今週号の週刊ベースボールは「史上最強の変化球」という特集だった。
1位に選ばれたのは野茂英雄と佐々木主浩の、いずれもフォークボール。
同じフォークボールというだけではなく、野茂も佐々木も日米を通じて活躍したという点でも興味深い。
日本人で最初にフォークボールを投げたのは杉下茂だと言われているが、日本人に適した変化球なのだろう。
1986年、メジャーリーグ(MLB)のナショナル・リーグで奪三振王に輝いたマイク・スコットは、スプリットフィンガー・ファストボール(SFF)という変化球を駆使していた。
日本流で言えば「高速フォーク」で、ストレートに近いスピードを出すために、フォークボールに比べると握りが浅いのではないかと言われていた。
同年、日米野球でスコットが来日し、SFFの投げ方と変化の仕方が注目されたが、日本流のフォークボールとあまり変わらなかった。
日本人はアメリカ人に比べて手が小さいため、アメリカ流で言うSFFが即ちフォークボールなのだろうと予想された。
そう考えれば、野茂や佐々木のフォークボールがMLBで通用したのにも合点がいく。
野茂によると、
「MLBのボールはNPBよりも若干大きいので、力を入れずにボールを挟むことができた」
ということだが、そのおかげでスピードが落ちることなくボールはよく落ちたのだろう。
同じ号では、野球漫画の魔球も取り上げられていた。
ただ、その中に「プレイボール」に登場する谷口タカオのフォークボールがなかったのが残念。
まあ、漫画の魔球と言えば荒唐無稽なものばかりだから、フォークボールはあまりにも平凡だったのかも知れない。
しかし、谷口のフォークボールは一風変わっていた。
谷口は中学時代、試合中に右手人差し指を骨折し、それ以来指は曲がったまま真っすぐに伸びなくなってしまった(このあたりの事情は「プレイボール」の元となった作品「キャプテン」に描かれている)。
高校に進学した谷口はボールを握ることができず、野球を諦めて当初はサッカー部に入部したものの、野球への思いが断ち切れなかったため野球部に入部する。
最初はボールをまともに投げることができなかったが、持ち前の努力で指が曲がったままのダイレクト送球を可能にした。
しかし、谷口の送球をナインは捕れなくなり、異変に気付く。
なんと谷口は、曲がった人差し指でフォークボールを投げていたのだ。
フォークボールは普通、人差し指と中指でボールを挟んで投げる。
しかし谷口は普通にボールを握れないため、曲がった人差し指と親指でボールを挟んで投げていた。
サードを守っていた谷口は、送球を少しでも速くしようとボールを抜いて投げていたため、天然のフォークボールとなっていたのだ。
思わぬ形でフォークボールを投げられるようになった谷口はピッチャーも務めるようになり、その後は指の手術も成功して、エースとして活躍することになる。
(「プレイボール」および「キャプテン」の詳細については、拙著「野球少年の郷(ふるさと)・墨谷―『キャプテン』『プレイボール』の秘密―」を参照)。
谷口流のフォークボールは、NPBでは佐藤義則が投げていた「ヨシボール」のようなものだろう。
佐藤は指が短かったために、人差し指と中指でボールを挟むことができず、谷口と同じように人差し指と親指で挟んで投げるフォークボール、「ヨシボール」を完成させた。
MLBで同じような投げ方をする変化球を「サークルチェンジ」と呼ぶ。
話を週ベの特集に戻すと、魔球とも思える変化球を駆使した、様々なNPBの投手が紹介されていた。
ただその中に、山本和行の名前がなかったのは残念である。
山本もまた、フォークボールをウィニングショットにしていた。
江川卓がプロ入りした時、プロの洗礼を浴びせたのは逆転3ランを放ったマイク・ラインバックではない。
「ヤマカズさんだった」と江川は振り返る。
江川のデビュー戦、相手は因縁の阪神タイガースで、先発投手は山本だった。
江川のプロ初打席、山本は初球をストレートでストライクを取った。
