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安威川敏樹のネターランド王国

お前はチョーマイヨミか!?

ネターランド王国憲法

第1条 本国の国名を「ネターランド王国(英名:Kingdom of the Neterlands)」と言う。
第2条 本国の国王は「禁句゛(=きんぐ)、戒名:安威川敏樹」とする。
第3条 本国は国王が行政・立法・司法の三権を司る、絶対王制国家である。
第4条 本国の公用語は日本語とする。それ以外の言語は国王が理解できないため使用禁止。
第5条 本国唯一の立法機関は「日記」なる国会で、国王が一方的に発言する。
第6条 本国の国民は国会での「コメント」で発言することができる。
第7条 「コメント」で、国王に不利益な発言をすると言論弾圧を行うこともある。
第8条 「コメント」で誹謗・中傷などがあった場合は、国王の独断で強制国外退去に踏み切る場合がある。
第9条 本国の国歌は「ネタおろし」とする(歌詞はid:aigawa2007の「ユーザー名」に記載)。
第10条 本国と国交のある国は「貿易国」に登録される。
第11条 本国の文章や写真を国王に無断で転載してはならない。
第12条 その他、上記以外のややこしいことが起きれば、国王が独断で決めることができる。

あなたの夢、わたしの夢

あなたの夢はなんでしょうか?
わたしの夢はマチカネタンホイザ


と、のっけからわけのわからない話。
今日の話題は杉本清さんの夢とは何の関係もなく、寝ている間に見る夢のこと。
実際に夢とは眼で視覚しているわけではないので、夢を「見る」というのはおかしな表現であり、正確には「睡眠中に想像上の映像が脳裏をよぎっている」だけにすぎないのだが、「夢」という現象を五感的に表現しているということで、まあ良かろう。
したがって、本書では「夢を見る」という表現を認めることにする。


「昨日、いい夢を見ちゃった。ルンルン♪」
「昨日の夢は最悪だったよ。サイテーな気分……」


という会話を耳にする。
僕にはこの感覚がよくわからない。
「いい夢」とは即ち楽しい夢のことであり、寝ている間にいい思いをしたのだろう。
「悪い夢」とは音読みで言えば「悪夢」のことで、大抵の人はこういう夢を見た次の日は憂鬱になるらしい。


でも、どうして?


「いい夢」といってもそれは所詮「夢」での話であり、現実とは何の関係もない。
現実とは何の関係もないところでいいことが起きて、そんなに嬉しいのだろうか。
むしろ僕などは、いい夢から覚めると、
「あー、やっぱり夢かあ。そうだよな、現実にそんなこと起こらないよな」
と一気に落ち込んでしまう。
いわば「いい夢」とやらに裏切られた気分になるのだ。


逆に「悪い夢」を見た朝は、
「夢だったかー、良かった。寝ている間に悩んでいた心配事は解消された!」
と、たちまち元気になる。


僕の感覚はおかしいのだろうか?


いい夢、悪い夢とは関係なく、見ると嬉しくなってしまう夢というのもある。
僕の場合それは、迷路に入った夢。
迷路、というのは抽象的で、具体的にいうとわけのわからん建物に入ってしまったとき。
平面的な迷路ではなく、一階から二階に上がっただけなのに、いつの間にか三階を歩いているような建物。
いわば、かつて「探偵!ナイトスクープ」で紹介された「軍艦島マンション」のような建物である。
あれほど極端ではなくても、地方のホテルでは増築に増築を重ねて、どういう構造になっているのかわからないものもある。
大浴場で一風呂浴びて、ゲームコーナーで卓球をした後、部屋に帰る道順がわからず右往左往した経験はないだろうか。
五階に行きたいのにエレベーターは四階までで、いったん二階まで下りて渡り廊下を渡り、別館に行くと今度はエレベーターの場所がわからず、しまいには混乱してしまって何階を歩いているかわからなくなってしまう。
現実世界でそんなことになれば焦るばかりだが、夢でそういう場面に遭遇すると妙にワクワクし、夢から覚めた後もその興奮が残っているのだ。
そしてそんな夢を見た日は、一日中ハイな気分になる。


やっぱり、僕の感覚はおかしいのだろうか?


夢の中で空を飛んでいることがある。
大抵の場合、途中で「あ、これは夢だ」と気付くのだが、こうも思う。
「これは夢には違いないが、この空の飛び方を覚えていれば、目が覚めても空が飛べるはず。どうして誰も空の飛び方がわからないんだろう?」
しかし目が覚めると、
「こんなんで飛べるわけないやないか」
自分のことがとことんアホに思える瞬間である。


夢はひとつのドラマでもある。
夢に出てくるストーリーは前後の脈絡がなく、ハチャメチャな展開ばかりだが、それでもドキドキすることがある。
次のストーリ展開が全く読めず、ヘタな映画よりもよっぽど面白いことも多い。
でも、なぜ次のストーリーがわからないのだろう?
夢は所詮、自分が考えていることであり、当然次の展開もわかるはずなのだが、どういうわけか本人が想像もつかない大どんでん返しが待ち受けていることもある。
ドラマチックな展開にハラハラし、意表を突くラストに度肝を抜かれることも珍しくはない。
自分の想像すら越えることを、自分が想像するというパラドックスである。
自分ですら予測不可能なことを考えるのだから、人は誰でも寝ている間は、天才的なストーリーテラーになれるのだろうか。


今宵、僕の脳内シアターははどんな映画を見せてくれるのだろう。
さあ、楽しい明日のために、今夜は悪夢を見よう!