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ネターランド王国憲法

第1条 本国の国名を「ネターランド王国(英名:Kingdom of the Neterlands)」と言う。
第2条 本国の国王は「禁句゛(=きんぐ)、戒名:安威川敏樹」とする。
第3条 本国は国王が行政・立法・司法の三権を司る、絶対王制国家である。
第4条 本国の公用語は日本語とする。それ以外の言語は国王が理解できないため使用禁止。
第5条 本国唯一の立法機関は「日記」なる国会で、国王が一方的に発言する。
第6条 本国の国民は国会での「コメント」で発言することができる。
第7条 「コメント」で、国王に不利益な発言をすると言論弾圧を行うこともある。
第8条 「コメント」で誹謗・中傷などがあった場合は、国王の独断で強制国外退去に踏み切る場合がある。
第9条 本国の国歌は「ネタおろし」とする(歌詞はid:aigawa2007の「ユーザー名」に記載)。
第10条 本国と国交のある国は「貿易国」に登録される。
第11条 その他、上記以外のややこしいことが起きれば、国王が独断で決めることができる。

想い出のフィールド(68)~大体大浪商野球部グラウンド

大体大浪商野球部グラウンド(行った回数:1回)

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高校野球における先進国と言える大阪府

数々の強豪校を甲子園に送り出してきた大阪も、時代によって顔ぶれが変わってきたように思う。

 

まずは戦前~戦後にかけての、旧制中学公立校時代。

この頃は市岡中(現:市岡)、八尾中(現:八尾)、北野中(現:北野)など、府立の文武両道たる名門校が大阪の中等野球(現:高校野球)をリードしてきた。

北野などは、学制改革後の1949年(昭和24年)にセンバツ制覇を果たしている。

 

そして、戦後の昭和30年代に猛威を振るったのが私学の浪商だ。

戦前から浪華商の校名で、甲子園優勝の経験はあったが、特にクローズアップされたのは1960年(昭和35年)である。

一年生エースの尾崎行雄を擁し、夏の甲子園に登場した浪商は二回戦で優勝候補の法政二と対戦、0-4で完敗した。

翌春のセンバツでも浪商は法政二に1-3で敗れたが、夏は準決勝で見事にリベンジ、延長11回の末4-2で法政二を下し、そのまま優勝した。

浪商は1955年(昭和30年)春にもセンバツ制覇しており(当時の校名は浪華商)、昭和30年代で大阪最強の高校と認定して良かろう。

 

昭和40年代に入ると、明星や興国が夏の全国制覇を果たし、さらに北陽(現:関大北陽)と大鉄(現:阪南大高)が春のセンバツ準優勝に輝いたのだから、大阪はまさしく私学の群雄割拠の時代を迎えたと言えよう。

 

そして昭和50年代に入ると、PL学園が台頭してきた。

1978年(昭和53年)夏に甲子園初優勝を果たすと、1981、82年春にセンバツ二連覇、83年夏、85年夏、87年春夏連覇と、大阪はPL時代の到来となった。

この頃になると、かつては名門の名を欲しいままにしていた浪商は風前の灯火となる。

僅かに1979年(昭和54年)に、牛島和彦香川伸行の黄金バッテリーで、春準優勝、夏ベスト4に進出したのみだ。

 

昭和が終わり、平成の世になると、PLが下火になって再び私学の群雄割拠時代が訪れる。

近大付と上宮が春に、大阪桐蔭が夏に甲子園制覇を果たして、大阪は我が世を謳歌した。

しかし、それによって大阪の有望中学生は大阪の強豪校を敬遠し、地方への人材流出が始まる。

 

大阪の地盤沈下が叫ばれたが、21世紀になって再び台頭してきたのが大阪桐蔭だ。

2008年(平成20年)夏に二度目の甲子園制覇を果たすと、2012年(平成22年)には春夏連覇を達成し、2014年(平成26年)夏も全国を制した。

もはや大阪桐蔭は、押しも押されもせぬ全国の超名門校である。

今、大阪で大阪桐蔭に対抗できるのは履正社だけだろう。

 

そういう意味では、大阪の時代というのは、

公立校群雄割拠→浪華商(浪商)→私学群雄割拠→PL学園→私学群雄割拠→大阪桐蔭

という歴史を経ていると言える。

 