その球を見逃した江川は、我が目を疑った。
「おいおい、これがプロの一流投手なの?」
と。
江川は大学時代、強打者としても鳴らしていて、バッティングにも自信があった。
しかし山本のストレートを打席で見たとき、
「大学にはもっと速いピッチャーは沢山いたぞ。このスピードで一流投手なら、俺はプロで30勝できるな」
と真剣に思ったという。
2球目、同じコースにまたストレートが来たので「いただき!」とばかりに江川は強振した。
しかし空振り。
あれ、ボールから目が離れたのかな?今度はボールをよく見てみよう……。
3球目、ボールをよく見た江川は、
「よし、今度こそストレートだ!」
バットを振り始めた途端、ボールが目の前から消えてしまった。
あえなく空振り三振である。
山本が2球目、3球目に投げたのはいずれもフォークボールだったのだ。
ボールが目の前から消える、江川にとって山本のフォークは「消える魔球」だった。
と同時に、プロの恐ろしさを思い知って顔面蒼白となった。
「30勝なんてとんでもない。真剣にやらないと潰されるぞ」
江川はこの日、敗戦投手となり、プロの厳しさを味わう結果となった。
山本はこの「消えるフォーク」について、「他の投手のフォークとは軌道が違う」と説明している。
フォークボールとは普通、真っすぐの軌道で進み、一旦浮き上がってから沈むのだという。
ところが山本のフォークボールは浮き上がらずにそのまま進んで行って、打者の手元で急に沈むのだそうだ。
素人考えでは一旦浮き上がった方が打ちにくいように思うが、山本によるとそうではない。
真っすぐの軌道のまま進んできて、急に落ちるから打者から見ればストレートとの違いがわからない、ということらしい。
普通のフォークボールは一旦浮き上がるから、打者はフォークボールとわかるので対処できる。
しかし山本は、打者に対処させないフォークボールを投げていたのだ。
山本のフォークボールの特殊性はまだある。
フォークボールの握りをするとき、普通の投手はサインを覗いている時にグラブの中でボールを挟むが、中には腕の筋肉の動きで球種を見破ってしまう恐ろしい打者もいる。
しかし山本は、投球モーションに入った時はストレートの握りで、投げる直前にボールを挟む、という芸当ができた。
つまり打者にとっては、握りもストレートだしボールが浮き上がらないのだから、直前までストレートとしか思えないのだ。
どうりで山本のフォークは打者の手元で消えるわけである。
山本は球界きっての理論家だ。
記者からの質問にも、間違った箇所は聞き逃さない。
「打たれた球はフォークのすっぽ抜けですか?」
という質問に対しても、山本はこう答える。
「フォークはすっぽ抜かせるから落ちるんや。だから『フォークがすっぽ抜けなかったから落ちなかったんですか?』と訊くのが正しい」
いちいちごもっとも。
谷口だって、ボールをすっぽ抜かせるようにしたからこそ、フォークボールを投げられるようになったのだ。
しかし、素人相手にそこまで細かいことをツッコまんでも、と思えなくもない。
山本は相当なヘソ曲がり、と言って悪ければ頑固者である。
「山本和が山の頂上に御殿のような家を建てる」
関西のスポーツ紙にこのような記事が載った。
腕一本で建てた豪邸を紹介する、山本にとっては気分のいい記事のはずである。
しかし、山本は烈火の如く怒った。
怒るような内容ではないのに、なぜ?
「ウソを書いたらアカン。あの家が山の頂上にあるか?頂上付近やろが。それに御殿のような、の”ような”はいらんのや」
こんな記事にいちいちイチャモンを付ける山本は正確無比の完璧主義者なのか、あるいはただのヒネクレ者なのか。
山本流でいう「山の頂上付近の御殿」をなぜ建てたのか?
その「御殿」からは大阪湾まで一望できる、絶好の眺めだ。
山本は言う。
「ここから甲子園がポツンと見えるやろ。手を差し出したら甲子園が手のひらに乗るんや」
山本は甲子園球場を指で挟んで、フォークボールを投げたかったのかも知れない。