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安威川敏樹のネターランド王国

お前はチョーマイヨミか!?

ネターランド王国憲法

第1条 本国の国名を「ネターランド王国(英名:Kingdom of the Neterlands)」と言う。
第2条 本国の国王は「禁句゛(=きんぐ)、戒名:安威川敏樹」とする。
第3条 本国は国王が行政・立法・司法の三権を司る、絶対王制国家である。
第4条 本国の公用語は日本語とする。それ以外の言語は国王が理解できないため使用禁止。
第5条 本国唯一の立法機関は「日記」なる国会で、国王が一方的に発言する。
第6条 本国の国民は国会での「コメント」で発言することができる。
第7条 「コメント」で、国王に不利益な発言をすると言論弾圧を行うこともある。
第8条 「コメント」で誹謗・中傷などがあった場合は、国王の独断で強制国外退去に踏み切る場合がある。
第9条 本国の国歌は「ネタおろし」とする(歌詞はid:aigawa2007の「ユーザー名」に記載)。
第10条 本国と国交のある国は「貿易国」に登録される。
第11条 本国の文章や写真を国王に無断で転載してはならない。
第12条 その他、上記以外のややこしいことが起きれば、国王が独断で決めることができる。

「猫だまし」が何故いけないのか

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今年(2015年)の大相撲九州場所の10日目に、前代未聞のことが起こった。

36度目の優勝を狙う横綱白鵬が、関脇の栃煌山に対し「猫だまし」を行ったのだ。

「猫だまし」とは、相手力士の顔の前で両手をパチンと叩いて、相手が驚いているうちに勝ってしまうという、いわば奇襲戦法である。

 

横綱とは思えぬこの技に、世間の意見は、

横綱たるもの、奇襲戦法で勝とうとするとは何事か!」

「ルール違反をしたわけではないし、横綱が勝とうとした意識の表れ。何がいけないのかわからない」

と真っ二つ。

賛成派は若い人に多く、反対派は古くからの大相撲ファンがほとんどのようだ。

ある調査では、賛成派が4割、反対派が6割といったところ。

 

当の本人、即ち白鵬は、

「一度はやってみたかった。楽しんだよ。横綱の品格?また変な質問をするね」

と涼しげな顔。

なぜそんな質問をするの?というより、どうせこんな質問をするんだろうな、とでも言いたげなそぶりだ。

 

では、あなたの見解はどうか?と問われれば、筆者はこう答える。

こんなこと、絶対に有り得ない、と。

横綱がこんなことをするなんて、角界の恥だ、とすら思う。

とはいえ、白鵬横綱のくせにこんなこともわからないのか、と言いたいところだが、わからなくても仕方がない部分もある。

 

以前、白鵬と似たようなことをした横綱がいた。

そう、朝青龍である。

2006年、奇しくも今回と同じ九州場所で、当時横綱だった朝青龍が、当時小結の稀勢の里に「けたぐり」で勝った。

「けたぐり」とは、立ち合いの瞬間に相手の足を蹴って倒してしまう奇襲戦法であり、やはり横綱がやるべき技ではないとされている。

朝青龍と言えば白鵬とは比べ物にならないほどの「悪役」だったため、当時は今回よりかなりの批判が浴びせられた。

当然、この時でも「横綱の品格」という言葉が使われたのである。

しかし、朝青龍は「横綱の品格」なんてものをせせら笑った。

相撲なんて、要は勝ちゃあいいんだ、とでも言いたげに。

もちろん、いくら悪役といっても、そんな朝青龍を支持するファンも少なからず存在した。

 

白鵬朝青龍、二人に共通することは、相撲ファンでなくてもわかるだろう。

そう、二人とも日本人ではない(モンゴル人)ということである。

だからといって、日本の相撲は日本人にしか理解されない、というつもりは毛頭ない。

似たような例が、他のスポーツにもある。

たとえば、野球がそうだ。

 

アメリカのメジャー・リーグでは、大量得点差で勝っているチームが、盗塁などやると「不作法だ」として非難を浴びる。

それどころかビーンボールの餌食になりかねない。

ところが日本人には、これがなぜ不作法なのか、理解できないのだ。

どんな点差であっても、野球というのは何があるのかわからないのだから、攻撃の手を緩めないのは当然ではないか、と。

 