そんな中で、期待を寄せたいのが浪華商→浪商のルーツがある大体大浪商だ。

もちろん、往年の実力はないが、環境は揃っている。

 

浪華商から浪商にかけての、戦前から昭和30年代は、大阪市東淀川区に校舎があった。

即ち、下町の学校だったのである。

淀川の河川敷で地獄のトレーニングを耐え抜いた浪商ナインは、甲子園で大暴れした。

いかにも大阪らしい泥臭い校風は浪速っ子に支持され「ワイらの浪商」として愛され、黄金時代を築いた。

 

その後、1963年(昭和38年)に大阪市から茨木市へ校舎が移転された。

即ち、浪商は下町の学校ではなくなったのである。

郊外に移転し泥臭さが無くなった浪商は「線が細くなった」と言われ、明星、興国、北陽、大鉄、PL学園に後れを取るようになった。

それでも1979年には牛島―香川のバッテリーで再び豪快さを取り戻し、浪商は春準優勝、夏ベスト4で復活する。

 

しかし、浪商の復活劇はそこまでだった。

1980年代にPL学園が猛威を振るうと、1989年(平成元年)には「今さら野球で浪商もあるまい」と、校舎を茨木市からは遠く離れた泉南郡熊取町に移転し、校名も大体大浪商と改称する。

最近の私立高校が大学の付属になることが多いように、浪商も大阪体育大学の傘下に入ったのだ。

浪華商があった頃の大阪市東淀川区は下町で、浪商になって移転した茨木市はせいぜい郊外だったが、大体大浪商がある熊取町はハッキリ言ってド田舎である。

かつて「ワイらの浪商」と謳われた泥臭さは微塵もない。

もはや、平古場昭二(1946年夏の優勝投手)や尾崎、牛島―香川がいた頃の浪商は死んでしまったと言っていいだろう。

何しろ、大阪北部の茨木市から南部の熊取町に移ってしまったのだ。

福岡のライオンズが埼玉に、大阪のホークスが福岡に移転したようなもので、感情移入などできるわけがない。

それでも、大体大浪商の野球部には、新たな時代を切り開いてくれる期待が持てる。

 

今年(2016年)の3月13日、ラグビー・リーグの試合を観るために大体大へ行ったが、それが終わると大体大浪商の野球部グラウンドへ向かった。

さすがは体育大学、あらゆるスポーツ施設が揃っている。

大体大ラグビー部グラウンドの手前にはテニス・コートがあったし、ラグビー場の隣りはサッカー場。

その隣りには陸上競技場があった。

ちなみに、駐車場の入り口近くの広いグラウンドではアメリカン・フットボール部とソフトボール部が練習していた。

ラグビー場やサッカー場、テニスコートはそのグラウンドから下った所にある。

その向かいには、ハンドボール専用の体育館にバレーボール専用の体育館、そしてウェートトレーニング用の体育館もあった。

これだけの施設が揃っていれば、大体大はあらゆるスポーツ部で全国優勝できるだろうと思ったほどである。

 

さて、大体大浪商野球部のグラウンドは、ラグビー場からかなり遠い。

テニス・コート、サッカー場、陸上競技場を抜けて右折し、大体大浪商高校の校舎を抜けて下った所に野球場があった。

ちなみに大体大の敷地内には、大阪体育大学大体大浪商高校、大体大浪商中学の3校がある。

ド田舎で土地が余っているうえ、丘陵地に学園を設けたから、施設内の起伏が激しいのだ。

帰りに駐車場へ戻る時、また坂を登らなければならないのかと思うとウンザリする。

 

さて、野球場に着いたら、大体大浪商は練習試合をしていた。

相手は立命館宇治らしい。

 

大体大浪商野球部のグラウンド

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坂を下った入り口が、写真のとおり右翼方向だった。

ギャラリーも何人かいたが、右翼ポール際に野球部員が椅子に腰かけていたので、ネット裏の方に行けるか?と訊いた。

行けます、という返事だったので、右翼方向から一塁側へ向かって歩いて行った。

すると、一塁側ベンチ(つまり、ホーム側)の近くにはブルペンがあった。

試合の時には、ファウル・グラウンド脇にあるブルペンを使うようだが、このブルペンは投手側と捕手側に屋根があり、雨でも投球練習ができる。

おそらく、普段の練習ではこのブルペンでピッチング練習をしているのだろう。

ちなみに三塁側には、ちょっとした室内練習場があるだけで、室内ブルペンらしきものはなかった。

 

