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ネターランド王国憲法

第1条 本国の国名を「ネターランド王国(英名:Kingdom of the Neterlands)」と言う。
第2条 本国の国王は「禁句゛(=きんぐ)、戒名:安威川敏樹」とする。
第3条 本国は国王が行政・立法・司法の三権を司る、絶対王制国家である。
第4条 本国の公用語は日本語とする。それ以外の言語は国王が理解できないため使用禁止。
第5条 本国唯一の立法機関は「日記」なる国会で、国王が一方的に発言する。
第6条 本国の国民は国会での「コメント」で発言することができる。
第7条 「コメント」で、国王に不利益な発言をすると言論弾圧を行うこともある。
第8条 「コメント」で誹謗・中傷などがあった場合は、国王の独断で強制国外退去に踏み切る場合がある。
第9条 本国の国歌は「ネタおろし」とする(歌詞はid:aigawa2007の「ユーザー名」に記載)。
第10条 本国と国交のある国は「貿易国」に登録される。
第11条 その他、上記以外のややこしいことが起きれば、国王が独断で決めることができる。

クローザーとリリーフ・エース

野球 文学

週刊ベースボールベースボール・マガジン社)の5月23日号はリリーフ特集だった。

リリーフとはもちろん救援投手のことだが、近年の野球はリリーフの存在がいかに大事かはご承知のとおり。

特に最後を任されるクローザーの重要性は、野球ファンなら誰でも知っているだろう。

クローザーにとって最大の勲章はセーブ(S)を挙げることだが、このセーブの条件をもう一度おさらいしてみよう。

 

①3点差以内のリードで1イニング以上投げて、リードを保ったまま交代完了した時。

②連続本塁打を打たれたら同点となる場面で救援して、一死以上を奪ってリードを保ったまま交代完了した時。

③点差に関係なく3イニング以上投げて、リードを保ったまま交代完了した時。

 

いずれの場合でも救援投手であることが条件で、しかも勝利投手になった場合はセーブは付かない。

日本にセーブが導入されたのは1974年のこと。

初代セーブ王は、セントラル・リーグ中日ドラゴンズ星野仙一パシフィック・リーグ南海ホークス(現:福岡ソフトバンク・ホークス)の佐藤道郎だ。

星野のセーブ数は10S、佐藤は13Sである。

 

今の若いファンは「え、それだけでセーブ王になれるの?」と驚くだろう。

ちなみに、去年(2015年)のセーブ王はセ・リーグ東京ヤクルト・スワローズのトニー・バーネットおよび阪神タイガースの呉昇桓、パ・リーグ福岡ソフトバンク・ホークスのデニス・サファテで、3人とも41Sだ。

41年前の約4倍である。

 

「なーんだ、昔のクローザーって大したことなかったんだ」と若いファンは言うかも知れない。

しかし、この時代のクローザーたちは口を揃えてこう言う。

「今のクローザーは楽だ。ワシらと一緒にするな」

と。

 

今のクローザーは1イニング限定で、しかも勝ち試合(セーブが付く場面)でしかほとんど投げない。

ところが、かつてのクローザーは2~3イニング投げるのは当たり前、しかも勝ち試合だけではなく、同点の場面(場合によっては僅差の負け試合)でも平気で登板する。

しかも、現在のクローザーはリリーフ専門だが、昔のクローザーは先発することさえあったのだ。

星野がセ・リーグ初代セーブ王に輝いた年は、なんと17試合も先発登板している。

これでは、かつてのクローザーたちが文句を垂れるのも無理はない。

 

さらに、最多セーブの表彰は僅か3年(セ・リーグでは2年)で終わった。

前述したとおり、当時のクローザーたちはセーブを挙げる場面のみならず、終盤でチームがピンチになると必ず登板していたのだ。

そうなると、セーブよりも救援勝利の方が価値が高くなる。

そして、1976年(パ・リーグでは1977年)から、セーブと救援勝利を足した数のセーブ・ポイント(SP)が重視され、最多セーブ・ポイントを獲得した投手が最優秀救援投手として表彰されるようになったのだ。