しかし、野球の母国であるアメリカでは、そうは考えない。

もはや勝敗は決しており、相手バッテリーは打者を打ち取ることに専念しているので、走者に対しては無警戒だ。

そんな時に、これ見よがしに盗塁を企てるのは卑怯だ、という意味である。

これが日本人にはなかなか理解できない。

 

そもそも日本では「盗塁」という言葉を理解されていなかった。

最近ではやっと、大量得点差でバッテリーが無警戒の場合には、盗塁ではなく野手選択と記録されるようになったが、多くのプロ野球OBはこのルールに異議を唱えたのである。

相手バッテリーが警戒しようがしまいが、盗塁には違いないではないか、と。

だが盗塁とは、バッテリーが警戒する中で走者が敢えて塁を盗むことに挑む、だから盗塁(base stealing)と呼ぶのだ。

こんな根本的なこと知らないと、野球(baseball)というスポーツは理解できない。

 

野球の大量得点差での盗塁や、相撲の横綱が行う「猫だまし」や「けたぐり」は、決してルール違反ではない。

だが、ルール違反ではないからといって何をやってもいいのかと言えば、それも違う。

どんなスポーツにも「暗黙の了解」というものがあるのだ。

これは「ルールブックに書かれざるルール(the unwritten rules)」とも言う。

暗黙の了解を理解するには、そのスポーツの根本を知る必要がある。

 

そもそも「横綱の品格」とは何か。

この旧態依然とした言葉に辟易している人は、外国人でなくても日本人にも多いだろう。

でも「横綱の品格」なんて、実に舌っ足らずな言葉なのだ。

このことについて説明した人を、筆者は知らない。

こんな実体のない言葉を連発するよりも、まずは相撲とは何か、そして横綱とは何かを知る方がずっといい。

 

では「横綱」とは何か。

それを語る前に、大相撲における最高位は何か、を問いたい。

多くの人は「横綱」と答えるだろう。

だが、それは違うのだ。

ここを理解しないと、今回の騒動は解けない。

 

大相撲における最高位とは「大関」である。

大相撲には「三役」というものがあり、それは「大関」「関脇」「小結」だ。

この三役に関しては、それぞれ必ず東西に一人ずついる必要がある。

逆に言えば、横綱なんていてもいなくてもいい存在なのだ。

 

本場所の千秋楽には「三役揃い踏み」という儀式があるのはご存じだろう。

 

大相撲千秋楽の三役揃い踏み

www.youtube.com

 

この「三役」とは「小結に叶う」「関脇に叶う」「大関に叶う」という意味であり、「これより三役」の最初に勝った力士(小結に叶う)には矢、次に勝った力士(関脇に叶う)には弓の弦、最後に勝った力士(大関に叶う)には弓が与えられる。

しかしそこには「横綱に叶う」はない。

これはどういうことなのか。

  

元々は最高位だった大関の中で、特に選ばれた立派な力士に横綱という称号が与えられたのだ。

つまり、一種の名誉職だったのである。

要するに、別格の存在と言っていい。

そのため、土俵入りの際も大関までは一緒に行うが(冒頭の写真参照)、横綱だけ別に土俵入りを行う。

大関までの幕内力士が一緒くたに行う土俵入りと違って、横綱は雲竜型や不知火型という型を、太刀持ち及び露払いを従えて独りで演じる、まさしく相撲における檜舞台だ。

 

さらに、横綱には数々の特権がある。

最も大きいのが、いくら負けても番付は落ちない、という点だろう。

普通の地位では、負け越したら番付が落ちるし、たとえ大関であっても二場所続けて負け越したら大関転落となる。

しかし、横綱にはそれがない。

負け越そうが何しようが、横綱から落ちることはないのだ。

 

