昨日(12月10日)は11年ぶりに日本各地で皆既月食が観測された。
地球の近くに月があるので、こんな天体ショーが見られる。
江戸時代以前の日本では太陰暦が採用され、月の満ち欠けによって暦が作られていた。
月の満ち欠けは月自身の影によるものだが、月食の場合は地球の影によって起こる。
太陽−地球−月が一直線上に並び、月が太陽から地球の影に隠れた時に、月食となるわけだ。
従って、満月の時以外には月食は起こらない。
その逆が日食のときで、太陽−月−地球が一直線上に並ぶ。
つまり、新月のときにしか日食は起こらないわけだが、太陽の通り道である黄道と、月の通り道である白道がピタリ一致したときに、皆既日食が発生する。
皆既日食での黒い太陽は、我々は月を見ているわけだ。
地球からの見掛け上の大きさが太陽と月ではほぼ同じだから、黒い太陽という奇跡が起こるのである。
逆に皆既月食のときは、我々が住む地球の影を見ていることになる。
月は太陽と違って自分で光を放つことはできず、月が地球に太陽光を隠されているのだから皆既月食になると全く見えなくなりそうなものだが、実際には赤銅色と呼ばれる赤黒い光を放ち、月の存在を確認できる。
これは地球に大気があるからで、地球の光が大気で屈折して月に届くため、地球の影に隠れても赤黒い月を見ることができるのだ。
月は言うまでもなく地球から最も近い天体であり、地球人類が唯一地球以外の星へ降り立った場所であるが、これだけ近いにもかかわらずまだまだわからない部分は多い。
未だに結論が出ていないのが、月はいかにして誕生したか、という点だ。
この件については、昔から3つの説がある。
(1)地球が誕生した時、ぐるぐる自転していて遠心力により飛び出た物質が月になった。(地球と月は親子説)
(2)地球が誕生した時、近くにあった地球と似た物質が月を形成した。(地球と月は兄弟説)
(3)地球が誕生した時、月は全然違うところで誕生したが宇宙を彷徨っていて、地球の引力圏に入り捕獲された。(地球と月は他人説)
だが、どの説も矛盾がある。
まず(1)の親子説は地球の自転速度が相当速くないと有り得ないし、(2)の兄弟説は、月の運動の特徴を説明できない。
(3)の他人説は、宇宙を彷徨っている天体を捕獲するのは極めて難しい、ということだ。
そこで近年、脚光を浴びているのが「巨大衝突説(ジャイアント・インパクト説)」である。
地球が誕生した頃、火星のような大きな天体が地球に衝突し、その両方の天体の物質が飛び散って月を形成したのではないか、という説だ。
これはさしづめ、異母兄弟説というところか。
現在ではこの説が最も有力視されているが、まだハッキリとした結論は出ていない。
月と地球の関係については、地球が形成された歴史にも大きく影響するので、その解答が望まれるところだ。
月とはもちろん地球の衛星であるが、衛星と呼ぶにはあまりにも巨大な存在だ。
いや、太陽系内には月よりも大きい衛星は木星や土星にもあるが、問題は主星との比較である。
衛星の直径は主星である惑星の100分の1以下であるが、月の直径は地球の4分の1もあり、衛星とは思えないほどの不自然な大きさである。
地球と月の関係は、惑星と衛星ではなく、宇宙規模で考えれば二連星と呼ぶべきだろう。
地球の近くにこんな巨大な星が存在するのだから、地球に影響がないわけがない。
一番身近に感じるのが、潮の満ち引きだろう。
月の位置によってその引力や遠心力で海面の水位が大きく変わり、場合によっては大水害を巻き起こす。
そんな身近なもの以外でも、地球の地軸に多大な影響を与えている。
現在、動かない星として有名なのがこぐま座にある北極星であるが、今から約2000年後にはケフェウス座にある星が北極星になってしまう。
これは月の引力によって地球の地軸がコマの首振り運動のようにブレてしまい、歳差運動と呼ばれる地軸の傾きで北極の位置が変わってしまうからだ。
そういう科学的な部分から離れても、月は文化的な面でも多大な貢献をしている。
竹取物語では、月を故郷とするかぐや姫が登場する。
「菜の花や 月は東に 日は西に」という与謝蕪村の俳句は、日本人の宇宙観を現わしていると言われる。
月をテーマにした歌は数知れない。
月は地球の周りを1回公転する間に1回しか自転しないため、常に表の顔しか見せない。
そのため、月ではウサギがいつも餅をついている。
11年ぶりの皆既月食で、月を興味深く見た人も多いだろう。
せっかくの機会だから、地球に多大な影響を与えた月に思いを馳せようではないか。