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安威川敏樹のネターランド王国

お前はチョーマイヨミか!?

ネターランド王国憲法

第1条 本国の国名を「ネターランド王国(英名:Kingdom of the Neterlands)」と言う。
第2条 本国の国王は「禁句゛(=きんぐ)、戒名:安威川敏樹」とする。
第3条 本国は国王が行政・立法・司法の三権を司る、絶対王制国家である。
第4条 本国の公用語は日本語とする。それ以外の言語は国王が理解できないため使用禁止。
第5条 本国唯一の立法機関は「日記」なる国会で、国王が一方的に発言する。
第6条 本国の国民は国会での「コメント」で発言することができる。
第7条 「コメント」で、国王に不利益な発言をすると言論弾圧を行うこともある。
第8条 「コメント」で誹謗・中傷などがあった場合は、国王の独断で強制国外退去に踏み切る場合がある。
第9条 本国の国歌は「ネタおろし」とする(歌詞はid:aigawa2007の「ユーザー名」に記載)。
第10条 本国と国交のある国は「貿易国」に登録される。
第11条 本国の文章や写真を国王に無断で転載してはならない。
第12条 その他、上記以外のややこしいことが起きれば、国王が独断で決めることができる。

夏の終焉

間もなく日本の夏が終わろうとしている。
大抵の人は、暑い夏なんて早く終わればいいのに、と思っているだろうが、不思議なことにいざ終わるとなると寂しい感傷にとらわれる。


そもそも「終わり」がある季節なんて、夏ぐらいではないだろうか。
「春が終わる」なんて言い方は聞いたことがないし、秋にしても「晩秋」という表現はあるが「秋が終わる」とは言わないだろう。
「冬が終わる」というフレーズもしっくり来ず、どちらかと言うと「春が来る」という表現がピッタリだ。
それに比べると夏は梅雨明けと同時に始まるし、秋の訪れと共に終わりを告げる。


ついでに言えば、日本には四季ではなくて六季あると思われる。
六季とは春夏秋冬の他に、初夏と梅雨があるわけだ。
つまり、春、初夏、梅雨、夏、秋、冬の順となる。
初夏、梅雨、夏は暦の上ではいずれも夏で、要するに夏だけで三つも季節が存在することになる。


日本には梅雨という雨季があるため、独特の季節感を醸し出しているのだろう。
梅雨というワンクッションがあるからこそ、初夏の概念を打ち出し一足早く「夏」を体感する。
大相撲の5月場所は夏場所だし、鯉のぼりは夏の季語だ。
もし梅雨がなければ初夏なんて季節はなかったのではないか。


余談だが、拙著「初夏の残像」を書いたきっかけは、文章サークルで、「初夏」を題材にして何か書いてくるように、とお題を出されたからだ。
それで「初夏の残像」の元の部分を書いたわけだが、結構評判が良かったので、さらに肉付けして短編小説にしたわけである。
ところが数名の人は、初夏とは梅雨明けの頃、つまり7月中旬ぐらいと思い込んでいた。
初夏という季節を知らない人が結構いたのである。
ちなみに「初夏の残像」の舞台は高校野球春季大会で、5月頃は春とも初夏ともとれる曖昧な季節なのだろう。


初夏から梅雨に入ると鬱陶しい長雨が続く。
しかし、梅雨がなければ日本の夏は味気ないものになるかも知れない。
梅雨が明けると、一気に本格的な夏が来る。
夏の到来を実感する、抜けるような青い空と白い雲は、梅雨が演出していると言える。
梅雨の長雨が、日本列島を綺麗に洗い流してくれるのだ。
だからこそ、夏が訪れると日本は眩い光に映える。


8月の声を聞くと、暦の上ではもう秋だ。
しかし、今が秋だとは誰も感じない。
まさしく夏真っ盛りで、甲子園では若人たちが熱い戦いを繰り広げている。
その風景は真夏そのものである。
だが、真夏の暑さとは裏腹に、空の景色は確実に秋へと移行していく。
大会の終盤になると赤トンボが飛び、決勝戦が終わり閉会式で甲子園のスコアボードのポールを見ると、旗を揺らす風は既に秋だ。
甲子園の夏が終わると共に、日本の夏もまた終わる。


夏の暑さと共に感じる秋風それこそが季節の終焉にふさわしいのかも知れない。



浜田省吾「晩夏の鐘(Instrumental)」