間もなく日本の夏が終わろうとしている。
大抵の人は、暑い夏なんて早く終わればいいのに、と思っているだろうが、不思議なことにいざ終わるとなると寂しい感傷にとらわれる。
そもそも「終わり」がある季節なんて、夏ぐらいではないだろうか。
「春が終わる」なんて言い方は聞いたことがないし、秋にしても「晩秋」という表現はあるが「秋が終わる」とは言わないだろう。
「冬が終わる」というフレーズもしっくり来ず、どちらかと言うと「春が来る」という表現がピッタリだ。
それに比べると夏は梅雨明けと同時に始まるし、秋の訪れと共に終わりを告げる。
ついでに言えば、日本には四季ではなくて六季あると思われる。
六季とは春夏秋冬の他に、初夏と梅雨があるわけだ。
つまり、春、初夏、梅雨、夏、秋、冬の順となる。
初夏、梅雨、夏は暦の上ではいずれも夏で、要するに夏だけで三つも季節が存在することになる。
日本には梅雨という雨季があるため、独特の季節感を醸し出しているのだろう。
梅雨というワンクッションがあるからこそ、初夏の概念を打ち出し一足早く「夏」を体感する。
大相撲の5月場所は夏場所だし、鯉のぼりは夏の季語だ。
もし梅雨がなければ初夏なんて季節はなかったのではないか。
余談だが、拙著「初夏の残像」を書いたきっかけは、文章サークルで、「初夏」を題材にして何か書いてくるように、とお題を出されたからだ。
それで「初夏の残像」の元の部分を書いたわけだが、結構評判が良かったので、さらに肉付けして短編小説にしたわけである。
ところが数名の人は、初夏とは梅雨明けの頃、つまり7月中旬ぐらいと思い込んでいた。
初夏という季節を知らない人が結構いたのである。
ちなみに「初夏の残像」の舞台は高校野球春季大会で、5月頃は春とも初夏ともとれる曖昧な季節なのだろう。
初夏から梅雨に入ると鬱陶しい長雨が続く。
しかし、梅雨がなければ日本の夏は味気ないものになるかも知れない。
梅雨が明けると、一気に本格的な夏が来る。
夏の到来を実感する、抜けるような青い空と白い雲は、梅雨が演出していると言える。
梅雨の長雨が、日本列島を綺麗に洗い流してくれるのだ。
だからこそ、夏が訪れると日本は眩い光に映える。
8月の声を聞くと、暦の上ではもう秋だ。
しかし、今が秋だとは誰も感じない。
まさしく夏真っ盛りで、甲子園では若人たちが熱い戦いを繰り広げている。
その風景は真夏そのものである。
だが、真夏の暑さとは裏腹に、空の景色は確実に秋へと移行していく。
大会の終盤になると赤トンボが飛び、決勝戦が終わり閉会式で甲子園のスコアボードのポールを見ると、旗を揺らす風は既に秋だ。
甲子園の夏が終わると共に、日本の夏もまた終わる。
夏の暑さと共に感じる秋風―それこそが季節の終焉にふさわしいのかも知れない。
浜田省吾「晩夏の鐘(Instrumental)」