カウンター

安威川敏樹のネターランド王国

お前はチョーマイヨミか!?

ネターランド王国憲法

第1条 本国の国名を「ネターランド王国(英名:Kingdom of the Neterlands)」と言う。
第2条 本国の国王は「禁句゛(=きんぐ)、戒名:安威川敏樹」とする。
第3条 本国は国王が行政・立法・司法の三権を司る、絶対王制国家である。
第4条 本国の公用語は日本語とする。それ以外の言語は国王が理解できないため使用禁止。
第5条 本国唯一の立法機関は「日記」なる国会で、国王が一方的に発言する。
第6条 本国の国民は国会での「コメント」で発言することができる。
第7条 「コメント」で、国王に不利益な発言をすると言論弾圧を行うこともある。
第8条 「コメント」で誹謗・中傷などがあった場合は、国王の独断で強制国外退去に踏み切る場合がある。
第9条 本国の国歌は「ネタおろし」とする(歌詞はid:aigawa2007の「ユーザー名」に記載)。
第10条 本国と国交のある国は「貿易国」に登録される。
第11条 本国の文章や写真を国王に無断で転載してはならない。
第12条 その他、上記以外のややこしいことが起きれば、国王が独断で決めることができる。

タイブレーク論

f:id:aigawa2007:20120404125141j:plain

今年(2017年)のセンバツ高校野球は、大阪桐蔭の2度目の優勝で幕を閉じた。

勝戦で対決したのは同じ大阪の履正社と、史上初の大阪決戦として注目を集めたのは記憶に新しいところ。

 

そしてもう一つ注目を集めたのが、二回戦の福岡大大濠×滋賀学園、続く健大高崎×福井工大福井が史上初めて2試合続けての延長15回引き分け再試合となったことである。

いや、2試合続けての再試合のみならず、1つの大会で引き分け再試合が2試合あったことも史上初めてだ。

 

ここで心配されたのが、投手の疲労である。

翌日は4校にとって休養日となったものの、再試合で勝ったチームは決勝まで最大4連戦となるからだ。

ヘタをすればエース投手が4連投すると危惧されたのである。

 

こういう時、必ず出て来るのがタイブレーク論である。

ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)でも採用されているルールで、2017年のWBCでも侍ジャパンがオランダ相手に延長11回のタイブレークの末に勝ったことで、一気に認知度が高まった。

 

一口にタイブレークと言っても方法は色々あるが、今回のWBCルールで説明すると、延長11回からは無死一、二塁の状態からその回の攻撃を始めるというものだ。

つまり、点を入りやすい状態にして、早く試合の決着を着けようという制度である。

あらかじめ人為的にチャンスを作ることによって、偶然性を高めようというわけだ。

 

タイブレークがシニア・レベルで最初に行われたのは実は日本で、社会人野球で採用された。

それまでの社会人野球は金属バットの使用が認められていたので、派手な打ち合いになることが多く、延長戦が長引くことはほとんどなかった。

ところが、国際大会で金属バットが禁止になると、社会人野球でも木製バットのみとなった。

そうなると、金属バット時代の派手な打ち合いは鳴りを潜め、一転して投手戦のオンパレードとなったのである。

つまり、点が入りにくくなり、延長戦が長引くなることが増えたのだ。

 

ここで困ったのが応援団。

社会人野球と言えば、会社員を動員しての派手な応援合戦が名物だが、延長戦で試合が長引くと、社員たちは翌日の仕事に差し支える。

ましてや、地方の出場チームはどうなる?

試合が終わらなければ、応援団は宿泊や帰省の予定が立てられない。

そこで、早く試合が決着する方法として、タイブレークが採用されたのである。

要するにタイブレークとは、野球の本質とは関係なしに、応援団(というより会社)の都合によって採用されたルールなのだ。

 

もっと言えば、社会人野球で採用される遥か前から、タイブレーク制度はあった。

中学野球である。

1979年に始まった全日本中学校軟式野球大会(全中)では、既にタイブレークは行われていたのだ。

それだけではない。

筆者の父親が参加していた町内の草野球大会でも、タイブレークが採用されていたのである。

要するにタイブレークとは、社会人野球では応援団(会社)の都合、あるいはジュニア・レベルや草野球レベルで考え出されたルールなのだ。

WBCやオリンピックでも採用されたが、これはテレビ放映権の都合である。

つまり、野球の本質とは関係ないのがタイブレークと言えよう。

 

