先日、メジャーリーグで懐かしい名前を聞いた。
アストロズの松井稼頭央が打順間違いでアウトになるという草野球並みの珍プレーが飛び出したが、このときアピールしたのが対戦泣いてのブリュワーズの監督であるケン・モッカ。
古い野球ファンならピンと来るだろうが、1982年〜85年まで中日ドラゴンズでプレーした外国人選手である。
スペルは「MACHA」で、最初は「マチャ」と読んだ人も多いかも知れない。
モッカは82年の中日優勝に貢献するなど優良外人として知られているが、中日を退団するときにはチームメイトに胴上げされるというエピソードの持ち主で、それほど愛されていた外国人選手だった。
どれくらいチーム溶け込んでいたかというと、なんと麻雀を覚えてナインと卓を囲んでいたそうだ。
麻雀は中国→アメリカ→日本という順序で輸入されたという説があるが、それは戦前の話であり、戦後アメリカでは麻雀はすっかり廃れてしまった。
まさかモッカが元々麻雀のルールを知っていて、アメリカではメンツが集まらなかったところ日本に行って、喜々として中日ナインと卓を囲んでいたわけではあるまい。
モッカは日本で慣れぬ漢字に頭を捻りながら麻雀を覚えたのである。
日本の遊びを覚えた外国人選手は他にもいる。
史上最高の助っ人、ランディ・バースもその一人。
バースが覚えたのは将棋だった。
そして、バースの将棋の師匠は浪花の春団治・川藤幸三。
川藤の英語力でどうやって将棋を教えることができたのか不思議だが、おそらく
「王はキング、飛車はルークで角はビショップ、ここまではドゥー・ユー・アンダースタンド?ここから駒のムーブをリメンバー!桂馬はナイトやけどツー方向しかムーブできん。金がゴールドで銀はシルバー、香車はスピアー(槍)で歩はポーンやけどストレートにワン・ウォーク・オンリ−や。オーケー?」
てな調子だったのだろう。
チェスは駒の形でわかるのであらゆる国の人でも覚えやすいが、将棋は難解な文字を覚えなければならないので、漢字圏の国の人以外には理解されにくい。
それでも将棋をマスターしたバースは、なんと現・阪神監督の真弓明信よりも強くなったというから大したものだ。
現在のバースはオクラホマ州の上院議員をやっているだけに、やはり頭が良かったのだろう。
それとも、川藤のコーチング能力がよほど優れていたのだろうか。
モッカやバースはチームメイトに溶け込むために日本の遊びを覚え、そして愛されて好成績を残したとも言えるが、いわゆる「ダメ外人」でも日本の遊びを覚えた選手は少なくない。
その多くはパチンコである。
パチンコなら一人でもできるし、日本語を覚える必要もない。
日本では巨大産業であるパチンコも、アメリカではせいぜい盛り場やゲームセンターに置いているだけで、子供の頃にやった夜店で景品がもらえる程度の玩具でしかない。
アメリカ領のグアムにはパチンコ店があるそうだが、これは日本人観光客向けだろう。
ましてやアメリカ本土でチンジャラなんて光景はない。
これは至極当たり前の話で、ほとんどの国では賭博行為は禁止されており、賭博遊戯のパチンコが簡単に輸出されるはずがない。
アメリカでもラスベガスやリノというカジノの街があるが、ここにはルーレットやスロットマシーンなどが幅を利かせており、パチンコが入り込む余地がない。
アジアではパチンコ店が存在する国もあるようだが、日本ほど盛んではない。
やはり日本が世界一のパチンコ王国と言っていいだろう。
そんな日本を代表するギャンブルに、パチンコを初めて見る外国人選手がハマってしまうのも頷ける。
だが、パチンコというのは結構怖いギャンブルで、パチンコ依存症が社会問題にもなっている。
パチンコは100円から出来る手軽さから庶民娯楽の代表みたいになっているが、その手軽さが命取りになる場合もある。
同じ公営ギャンブルの競馬や競輪、競艇などは、開催日や1日のレース数が決まっており、レースが終わればギャンブルを止めざるを得ない。
また、開催場所も決まっており、馬券(車券、舟券)を買うにはわざわざそこに行かなくてはいけない。
場外発売もあるが、概ね都会に集中している。
ところがパチンコ屋はどんな田舎でも日本全国あらゆるところにあり、ちょっと車を転がせばすぐにパチンコができる。
そして、朝から晩までタップリ12時間、パチンコに興ずることだって可能だ。
大負けしてスッカラピンになったらどうするか?
