最近は鉄分の高い日記が続いているが、もう少しお付き合いを。
大阪の茨木市、あるいは高槻市にお住まいの方は、JRと阪急、いずれかをご利用になることが多いに違いない。
その際、少し意識して線路の幅を見てもらいたい。
JRの茨木駅や高槻駅の線路を見た後、阪急の茨木市駅や高槻市駅の線路を見ると、明らかに阪急線の方が広く感じるはずである。
そう、感じるだけではなく、実際にJRよりも阪急の線路の幅の方が広いのだ。
JR、つまり旧国鉄の在来線の線路の幅はヤードポンド法で3フィート6インチ。
メートル法で言うと、1067ミリだ。
これは国際基準で言うと狭軌、つまり標準より狭い軌間ということである。
この軌間を採用したのは、西洋から鉄道技術を取り入れた明治政府。
ではなぜ、明治政府は標準軌を取り入れずに、狭軌を採用したか?
これには諸説あるが、やはり一般的なのは、日本は山や川が多いため、トンネルや橋を造るコストを下げようと、狭軌を採用したという説が有力だ。
鉄道建設に招いたイギリス人技師の助言もあり、欧米人に比べて小柄な日本人なら、標準軌による大きな車両を造る必要もないだろう、という読みもあった。
そもそも日本は島国なのだから、ヨーロッパのように各国間で線路の幅を合わせる必要もなかったのである。
さらに経費削減できる狭軌鉄道は、貧乏だった明治政府にとって願ったり叶ったりだった。
そのため、関東の私鉄は国鉄に合わせようと、狭軌を採用したのである。
ちなみに、関東の大手私鉄で標準軌を採用しているのは京成と京急で、地下鉄では東京メトロと都営の一部のみである。
ところが、関西では狭軌ではなく標準軌を採用している私鉄が圧倒的に多い。
標準軌とは、ヤードポンド法で4フィート8.5インチ。
メートル法に換算すると1435ミリである。
関西大手私鉄で標準軌を採用したのは、阪急、阪神、京阪、近鉄(南大阪線を除く)、地下鉄では大阪市営地下鉄、京都市営地下鉄、神戸市営地下鉄、神戸高速鉄道である。
国鉄在来線と同じ1067ミリの狭軌を採用したのは南海と、近鉄南大阪線だけだ。
これは国鉄と相互乗り入れする計画があったことに他ならない。
実際に南海は国鉄の「きのくに号」を乗り入れていた。
同じ近鉄でも、なぜ南大阪線と、奈良線や大阪線とは線路の幅が違うのか不思議に思うかも知れないが、元々は別会社だったのである。
戦後になり、関西私鉄が標準軌を採用していたことにより、国鉄と私鉄による奇跡の連携プレイが起きた。
それが、日本が世界に名だたる高速鉄道、新幹線の誕生である。
時速200キロという世界最速鉄道である新幹線を走らせるには、1067ミリの狭軌区間では不可能だった。
これは、新幹線を在来線に走らせることは無理だということである。
そのため、在来線とは別に新しい標準軌の区間を造る必要があった。
ちょうど自動車で言えば、道幅も広く信号もない高速道路を造ったように、線路の幅も広く踏切もない新たな鉄道を造ったわけだ。
ところが、新幹線建設に当たって難所があった。
京都府と大阪府の府境である、明智光秀と豊臣秀吉が戦った天下分け目の天王山、現在の京都府大山崎町付近だ。
ここには阪急京都線、国鉄東海道本線、さらに名神高速道路が集中する、京阪交通の要所。
ここに新幹線を通すには、国鉄は阪急電鉄と綿密な話し合いをする必要があった。
そこで出た結論は、新幹線と阪急との合同の高架を造るということ。
これにより、経費も節減できるというわけだ。
まずは新幹線の線路を造った。
次に阪急の番となるわけだが、その間に阪急を運休するわけにはいかない。
普通ならこういう場合は、仮の線路を造るわけだが、阪急にピッタリの線路が既に出来ていた。
そう、新幹線の線路である。
都合のいいことに、阪急の線路は新幹線と同じ標準軌。
わざわざ仮設の線路を造る必要もない。
それどころか、水無瀬駅という仮駅まで、新幹線の線路上に造ってしまった。
こうして、新幹線の線路を初めて走ったのは新幹線ではなく、阪急電車となった。
新幹線と阪急電車が同じ線路の幅だったことで、阪急電車による奇跡の疾走が見られたわけだ。