この制度は2004年まで続き、現在では最多セーブ投手による表彰に戻っている。

ちなみに、メジャー・リーグではセーブ・ポイントという概念はなく、日本独特の制度だ。

 

それでも、当時はクローザーがスポットライトを浴びることはなかった。

その存在が認知され始めたのは、江夏豊からだろう。

阪神の絶対的エースだった江夏は、1976年に南海へトレードされ、左腕の酷使により往年の剛速球は見る影もなかった。

全く勝ち星が上がらず、それでも短いイニングなら投げられるだろうと、翌1977年に当時は南海の監督兼捕手だった野村克也にリリーフ転向を勧められた。

しかし江夏は、

「先発完投してこそ真のピッチャー。リリーフなんて勝ち星泥棒のようなマネはしとうない」

と固辞した。

セーブ王、あるいは最多救援投手という表彰があったにもかかわらず、まだリリーフという存在が理解されていなかったのである。

しかし野村は諦めず、

「これからの野球は先発・中継ぎ・抑えという分業制の時代が必ず来る。お前、リリーフで野球界に革命を起こしてみい」

と説得した。

この「革命」という言葉に江夏はコロリと参ってリリーフに転向、この年のパ・リーグ最優秀救援投手に輝いたのである。

 

しかし、江夏がリリーフ投手として真価を発揮したのは広島東洋カープに移籍後の、1979年のことだ。

この年の広島は、勝てそうだったら江夏、ピンチで困ったら江夏、負けそうだけれども勝てるかも?と思ったら江夏、と江夏がリリーフでフル回転。

結果、江夏は最優秀救援投手に輝くと同時に、広島の4年ぶり2度目の優勝に貢献、セ・リーグの最優秀選手(MVP)にも選ばれた。

救援専門の投手でMVPに輝いたのは江夏が初めてである。

だが、江夏の真骨頂が発揮されたのはこの後だ。

 

セ・リーグを制した広島は、パ・リーグ初制覇の近鉄バファローズ(現在はオリックス・バファローズに吸収合併)との日本シリーズに臨んだ。

どちらが勝っても初の日本一となるこの日本シリーズ、一進一退となり3勝3敗で最終戦にもつれ込む。

そして大阪球場での第7戦、9回裏に4-3と広島の1点リードでマウンドに立つのはもちろん江夏。

しかし無死満塁という大ピンチを迎え、それでも江夏は無失点でしのぎ切り、広島に初の日本一をもたらした。

この一戦は「江夏の21球」と呼ばれ、現在でも日本シリーズ史上最高の名勝負として語り継がれている。

 

だが、この試合で江夏が投げたのは21球ではない。

9回に投げたのは確かに21球だが、実際には7回二死から登板しているので、本当に投げたのは2回1/3、合計41球である。

今のクローザーが1試合に41球も投げることはほとんどないだろう。

 

そもそも、この時代に日本ではクローザーなんて言葉はなかった。

よく使われていた言葉は「ストッパー」。

試合終盤、ピンチになるとリリーフの切り札が登板して、ピンチを止めるからストッパーだ。

だが、メジャー・リーグにおけるストッパーとは「連敗を止める優秀な投手」即ちエースのことである。

クローザーのことではない。

 

江夏の場合はどうか。

クローザーはもちろん、ストッパーと呼ばれていた記憶はない。

むしろリリーフ・エースと呼ばれていたのが印象に残っている。

リリーフで最高の投手、即ちエースだ。

江夏ほど「エース」という言葉が似あう投手はいない。

 

「江夏の21球」の映像を見ると、現在のクローザーからは考えられない球を投げている。

ハッキリ言って、球が遅いのだ。

ストレートはMAXで139km/h程度、他に球種はカーブぐらいしかなく、落差は大きいが鋭さはない。

今の時代で当時の江夏がクローザーを務めたら、おそらく通用しないだろう。

 

