異種格闘球技戦?
いえいえ、スタン・ハンセンの全日本プロレスでのデビュー戦のことです。
全日デビューと言っても、それより7年前にハンセンは全日マットに登場していましたが、当時は無名のグリーンボーイだったため、有名になってからのデビュー戦ということです。
ハンセンはプロレスラーになる前は、アメリカンフットボールの選手だったのです。
ポジションはラインバッカー、つまりディフェンスの選手で、インターセプトをしない限りはタッチダウンは奪えないポジション。
短い期間でしたがNFLにも在籍し、ウエスト・テキサス大学時代は地元では有名な選手だったと言います。
元フットボーラー、ハンセンの全日デビュー戦の相手に選ばれたのが阿修羅・原です。
本名は原進。
近鉄ラグビー部に所属していた選手で、日本代表はおろか世界選抜にも選ばれた、日本ラグビー史上に残る名プロップのことです。
当時のプロップには「走れるプロップ」という認識があまりなくて、スクラムを支えるだけでボールに絡みにくい、というイメージでした。
原進はラグビー界を突如引退、国際プロレスに入団して、プロレスラーの阿修羅・原に変身しました。
このリングネームを考えたのはラグビーファンの作家・野坂昭如です。
その後、国際プロレスは倒産したため、全日に入団しました。
タッチダウンやトライとは縁が薄い、アメフトのラインバッカーとラグビーのプロップ、どちらが強いのでしょうか?
……、まあ、見ればわかるように体格にかなり差がありましたね。
しかしハンセンは、自伝「魂のラリアット(双葉社)」でこう語っています。
「全日本における最初の試合で私の相手となったのは、ラグビー出身の阿修羅・原だった。
今思い出しても、この選手は完璧だったと確信できる。
私のタックル、キック、そしてラリアットを耐えられるレスラーというのは稀にしかいなかったが、原はその数少ない一人で、とにかく短い試合時間の中に私の全てを凝縮することができたという点で、あれ以上の試合は他になかったと思う」
要するに、ハンセンの強さを引き出すためには、タフガイで頑強なレスラーが必要だった、ということでしょう。
打たれ弱い選手だったら、ハンセンも怪我をさせないように手加減してしまうので、ハンセンの迫力が伝わらない、と全日は危惧したと思われます。
その点、原はハンセンの相手としてうってつけのレスラーでした。
頑強な体はもちろん、首の強さでもスクラムの第一列として世界の一流選手を相手に鍛え抜かれています。
ハンセンの必殺技、ウエスタン・ラリアットをモロに受け切ることができるレスラーは、原以外にはいません。
敗れたとはいえ原にとって、これ以上の抜擢はなかったわけです。
ちなみに原は、6年後にはハンセンに「復讐」をしています。
それが世に有名な「ハンセン失神事件」。
相棒である天龍源一郎の協力があったとはいえ、あの頑強なハンセンを失神に追い込んだのです。
この時の、ハンセンのパートナーであるテリー・ゴディの慌てぶり、失神から甦ったハンセンの暴れぶりを見ると、アングルではなかったような気がします。
この後、原は借金問題のため全日を解雇され、その後もプロレス団体を転々として流浪の人生を送りましたが、プロレス引退後は郷里の長崎の高校ででラグビーの指導をし、現在では父親の介護をしているそうです。
まさしく阿修羅の如き人生だったと言えるでしょう。
そんな阿修羅・原のキョーレツすぎる入場テーマ曲はこちら↓