そもそも野球とは、サッカーのような時間制のスポーツと違って、延長戦で決着の着けやすいゲームである。

しかもサッカーはロースコア・ゲームになることが多いため、延長戦がいつまでも続くことが懸念されるので、ノックアウト式トーナメントではPK戦で決着を着けざるを得ないのだろうが(それでもPK戦反対論者は多いようだ)、野球は延長戦で1イニングずつ区切ることができ、しかも点が入りにくいスポーツでもないので、無理やりチャンスを人為的に作って下駄を履かせるタイブレークを採用する必要など全くない。

 

「野球は時間制限がなく、試合時間が3時間以上にも及ぶので、世界的に野球を普及させるためにもタイブレークは必要だ」

という意見もある。

だが、オリンピックでタイブレークを採用した野球競技はどうなったか。

結局は、アッサリと野球はオリンピックの正式種目から外された。

要するに、タイブレークを採用しても、何の効果もなかったのだ。

2020年の東京オリンピックで野球は再び正式種目となったが、これは野球が盛んな日本開催だからというだけで、その次のオリンピックではまた正式種目から外されるだろう。

タイブレークなんていう小手先を使っても、野球を認知しないオリンピック発祥地・ヨーロッパで人気が出るわけがない。

 

時間短縮をしたいのなら、公認野球規則に明記されている12秒ルールを徹底させるとか(無走者の場合、投手は12秒以内に投球しなければならないが、全く守られていない)、打者が無駄に打席を外すことを認めないとか、1試合にかけるタイムの数を制限するとか、遅延行為の元凶であるサイン盗みは厳罰に処するなど、やることはいくらでもあるのだが、その努力もしないでタイブレーク採用などオハナシにならない。

そして、野球を世界に普及させるはずのWBCでは、試合時間をますます伸ばすことになる球数制限(これはメジャー・リーグ球団および代理人の都合)を採用するなど、やっていることがハチャメチャだ。

しかも、ビデオ判定の導入により、試合時間はますます延びた。

そしてメジャー・リーグでは、時間短縮を目標に掲げながら、その効果がほとんど期待できない敬遠申告制を採用した。

敬遠申告制がいかに愚かな制度か、こちらを参照されたい。

 

さて、少し話が逸れたが、高校野球におけるタイブレーク制である。

実は現在でも、高校野球ではタイブレーク制は採用されている。

それは春季大会や明治神宮大会など、甲子園には直結しない大会だ。

また、軟式野球でもタイブレークが用いられた。

ただし2017年現在、春夏の甲子園はもちろん、甲子園大会に直結する夏の地方大会や秋季大会では採用されていない。

 

では、本当にタイブレークで投手の酷使を防げるのだろうか。

結論を先に言えば、そんなことは絶対に有り得ない。

タイブレークを採用すれば、監督ならエースをなるべく降板させないように続投を強いるだろう。

何しろ大ピンチからの投球となるのだから、エース以外の投手では荷が重すぎる。

タイブレーク制により、却ってエースの連投となるだろう。

それに、タイブレークで一旦点が入ると、雪崩現象のように攻撃が続く可能性が非常に高い。
特に、精神的にまだ未熟な高校生だとその傾向は顕著だろう。

そうなると、投手は却って球数を投げるようなハメになる。

ハッキリ言って、タイブレークが投手の酷使をなくすというのは幻想に過ぎない。

 

それに、タイブレークは先攻と後攻で著しく不平等になる。

先攻は一気に大量点を取ればほぼ勝ちを手中にするが、点を取れなければ後攻はセコく1点を取りに来るだろう。

もちろん、普通の野球だって先攻と後攻は全く平等とはならないが、タイブレークだとそれとは比べ物にならないほど、運が大きく関わってくるのだ。

せっかく延長戦をやりやすいスポーツなのに、タイブレーク方式など全くのナンセンスである。

つまり、野球というスポーツの本質を歪めてしまうのだ。

しかも、野球とは打者が出塁して、本塁に還って来て初めて点となるのが大原則である。

タイブレークとは、野球の原則すら無視するルールなのだ。

タイブレーク推進者は、そのことを理解しているのだろうか?