現在のクローザーは、150km/hが絶対条件。

他にもう一種、空振りを取れる鋭い変化球があれば鬼に金棒だろう。

江夏の後輩、阪神藤川球児の全盛期は「火の玉ストレート」と呼ばれる快速球でバッタバッタと三振に打ち取っていた。

ボールをバットに当てられると、ヒットになったりバックがエラーしたりしてピンチを招くことがあるが、三振だとその心配はない。

そのため、現代のクローザーは三振を獲れることが必須条件なのである。

 

だが、リリーフ転向後の江夏は「打たせて取る」ピッチングだった(先発時代は奪三振投手だった)。

それは、1イニング限定ではなかった時代と無関係ではない。

2イニング、場合によっては3イニング近くも投げなければならなかった時代に、そうそう三振ばかり奪えるものではないだろう。

実際に、当時のクローザー(リリーフ・エースあるいはストッパー)は変化球投手が多かった。

ストッパーとして活躍した阪神山本和行や南海の金城基泰らは変化球投手であり、奪三振投手というイメージはない。

それでも彼らは、リリーフ・エースとして通用したのだ。

 

クローザーとは英語で書くとcloserであり、即ちcloseする人、試合を締める投手のことである。

ところが当時のリリーフ・エース(ストッパー)と呼ばれるような投手は、必ずしも試合を締める投手ではなかったのだ。

むしろ、チームに勝ちを確実に導く投手ではなく、少しでも勝つ可能性がある試合では彼らリリーフ・エースを投入したのである。

その意味では、当時のリリーフ・エース(ストッパー)は、クローザーとは呼べない。

 

「試合を作る投手」という言葉があるが、普通は先発投手にあてがわれる比喩であり、リリーフ投手に使われる言葉ではない。

しかし、かつてのリリーフ・エース(ストッパー)は、試合の終盤に試合を作っていたのだ。

その代表が江夏である。

現在のクローザーは、試合を作ることはしない。

ただただ、リードを守り切るだけである。

 

こう考えると、かつてのリリーフ・エース(ストッパー)が「今のクローザーは楽だ」と言い放つのも頷ける。

なにしろ、セーブが付かない場面でも登板を強いられ、2~3イニングぐらい投げるのはザラ、敗戦投手になる可能性も高い。

そんな過酷な状況の中で、彼らは投げていたのである。

 

だが、本当にそうだろうか。

もちろん、当時のリリーフ・エース(ストッパー)が過酷な条件だったのは理解できるが、現在のクローザーだって決して劣っていない。

なにしろ、1イニング限定でセーブが付く条件でしか登板しないのだから、失敗は絶対に許されないのである。

 

リードしている場面でリリーフが登板し、同点に追い付かれるとその投手はブロウン・セーブ(BS)と呼ばれる記録が付く。

いわゆるリリーフ失敗であり、クローザーにとってBSは最大の恥だ。

その後、味方の打線が奮起して逆転サヨナラ勝ちし、クローザーが勝利投手となっても、そのクローザーは嬉しくもなんともないだろう。

1イニング限定であるがゆえ、リリーフ失敗は致命傷となる。

このプレッシャーは計り知れないに違いない。

 

江夏はリリーフ・エースになってから、リリーフ失敗(BS)がかなりあった。

今の時代なら、クローザーとしては通用しないだろう。

だからといって、江夏のリリーフ・エースとしての価値が下がるわけではない。

2イニング以上も投げていれば、BSが増えて当たり前である。

つまり、昔のリリーフ・エース(ストッパー)と現在のクローザーではどちらが上かとは、一概には言えないのだ。

 

ところで、今日(5月29日)は「江夏の21球」を著した故・山際淳司の命日である。

aigawa2007.hatenablog.com

 

 

江夏の21球

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藤川球児、3者連続3球三振

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