神戸ユニバー記念競技場(行った回数:1回)
前回のスカイマークスタジアムと同じく、神戸総合運動公園内にある陸上競技場。
したがって、アクセス等はスカイマークと同じなので、それについては今回は割愛する。
印象としては「ちょっと小ぶりな国立競技場」といった感じで、際立った特徴がない。
当然、陸上用のトラックを備えているので、サッカーやラグビーなどの球技を見る時には臨場感がない。
スタンド下にも小さな売店がちょっとあるだけで、日本にある陸上競技場特有の無機質な造りだ。
そして、この地にあるには分不相応な45,000人収容の無意味な巨大スタンド。
このスタンドが満員になった光景を見たことがない。
さらに、屋根がメインスタンドにしかないため、神戸における2002年サッカーワールドカップ会場の座は、出来たばかりの神戸ウイングスタジアム(現・ホームズスタジアム神戸)に奪われた。
まさしく箱モノ行政が生み出した象徴的建造物と言えるだろう。
ユニバが出来たのが、1985年。
ユニバーシアード神戸大会に合わせて建設された。
要するに学生オリンピックのようなもので、後々には神戸市によるオリンピック招致も視野に入れて、これだけの巨大スタジアムになったという。
Jリーグのヴィッセル神戸の本拠地になったりして、神戸における最大の競技場としての地位を保っていたが、前述の神戸ウイングスタジアムの完成に伴い、その地位を完全に奪われてしまった。
ユニバには陸上競技が出来る点でアドバンテージがあるものの、神戸中心街に近くて交通の便がよく、さらに開閉式ドームの神戸ウイングスタジアムには敵わなかった。
ユニバ完成当初で憶えているのがアメリカン・フットボールである。
生で見たわけではないが、学生の雄・関西学院ファイターズがアメリカからオレゴン州立大を招いて戦い、その模様をサンテレビで放送していた。
当時の関学は京都大学ギャングスターズや日本大学フェニックスと学生日本一を争い、社会人王者ともライスボウルで好勝負を演じた日本最高峰のアメフトチームだった。
一方、当時のオレゴン州立大は、カレッジフットボールの四大ボウル(ローズボウル、シュガーボウル、オレンジボウル、コットンボウル)出場とは無縁の、アメリカの大学では二流チーム。
それでも、関学はオレゴン州立大に歯が立たなかった。
ショットガンを駆使し、パス攻撃中心の戦法や技の面では完全に関学が上回っていたが、単純にパワーで押しまくるオレゴン州立大に完敗した。
大学・社会人を含めて日本最高峰のチームが、アメリカの大学二流チームと勝負にならないという、日米格差を痛感した試合だった。
先日、初めてユニバを訪れた際に、目を惹いたのが競技場の外にある、ユニバーシアード神戸大会の各競技で優勝した国と、その選手名が記された石碑だ。
この大会の男子バレーボールで日本が優勝し、そのメンバーが刻まれている。
現在もタレントとして活躍している川合俊一の他、エースアタッカーの熊田康則やセッターの真鍋政義の名前がある。
この優勝したユニバ代表(日本学生代表)はなんと、ベテランの田中幹保をエースとする全日本にすら勝ってしまったのだ。
プロレスふうに言うならば、ニューリーダーがナウリーダーに勝ったというところか。
その後、ユニバ代表メンバーを中心として編成された全日本は、アジア予選を勝ち抜いてソウルオリンピックにも出場した。
この時のユニバ代表は、低迷期に入っていた男子バレーボールにとって救世主的存在だったのだ。
こんな石碑を見ると、その名の通りユニバを学生スポーツのメッカとして位置付けてもらいたかった、という思いはある。
アメフトの日米大学対決のように、ユニバで思い出すのは学生スポーツである。
これだけ巨大なスタジアムを造っておいて、ほとんど有効利用されていない現状は残念に思えてならない。