今日、日本プロ野球では高校生ドラフトが行われた。
目玉は、稀にみる怪物長距離ヒッターの中田翔(大阪桐蔭)、157km/hの豪腕・佐藤由規(仙台育英)、将来性抜群の投手・唐川侑己(成田)だった。
一巡目はこの三選手に指名が絞られ、中田は4球団、佐藤は5球団、唐川は2球団の指名だった。
結局、中田は北海道日本ハム、唐川は千葉ロッテが抽選で入団交渉権を得た。
そして最多の5球団の指名を受けた佐藤の入団交渉権は、東京ヤクルトの古田敦也選手兼監督が、見事に五分の一の当たりクジを引き当てた。
既に退任が決まっている古田にとっての、「最後の大仕事」を務めたわけである。
その日の夜。
東京ヤクルトの本拠地である明治神宮球場で、古田は選手兼監督として東京ヤクルト×阪神戦のベンチに座っていた。
東京ヤクルトにとって今季阪神戦の最終戦。
つまり、古田にとっての現役最後の阪神戦である。
試合終盤の7回裏、ベンチを立った古田は球審に選手交代を告げた。
「代打、オレ!」
本当にこう言ったかどうかは定かではないが、話を面白くするために、そういうことにしておこう。
素振りをしながら出てきた古田に対し、もちろん神宮球場は大・古田コール。
そしてそれはヤクルトファンからだけではなく、神宮球場の半分以上を占める阪神ファンからも大きな声援が巻き起こった。
思えば1992年、ヤクルトと阪神が激しい優勝争いをしていたとき、古田はヤクルトの正捕手だった。
当時、ヤクルトの監督だった野村克也(現・東北楽天監督)に徹底的に鍛えられ、ヤクルトの若き司令塔に成長していた。
そして阪神とのデッドヒートの末、最終戦から一つ前の試合、阪神の本拠地である阪神甲子園球場での試合に勝って、ヤクルトは優勝を決めた。
胴上げされる野村監督の姿を見て、甲子園の阪神ファンは「帰れ、帰れ!」コールを贈った。
同じ阪神ファンとして、これほど恥ずかしい思いをしたことはない。
なぜ勝者を称えることができないのだろう。
古田は当然、野村監督を胴上げする輪の中にいた。
古田はこのときの阪神ファンによる「帰れ」コールを、どう思っていたのだろう。
ちなみに、東京ヤクルト一筋だった古田敦也は、阪神のお膝元である兵庫県(川西市)出身である。
それから12年後、古田は窮地に立っていた。
突然巻き起こった球界再編問題。
このままでは球団数が減らされる、ファンが離れてしまう、選手の将来にも多大な影響を与えてしまう。
そう考えた古田は選手会会長の立場として、プロ野球界史上初のストライキまで敢行し、球界縮小を体を張って阻止した。
この古田の行動に、甲子園での阪神×ヤクルト戦が終わった後、阪神ファンから「古田コール」が湧き上がった。
甲子園の阪神ファンが他球団の選手にコールを贈るなんて、異例中の異例である。
そして今日、神宮での東京ヤクルト×阪神最終戦は、阪神が3−0で勝った。
試合に勝った瞬間、普通なら阪神の選手に対する声援が起きるにもかかわらず、阪神ファンからは大「古田コール」が巻き起こった。
東京ヤクルトファンも含めて、神宮球場は古田コール一色である。
阪神ファンの中には「古田のおかげで球団削減を阻止できた」というプラカードまで掲げている人もあった。
残念ながらプレイイングマネージャーとしては結果を残せなかった古田だが、捕手として、打者として、選手会長として、まさしくかけがえのない存在だった。
これからはどういう活動をするかはわからないが、古田には今後も日本プロ野球に多大なる貢献をして欲しい。
そして日本プロ野球界は、どんな形にせよ、古田をNPBに引き止めるべきである。