 

「では、投手の酷使問題はこのままでいいのか」という人もいるだろう。

もちろん、このままでいいわけがない。

すると、1試合の球数を制限するべきだ、という意見が必ず聞かれる。

だが、球数制限なんてルールを設けたら、打者はファウルで徹底的に粘って、相手投手を降ろしてしまう作戦に出るのがオチだ。

つまり「積極的に打つ」という、野球の本質が失せてしまう。

 

さらに、無名校は大会に参加できなくなるだろう。
そうなると、ただでさえ少子化なのに野球の底辺は狭まるばかりである。

高校野球の素晴らしさは、甲子園や全国優勝を狙う選手も、素質や環境には恵まれない選手でも同じ土俵で、同じ目標に向かって挑戦できることだ。

これこそが他国にはない、日本の野球文化である。

高校野球の底辺の広さが、日本の高い野球レベルを支えているのだ。

1984年のロサンゼルス・オリンピックから2008年の北京オリンピックまで、さらに2006年から始まったWBCの、全ての大会(計11回)でベスト4に入っている国は日本だけである。

体格やパワーで劣る日本がこれだけ安定した成績を収めているのは、ある意味驚異だ。

 

投手の酷使を防ぐために最も必要なのは、タイブレークや球数制限などの小手先のルール変更ではなく、指導者の意識改革である。

投手の酷使が問題視されるたびに、日本高等学校野球連盟高野連)が必ず槍玉に上がるが、筆者にはこれが理解できない。

高野連は「投手を連投させよ」などとは一言も言っていないのだ。

むしろ、複数投手制を奨励しているぐらいである。

戦時中に行われた、選手の交代を認めない文部省主催の中等野球とは違うのだ(注:後述)。

しかし、無知な連中は「高野連による残酷ショー」などと騒ぎ立てる。

 

2017年のセンバツ二回戦で、延長15回を投げ切った福岡大大濠のエース三浦銀二投手は、中1日の再試合でも9回完投。

ところが、翌日の準々決勝では三浦投手は登板を回避したのである。

その理由として、福岡大大濠の八木啓伸監督は、

「三浦は投げたがっていたし、トレーナーからも大丈夫という報告は受けていた。だが、優勝するためにも三浦を温存すべきと思った。再試合相手の滋賀学園さんが継投策を採ったので、投手層の厚さも勉強になった」

と語った。

結果、福岡大大濠は準々決勝で報徳学園に敗れてしまったが、八木監督の勇気は称えるべきだろう。

惜しむらくは、再試合の時に気付くべきだったが、気付かないよりはマシだ。

福岡大大濠は、前年の秋季大会から三浦が1人で投げ抜いてきたが、それだけに甲子園でエース以外の投手を先発させるのは勇気がいることだったに違いない。

言い換えれば、エースの三浦1人に頼っていて、他の投手に公式戦を経験させていなかったのは八木監督の失態だったが、今回の件で勉強になっただろう。

さらに、高校野球には後援会やOB会といった厄介な連中もいる。

彼らはチームが負けると好き勝手なことを無責任に騒ぎ立てるが、そんな連中の意見に左右されない確固たる信念が高校野球の指導者には必要だ。

 

三浦は高野連によるメディカル・チェックも受けている。

そこで「問題ない」という医師の診断結果も得た。

それでも、八木監督は準々決勝では三浦を投げさせなかった。

試合の途中、三浦はブルペンに行ったが、八木監督は「その必要はない」とやめさせた。

「高校生は『投げられるか?』と訊くと、必ず『投げられます』と答える。でも、そこで本当に投げられるかどうか、見極めるのが監督の務め」

まさしくその通りである。

 

タイブレークや球数制限でルール化しても、指導者の意識が変わらなければ、むしろ悪化するだけだろう。

それどころか「100球投げただけで潰れてしまう投手」を量産してしまうのがオチだ。

日本の高校野球がアメリカで紹介されると、アメリカ人は必ずこう言う。

「高校生にこれだけ投げさせるなんてクレイジーだ。アメリカでは高校生に投球制限を必ず設ける」

そして、日本にいる「アメリカ野球の事情通」とやらも、アメリカ野球を見習え、と声高に叫ぶのだ。

 

だが、彼らは知っているのだろうか。

投球制限で守られているはずのアメリカの投手が、どれだけ多くトミー・ジョン手術を受けているのか、ということを。

2010年~14年の5年間で見ると、メジャー・リーグ(MLB)の投手が実に110人(内、日本人投手が5人)、日本プロ野球(NPB)の投手は21人(内、韓国人投手が1人)である。

MLBの日本人投手以外が全てアメリカ人投手というわけではないが、日本人投手以外のMLBと、NPBおよびMLBの日本人投手がトミー・ジョン手術を受けた人数は、105人:25人。