現在では「無人キャッシング」という便利なものができており、庶民はますますギャンブルにハマっていく。
僕の知人に某大手トラスト企業に勤めていたヤツがいたが、コイツがパチンコ依存症になり、ン百万円の借金を背負って離婚せざるを得なくなった。
げにギャンブルとは恐ろしい。
パチンコではないが、とある公営ギャンブルに大きく関わっていた大人物が、かつてテレビCMで、
「世界は一家、人類は兄弟!」
「お父さん、お母さんを大切にしよう!」
と美辞麗句を謳っていたが、
「ギャンブルをやめよう!」
とは決して言わなかった。
僕はパチンコをはじめギャンブルは全くと言っていいほどしないが、若い頃はパチンコをやったことがある。
初めてパチンコをやったのが高校を卒業して浪人生活をしていた極貧の頃だったが、友人に誘われてパチンコ屋に行き、100円で4000円も稼いでしまったのである。
このときの4000円は僕にとって100万円にも等しいものだった。
普通ならここからパチンコにハマるのだが、僕は「今日勝ったのは間違いで、次にやると負けるに違いない。当分はパチンコをやめよう」と決心したのである。
あぶく銭を身に付けようとしたわけだ。
それからも何度か友人に誘われるがままパチンコをしたことがあったが、ビギナーズラック故かいつも勝ってしまう。
金額としては大きくないのだが、そこそこ勝ってしまうと満足してそれ以上はやらないのだ。
逆に、瞬く間に2000円ぐらいスッてしまうと、もったいないオバケが登場して、それ以上続ける気にはなれないのである。
2000円あれば500円定食を4食も食えるし、500円の文庫本を4冊も買える、と。
4食のメシや4冊の本なら相当な時間を楽しめるのに、パチンコでの2000円はものの5分で終わってしまう。
こんなにもったいない話もあるまい。
会社勤めを始めた頃、同僚の若いヤツが、仕事帰りにちょっと和歌山まで付き合って欲しい、と頼んできた。
7時頃に仕事を終え、和歌山まで車で1時間、往復2時間の旅。
なぜ和歌山まで行くのかと尋ねたところ、和歌山に元カノが住んでいて、今日が元カノの誕生日なので花束を渡したい、とのこと。
一人で行くのは淋しいし不安だし、晩メシをおごるから付き合ってくれと懇願されて、和歌山への旅にご同行することになった。
阪和自動車道で和歌山市内に着き、同僚は花束を買ったが、ここから先は僕はお呼びではない。
車をパチンコ屋の駐車場に置いて、「ここで待っていてくれ、すぐ戻るから」と言われて、同僚を待つことにした。
ただ待っていても仕方がないので、そのパチンコ店に入ったが、どういうわけかその店が偶然にも新装開店。
ハンドルを捻った途端、出るわ出るわの大盤振る舞いであっという間に終了。
タイミングよく、同僚もあっという間に帰ってきた。
帰りの車の中で同僚に、
「どうやった?」
と聞くと、
「わざわざ来てくれてありがとう。これからもいい友達でいられたらいいね、って言われた」
と言っていた。
落胆している同僚に、
「晩メシ、何をおごってくれる?」
とはとても言えず、結局はポケットに札束がウンウン唸っている僕が晩メシをおごるハメになった。
その日以来、
「元カノの誕生日には絶対に花束を贈るな!」
というのが同僚の口癖となった。