ある方から野球のルールに関する面白い質問を戴いた。
それは「野手選択(以下、野選)」というプレーに関してである。
その方は「野選により打者に打点が付いたり、投手に自責点が付くのはおかしいのではないか」
とおっしゃっていた。
なるほど、これは僕も子供の頃から感じていた疑問であり、もっともな意見だと思う。
一般の野球ファンは「野選」という行為に対して、どんなイメージを持っているだろうか?
無死ランナー一塁。
打者がバントした。
突っ込んできた一塁手が打球を処理し、二塁へ矢のような送球。
しかし、一塁ランナーが一瞬早く二塁ベースに滑り込み、セーフ。
「ファーストの痛恨の野選により一、二塁オールセーフ!」とアナウンサーが叫ぶ。
スコアボードには「Fc」のランプが灯る。
こういうシーンを想像すると思う。
もちろん、このプレーは野選には間違いない。
「野選」という言葉以外でも「フィルダース・チョイス(FIELDER'S CHOICE)」という英語で野球ファンにはよく知られている。
「Fc」とはその英語の省略形だ。
スコアボードの記録面では「H(ヒット)、E(エラー)、Fc(野選)」の三つがある。
そして「Fc」のランプが灯るのは、上記のようなケースのみだ。
したがって多くの野球ファンは、野選とは「間に合わない塁に送球してオールセーフになったもの」と思い込んでいるフシがある。
だが、実際には上記のようなケース以外でも、野選(Fc)はしょっちゅう起きているのだ。
たとえば、こういうケースである。
無死一塁で次打者がサードゴロ。
サードが二塁に送ってフォースアウト、ファーストに転送するが一塁はセーフでダブルプレーならず。
打者走者は一塁に生きた。
このケースで打者走者が一塁に生きたのは、紛れもなく「野選(Fc)」によるものである。
先行走者がセーフになろうがなるまいが、それは関係ない。
しかし、日本ではこのケースでスコアボードに「Fc」のランプが灯ることはない(他の国では知らない)。
つまり、先行走者がセーフになったときに限り「Fc」のランプが灯るので、野選とは野手が選択を誤ったプレーだと誤解されているのである。
実はこのことは、以前にもここで少し触れたことがある↓
http://d.hatena.ne.jp/aigawa2007/20081124/1227550685
ちなみに、公認野球規則ではこう書かれている。
2・28 FIELDER'S CHOICE(野手選択)
フェアゴロを扱った野手が一塁で打者走者をアウトにする代わりに、先行走者をアウトにしようと他の塁へ送球する行為をいう。また、
(a)安打した打者が、先行走者をアウトにしようとする野手の他の塁への送球を利して、一個またはそれ以上の塁を余分に奪った場合や、
(b)ある走者が、盗塁や失策によらないで、他の走者をアウトにしようとする野手の他の塁への送球を利して進塁した場合や、
(c)盗塁を企てた走者が守備チームが無関心のためになんら守備行為を示さない間に進塁した場合などにも(10・28g)、
これらの打者走者または走者の進塁を記録上の用語として野手選択による進塁という。
野球規則にはややこしく書かれているが、要するに野手の送球の間に進塁した場合は野選ということだ。
なお、(c)の盗塁云々に関しては、日本では解釈でかなりもめたことであり、本項の趣旨から外れるので今回は触れない。
ここで取り上げたいのは
「先行走者をアウトにしようと他の塁へ送球する行為」
という部分である。
つまり、先行走者をアウトにしようということは、投手を少しでも楽にさせようとする行為であり、結果的にセーフになってもそれは守備上の「ミス」ではない。
野選が失策に記録されない理由がまさしくここにある。
冒頭の方から質問を戴いて、初めてそれに気付いた。
野選とはエラーではなくても守備側のミスだと思っていたのだが、そうではなかったのである。
野選がミスになるのなら、野手はミスを賭して先行走者をアウトにしようとはせずに、一塁でアウトを取りに行くだろう。
それが証拠に、上記の公認野球規則には「野手の他の塁への送球を”利して”」とある。
「利して」なのだから、守備側の「ミス」ではなく、攻撃側が「利用して」いるのだ。
だから、野選は守備機会には含まれない。
守備機会とは、刺殺+補殺+失策のことをいう。
野選とは、守備記録ではなく走塁の記録なのだ。
ちなみに守備率は
(刺殺+補殺)÷(刺殺+補殺+失策=守備機会)
で表される。
だから野選の場合でも打点は付くし、自責点にもなる。
でも、失策にもならないし、安打にもならないから打率も下がる。
エラーにもヒットにもならない、投手の責任にも野手の責任にもならない中途半端な存在。
打者にとっては塁に出られて、また打点にもなったりして得ではあるが、ヒットにはならず打率は下がってしまう。
そんな中途半端なものがあるからこそ野球は奥深く、面白い。