一塁側にある、半室内のブルペン

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さらに、一塁側のベンチ裏には、大体大浪商からプロ(NPB)入りした選手が寄贈したレリーフも飾られていた。

それだけでなく、かつて大体大浪商(浪華商時代から)が甲子園で活躍したことを示すプレートも飾られている。

 

一塁側のベンチ裏

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ネット裏に来た。

しかし、ネットが邪魔して見づらい。

しかも、観客席のようなものはないようだ。

大体大浪商グラウンドでは、大阪府高校野球の春季大会や秋季大会で使用されるのだが、観戦するのは難しいだろう。

観戦できるとすれば、外野にあるスペースぐらいか。

 

ネット裏から見た大体大浪商野球部グラウンド

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ネット裏から三塁側ベンチの後ろを通った。

前述したように、三塁側にはちょっとした室内練習場のようなものがあるだけだ。

それにしても、グラウンド脇が狭い。

まさしく、野球の練習をするためだけのグラウンドだろう。

それでも、両翼90m、中堅120mもある立派なグラウンドであり、スコアボードもあるのだから恵まれた環境なのだが。

ただし、外野は芝生ではなく、内野の黒土とは違った砂地となっている。

このあたりは、上宮太子野球部グラウンドに近い。

 

スコアボード。選手表記はなく、別の場所にボールカウント表記はあったが、SBO方式だった

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三塁側からレフト側に歩いて行くと、野球部の先輩と後輩らしき部員がグラウンド外でキャッチボールをしていた。

後輩がボールを捕り損ねたらしく、先輩が「何やってんね~ん」と後輩に叫んでいた。

どうやらこの二人、レフトポール際で座っていたものの、退屈になってキャッチボールをしていたらしい。

後輩がボールを探している間、先輩の方に声をかけた。

 

「このグラウンドは、浪商高校の物なの?」

「はい、週に5日、高校が使っています」

「週に5日?じゃあ大学はどうしているの?」

「大学は週に1日、中学が週に1日、自由に使えるようになっているんです」

「大学が週に1日だけ?それ以外の日はどうやって練習しているの?」

「ここで練習しています」

 

そう言って大体大浪商高校の野球部員が指差した場所は、グラウンドのレフト方向にある室内練習場だった。

つまり、大体大の野球部がグラウンドで練習できるのは週に1日だけで、それ以外の日は室内練習場で練習しているというのである。

ちなみに言うと、大体大と言えばメジャー・リーガーである上原浩治の出身校で、2006年には全日本大学野球選手権で優勝したほどの実力校だ。

それでも、大体大では浪商高校の方が優遇されているのである。

 

大体大野球部が練習している室内練習場

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「じゃあ、キミたちが広いグラウンドで練習ができるのは有り難いよね?」

「はい、嬉しいです」

「だったら、浪商ももっと頑張らないと」

「はい、そうですね」

「夏には(大阪)桐蔭に勝ってよ」

「はい、頑張ります!」

 

そう言って、この大体大浪商高校野球部部員とは別れた。

ホントは、牛島ー香川の頃の浪商がどれだけ凄かったが、この部員に教えてあげたかったが、さすがにそれははばかられた。

こんなオッサンの戯言など、今の高校生にとっては何の役にも立たないだろう。

 

練習試合の結果はわからないまま、長い登り坂をえっちらおっちら登って、大体大を後にした。

今年の夏は、大阪桐蔭履正社の厚い壁を、大体大浪商は破ることができるのだろうか。

少なくとも、練習環境ではかなり恵まれているのだから、活躍してもらわないと困る。

なにしろ、大阪桐蔭履正社は専用グラウンドまで校舎から離れた距離にあるが、大体大浪商は立派な専用グラウンドが、学校の敷地内にあるのだから。

 

ネット裏から見た大体大の周りの景色はこんな感じ。後ろに薄っすら見える山は淡路島

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