実に4倍以上ものMLB投手(日本人を除く)が、日本人投手よりも肩や肘に故障を抱えているのだ。

おそらく、アメリカ野球信望者たちは、こんな事実も知らないのだろう。

 

そして「日本の高校野球はケシカラン!アメリカの投手は球数制限で守られているので故障しない」などと何の根拠もなくデッチ上げる。

さらには「高校野球にもタイブレークや球数制限を!」と主張するばかりか、人によっては「高校野球(甲子園大会)そのものをやめてしまえ!」などと言う極論が飛び出すのだ。

そうなれば、日本の野球文化が崩壊することは目に見えているのに。

投げ過ぎは良くないが、故障しないためにいちばん大切なことは、故障しない投球フォームを身に付けることだ。

ところが、生半可通のド素人は、この根本的なことがわかっていない。

「肩や肘を守るため」ろくすっぽ投球練習もせず、間違えたフォームのまま投げているので、大した投球数も投げていないため肩や肘を故障してしまうのである。

 

NPBでもかつて「鉄腕」稲尾和久や「権藤、権藤、雨、権藤」の権藤博など、投げ過ぎによって短命に終わった投手がいた。

だがその後、NPBでも投手の酷使は良くないと先発ローテーションが確立し、先発・中継ぎ・抑えという投手分業制が当たり前になったのである。

しかし、この戦術変更は、ルール変更によってもたらされたのではない。

NPBのルールは、当時から変わっていないのである。

つまり、各球団が「投手を分業制にした方が得策」と判断したのだ。

高校野球でも、ルール変更ではなく、指導者の意識改革による複数投手制が何よりも重要だ。

その方が、投手育成にどれだけ有効かわからない。

実際に、再試合を経験した4校のうち、福岡大大濠を除く3校は中1日あったにもかかわらず、エースを完投(あるいは登板)させなかった。

昔に比べると、複数投手制は浸透してきているのだ。

 

高野連がルールとして介入すべきといえば、メディカル・チェックだろう。

前述したように現在でも行っているが、診断結果を報告するだけで、あとは各校の判断に任されている。

これを、医師の判断で「出場してはダメ」と言えば、選手が出場したいと言おうが、監督が出場させたいと言おうが、出場を認めないというルール作りだ。

これは甲子園大会だけでなく、地方大会でも徹底してもらいたい。

 

高校野球での投げ過ぎで、必ず語られるのが1990年の夏の甲子園で準優勝した沖縄水産大野倫投手である。

大野は甲子園での連投により、肘を故障して投手を諦め、打者に転向したのは事実だ。

だが、これはハッキリ言って時代が違う。

当時はまだ、高野連によるメディカル・チェックもなかった。

そして、高校野球ではエースが連投するのは当たり前の時代だったのである。

しかし、大野が引き金になって投手の酷使が問題視されるようになり、高野連によるメディカル・チェックが行われるようになって、複数投手制が勧められた。

現在では医学も進歩して、投手の肩・肘に関するケアは、当時とは比べ物にならないほど充実している。

昔はエースが1人で投げ抜くのが当たり前だったし、投球後の肩や肘のケアも充分ではなかった。

  

もう一つは、日程の問題である。

現在の甲子園大会では、準々決勝の後に休養日を1日設けている。

しかし、2017年のセンバツでは、引き分け再試合が2試合も生まれたうえに、それ以前に雨天中止があったから、休養日が無くなってしまったのだ。

そのため、再試合を行うことになった4校は、決勝に進出すれば4連戦の日程になったのである(実際には、この4校とも準々決勝以前で敗退したため、最大2連戦に留まった)。

これは「2日間の順延があれば休養日を無くす」というセンバツ規定(夏の場合は3日間)があったからだ。

 

だが、こんな規定が必要か?

2017年センバツの場合、順調に行けば3月30日に全日程が終了するはずだった。

しかし、大会序盤の雨天順延、引き分け再試合の2試合分、そして決勝戦前の雨天順延により、大会が終わったのが4月1日となったのである。

たしかに阪神甲子園球場は、阪神タイガースの本拠地でもあるので、日程を長引かせるわけにもいかない。

だが、阪神が甲子園を使用するのは4月7日。

3日間も順延しても、まだ中5日の余裕があったのである。

だったら、2日間の順延ぐらいで、休養日を無くす意味は全くなかったのだ。

高野連を批判するならば、こういう杓子定規的な部分だろう。

「2日間の順延ならば(夏の場合は3日間)休養日は無くす」なんて規定はやめ、よほど順延で大会が長引いた時だけ、阪神甲子園球場と相談して日程を変更すればいいのだ。

たしかに、日程が延びればテレビ放映や応援団の宿泊などの問題はあるが、これは雨天では試合ができないという野球の特性上、仕方あるまい。

 

