3月11日、宮城県を中心とする東日本大震災が発生した。
マグニチュードが9.0というから、日本観測史上始まって以来の大地震である。
僕が体験した1995年1月17日の阪神・淡路大震災は、マグニチュード7.3だった。
僕が住んでいたのは大阪府南部だったので地震の被害はほとんどなかったが、それでも長い間揺れていたのに恐怖を感じていたのを憶えている。
明け方で、強い揺れを感じて目が覚めたのだったが、その時は引っ越しの直前で荷造りしていた段ボール箱が全て転げ落ちていた。
揺れが収まるまで布団に身を隠し、揺れが収まってテレビを点けると「おはよう朝日です」の司会をしていた宮根誠司が「とにかく、このまま外に出ないでください!」と叫び、エレクトーンの女の子は、そのエレクトーンの下に隠れていた。
そして、神戸の惨状は段々明らかになっていった。
真冬だったために火事が多発し、大勢の人が亡くなった。
交通は寸断され、当時の僕は香川県への出張が決まっていたにも関わらず、神戸方面に行くことはできず、そもそも瀬戸大橋が通れなくなっていた。
やむなく、大阪南港から高知行きのフェリーに乗って一晩かけて四国入りし、高知から高速道路で香川入りしたのである。
阪神・淡路大震災と、今回の東日本大震災との最大の違いは、直下型か海底型か、ということである。
阪神・淡路大震災は活断層による大都市を襲った災害だったので、直接の被害が甚大だった。
しかし今回の東日本大震災は、海底プレートの歪による地震だったので、直下型ほどの直接による被害は少なかった。
だが、海底型ゆえに、津波による被害が甚大だった。
錨を下ろしていた大型船や、家までも大津波によって簡単に流されていく映像を見て、恐怖に思った人も多いだろう。
水の力とはどんな大きなものか、実感したはずだ。
ところが、変わらぬものもある。
それが、各国メディアの対応だ。
阪神・淡路大震災の時、各国メディアは、日本人のマナーの良さを絶賛した。
被災した人々は誰もが水や食料を欲しているのに、整然と配給を待ち、火事場ドロボー的なものはほとんど起きない。
日本以外の国では考えられない、という報道だった。
今回の東日本大震災でも、各国メディアは日本人のマナーの良さに対して最大級の賛辞を贈った。
特に、尖閣諸島沖で最悪の国交関係となった中国で、日本人を見直す意見が相次いだのである。
「被災した誰もが秩序を守っている。この民度の高さは尋常じゃない」
「四川大地震の時に日本は支援してくれた。今度は我々がお返しする番だ」
「今回の日本での大震災を喜んでいる中国人がいるが、中国の恥だ」
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&d=0314&f=national_0314_056.shtml
阪神・淡路大震災の時、神戸のド真ん中にいながら、決して避難所には行かない人々がいた。
在日朝鮮・韓国人の人達である。
彼らには避難所に行けない理由があった。
それが戦前の1923年(大正12年)に起こった、関東大震災である。
関東大震災が起こった時、日本人は「在日朝鮮人が井戸に毒を流して震災を招いた」と、とんでもないデマを流した。
そして日本人は検問所を作り、罪のない在日朝鮮人の人々を片っぱしから処刑したという。
こうした非人道的なことを当時の日本政府や警察は止めることもなく、むしろ増長したと言われている。
そんな戦前のことを日本人は全く憶えていないが、在日朝鮮・韓国人の人々の間ではずっと語り継がれてきた。
そのため、阪神・淡路大震災が起こった後でも、決して避難所には行かず、
「本当に怖いのは地震ではない。地震が起こった後の日本人の対応の方がずっと怖い」
という理由で、飢えと寒さに怯えながら日本人の世話にはなろうと思わなかったのだ。
ところが、ある屋台ラーメン屋が、在日朝鮮・韓国人が避難所に来ていないという噂を聞きつけて、その地区に行ってラーメンを無料でふるまったという。
ラーメンをふるまった後、ラーメン屋の主人は、
「ラーメンを食い終わったら避難所に行け!こんな時に日本人も他の国も関係ないんや!」
と言い放った。
その言葉を聞いて、在日朝鮮・韓国人の人達は、今の日本は関東大震災の当時とは変わっているんだと悟って、素直に避難所に移動した。
関東大震災から73年、日本人の民度は大きく成長したのである。
そして阪神・淡路大震災を経て16年、日本人の民度はさらに大きく成長したはずだ。
成長しないのは、ヘンな国粋主義を振りかざす連中だけである。