮は我が子である。
たかが我が子の弟子に、稽古を付けるのもめんどくさい。
そんなことをしているヒマがあったら、ビールを呑みながら阪神の応援をしたい。
野球がない日は、麻雀でもしていたい。
八方はそう考えていた。
そんなある日、八光が若手落語会の出演が決定し、古典落語を披露することになった。
これにはさすがに八光も、師匠の八方に対して、
「オヤジ、いや師匠!頼むから僕に稽古を付けてください!!」
と、土下座して懇願した。
我が子であり弟子でもある八光の熱意ある申し出に、八方はようやく重い腰を上げた。
「ちょっとそこで待っとれ!」
そう言って八方は奥の部屋に消えた。
やがて八方が戻ってくると、その手にはカセットデッキがあった。
「ええか、このカセットデッキに入ってるのは桂米朝師匠の落語テープや。このテープを何回も聞いて覚えろ!そして米朝師匠と同じように喋るんや。これに勝る稽古はない!」
そう言い残してその部屋から立ち去った八方は、自室でビールを呑みながらサンテレビの阪神戦を楽しんでいたという。
つまり、八光にとっての真の師匠は八方ではなく、人間国宝・桂米朝の落語テープだったのだ。
その後、月亭八光は関西で売れっ子タレントとなった。
「八光」という芸名は「親の七光りを越える」という意味でも名付けられたのだが、今の八光は七光りを利用しまくっている。
売れるのに、厳しい修行は必要ない、というところか。