2017年4月15日付の朝日新聞を読むと、高校野球の日程について、

「投手を守る意識改革は着実に進んでいる。さらに、現在の準決勝前に休養日を設けるだけではなく、準々決勝前、準決勝前、決勝前の合計3日の休養日を設けて、連戦がない日程にすることも一考の余地がある」

と書かれている。

この方が、タイブレークや球数制限よりも遥かに合理的だ。

夏の大会の主催者である朝日新聞でこう書かれているのは、日程について一歩前進かも知れない。

現在の甲子園大会では、春夏とも阪神甲子園球場が特別協力となっている。

元々、阪神甲子園球場高校野球(当時は中等野球)のために造られた球場だ(完成当時、プロ野球は行われてなかった)。

ここは阪神甲子園球場および阪神球団に協力してもらうしかない。

 

そもそも、阪神球団が阪神甲子園球場で行うホーム・ゲームは年間60試合と契約で決まっている。

阪神の年間ホーム・ゲームは毎年71~72試合。

つまり、11~12試合は、ホーム・ゲームで阪神甲子園球場以外の球場を使用するわけだ。

その11~12試合を春夏の高校野球の時期に充てると、充分に対応できる。

夏の時期になると阪神は「死のロード」と呼ばれるが、近年では京セラドーム大阪を使用するし、ほっともっとフィールド神戸も使用できるので、さほど負担にはなるまい。

 

そして、以前から筆者が何度も言っている、サスペンデッド・ゲーム制度を採用するべきである。

サスペンデッド・ゲームとは、延長戦に期限を設けて、それでも決着がつかなければ後日改めて延長戦の続きを行うという制度だ。

現在の高校野球では、延長15回を終わると引き分けになり、翌日に再試合となる。

以前は延長18回で打ち切り、翌日に再試合という制度だったが、1998年夏の横浜×PL学園が延長17回の死闘となって、以降は延長15回に短縮された。

だが、延長戦が18回から15回に短縮されるということは、再試合の可能性が増えるということであって、実際にこの制度に改められた後は引き分け再試合が激増した。

つまり、延長15回の翌日にはまた最低9イニングも戦わなければならなくなったので、却って選手の負担が増えたのである。

こんな改悪的な制度は即刻やめて、サスペンデッド・ゲームを採用すべきだ。

そうすれば、延長15回を戦った後でも場合によっては1イニングで済むかも知れないのである。

少なくとも、最低9イニングも戦う必要はない。

こんな単純な制度を採用しないのが不思議なぐらいだ。

ハッキリ言って、タイブレークよりも遥かにいい。

 

サスペンデッド・ゲームに関して、必ず引き合いに出されるのが2014年の軟式高校野球で起きた中京×崇徳の延長50回ゲームだ。

この試合を、野球ド素人の識者は残酷ショーと決め付け、もっともらしく批判を繰り返したのである。

だが、延長50回なんて滅多に起こらない、というより奇跡だ。

点が入りにくい軟式野球だからこそ起きた試合だが、軟式野球でも滅多には起こらないだろう。

ところが、ワイドショーでは「サスペンデッド・ゲームでは投手を交代できないが、再試合だったら他の投手を先発させることができる」と、とんでもないことを言っていた。

サスペンデッド・ゲームだと、投手交代ができない?

荒唐無稽もいいところだ。

そんなルールはどこにもない。

たまたまこの試合では、両校の監督が投手交代させなかっただけだ。

批判をするなら、その部分だろう。

また、高野連を批判すべき部分は、硬式野球でサスペンデッド・ゲームを採用しないことだ。

サスペンデッド・ゲームの採用に関しては、野球関係者が提唱しているのにもかかわらず、なぜかマスコミには伝わらない。

まるで、タイブレークや球数制限をゴリ押しするために、サスペンデッド・ゲーム論を黙殺しているようだ。

要するに、タイブレークや球数制限ありきで世論を操作しているのである。

 

こんな世論操作をしているのは、野球ド素人の識者に他ならない。

あるいは、野球に精通しながらアンチ日本野球、アンチ高校野球、あるいはアンチ高野連の連中である。

ハッキリ言って、アンチの意見など、何の参考にもならない。

彼らは、自分が気に入らないものを潰すことが目的なので、こんな意見は百害あって一利なしだ。

 

恐ろしいのは、現在はネット社会なので、彼らの意見を「もっともだ」と受け入れる無知の輩が多く存在することである。

ただでさえ日本は「空気」が支配する社会なので、ロクにモノを考えない連中が「空気」によって支配されるのだ。

そして、彼らは無責任な意見をネットに書き込む。

こうして、無責任な意見が社会に蔓延するという構図だ。

高校野球タイブレーク論など、その典型的な例と言えよう。

我々はそんな「空気」に捉われず、正しい目を持たなければならない。

 

そして、忘れてはならないのが、タイブレークは記録において重大な影響を及ぼすということ。

たとえば、投手がパーフェクト・ピッチングをしていても、延長戦に入りタイブレークとなれば、パーフェクト・ゲーム(完全試合)の記録はその瞬間に途絶えてしまうのだ。

その投手は1人の出塁も許していないのに、ただタイブレークというルールのために、人為的に出塁させてしまうから、完全試合とはならないのだ。

こんなバカげた話もあるまい。

 

野球とは、単に勝敗を競うスポーツではない。

記録も重要なファクターである。

野球ほど、団体スポーツでありながら、個人記録を算出できるスポーツは他にない。

そこが野球というスポーツの素晴らしいところである。

スコアブックを付けたことがある人なら、そのことが理解できるだろう。

 

WBCではタイブレークのみならず、球数制限が設けられている。

そのため、投手がいくら好投しようが、一定の球数を投げただけで交代させられてしまうのだ。

だから、WBCで完投など望むべくもない。

もっと言えば、たとえパーフェクト・ピッチングをしていながら、球数制限のためにこの大記録がパーになってしまうのだ。

こんなバカげた話もあるまい(NPBでは、日本シリーズの日本一が決まる試合で、8回までパーフェクトを続けながらその投手を降板させた愚かな監督もいたが)。

こんなルールを採用していること自体、主催しているメジャー・リーグ(正しくはWBCI)がいかにWBCを本気で取り組んでいないかがわかる。

WBCは野球世界一を決める大会と銘打ちながら、実際には各国から未来のメジャー・リーガーを募るオーディション・大会に過ぎないのだ。

そう考えれば、日本代表では青木宣親以外の日本人メジャー・リーガーに対して、MLB球団がWBCに出場させなかった理由がわかる。

MLBに所属する日本人投手がWBCごときで故障されては、MLB球団が困るからだ。

MLBで活躍している日本人投手の実力はもうわかっているから、WBCでオーディションをする必要はない、という理屈である。

恐ろしいのは、WBCでタイブレークや球数制限が採用されているからと言って、これが本当の野球だと誤解してしまう人が増えることだ。

WBCは本場のアメリカですら本気になっていない、歪な野球大会だということを理解しなければならない。

 

ここまで書けば、タイブレークや球数制限がいかに愚かで、野球文化を破壊するルールであるか、賢明な方ならおわかりいただけたかと思う。

まさしく百害あって一利なしのルールだ。

それを、タイブレークや球数制限を金科玉条の如く声高に叫ぶ人は、野球の本質がわかっていないのだろう。

まさしく愚の骨頂である。

 

【注】=戦時中の中等野球

日米関係が悪化した1941年夏から中等野球(現在の高校野球)が中止になったが、太平洋戦争が始まった翌1942年夏には文部省および大日本学徒体育振興会の主催で夏の中等野球が復活、例年通り全国大会が甲子園球場で行われた。

太平洋戦争中ということで軍事色の強い大会となり、死球というルールが外され、死球になりそうな球でも打者は避けてはならない(球から逃げるのは敢闘精神に欠ける、ということ。現在ではボールが当たっても打者が避けなければ死球とは認められない)とか、試合は先発メンバーの9人のみで行われ、よほどの大怪我でない限りは選手の交代は認められないなどのルールがあった。

ただし、守備位置の変更は認められていたため、投手交代は可能だったので(例えば先発投手が試合途中で外野手に回ってリリーフを仰ぐなど)、先発メンバーの中に投手ができる選手を入れておく必要があったのである。

そして、エラーをした選手には、軍人が殴り掛かる、なんてこともあったという。

およそ野球とは思えないこの大会、主催者が違ったため現在では記録としては残っておらず「幻の甲子園大会」と呼ばれている。

戦後、高野連が発足されたのは、国の都合による外部からの圧力に左右されないように、独立性を保つ機関となるためだった。