だが、それだけにとてつもない責任を負う。

いくら負けても番付は落ちない、と言っても、実際には横綱の地位が安泰というわけではない。

横綱になれば、無様な成績だったら引退を強要されるのだ。

もちろん、引退するかどうかは個人の自由だが、実際には風当たりが強く、そうはならない。

普通の番付なら、たとえ降格してもそこから這い上がることも可能だが、横綱にはそれすら許されないのである。

横綱としての実力を維持できなくなれば引退せざるを得なくなる、それが横綱だ。

 

相撲界には「給金直し」という言葉がある。

一場所15日間のうち、8勝して勝ち越せば「給金が直る」と言い、要するに給料が上がるのだ(負け越しても給料が下がることはない)。

8勝7敗なら1番勝ち越しで50銭の給料が上がる。

9勝6敗では2番勝ち越しで1円、10勝5敗なら3番勝ち越しで1円50銭……、という具合に、最大15戦全勝で3円50銭の昇給となるのだ。

「今時3円50銭なんて……」と思うだろうが、そこにはカラクリがあって、その時の貨幣価値によって何千倍にもなる。

力士の誰もが勝ち越しを目指すのは、番付を下げない(あるいは上げる)と共に、給金直しのためだ。

力士は勝ち越すたびに、番付だけではなく給料も上がる仕組みになっている。

 

ところが、「金星(きんぼし)」となると、話は違ってくる。

金星とは今や「ジャイアント・キリング」を意味する一般名詞にもなっているが、元々は相撲で平幕(前頭以下)の力士が横綱に勝つことを意味するのだ。

相撲における金星とは、とてつもなく大きな意味を伴う。

何しろ金星を挙げれば、一気に10円も昇給してしまうのだ。

勝ち越し、負け越しに関係なく、ただ横綱に勝っただけで、10円もの給料が上がってしまうのである。

15戦全勝でも3円50銭なのに、その3倍近くもの昇給だ。

たとえ1勝14敗でも、その1勝が横綱相手だったら10円アップである。

 

平幕が横綱に勝つことは、それだけ凄いことなのだ。

平幕が大関に勝つことを「銀星」などと言うことがあるが、実際にはそんな制度はない。

あくまでも「金星」のみが、給金における制度である。

つまり、横綱にはそれだけ大きな責任がのしかかるのだ。

 

だからといって、何をやっても勝ちゃあええ、というものではない。

横綱らしく、正々堂々と勝負することが求められるのである。

格下相手に、スカして勝っても、誰も喜ばない。

これはもちろん、横綱同士の取組でも同じことである。

ファンは誰もが、横綱の正々堂々たる相撲を見に来ているのだ。

横綱日本相撲協会の象徴であることは、言うまでもない。

ルールさえ守っていれば何をやっても構わない、というのは、スポーツの本質をわかっていないのである。

勝って納得、負けて納得が、スポーツの真骨頂だ。

だからこそ、スポーツは楽しい。

 

今回の件に関して、元小結の舞の海は、白鵬を擁護する発言をしていた。

これは当たり前のことだ。

「猫だまし」を連発していた舞の海が、白鵬を批判することはできない。

だが、舞の海は「猫だまし」をやってもいいのである。

舞の海は小兵力士ながら「技のデパート」ぶりを発揮して、大人気を博した。

それはそれで、力士として立派な生き方である。

しかしそれは、横綱の器ではない。

そのことは舞の海自身、よくわかっていたのだろう。

舞の海横綱になる気など、さらさら無かった。

だからこそ、小兵力士というハンディを背負って、様々な技を駆使して三役まで登り詰めたのだ。

 

しかし、それとは正反対の行き方をした力士もいる。

それが、戦前のヒーローである双葉山だった。

双葉山は若い頃、体が小さくて全く勝てず、先輩力士からは「お前は小さいんだから、もっと立ち合いに変化をつけるとか工夫しろよ」とアドバイスを受けたが、双葉山は一切受け付けずに正攻法の相撲を取り続けた。

やがて、小手先に頼らない相撲が花開き、後に大横綱となって現在も破られていない69連勝を樹立するのである。

目先の勝利にこだわらず、3年先の稽古が実を結んだのだ。

 

今回の白鵬による「猫だまし」の件で、日本相撲協会の元横綱北の湖理事長は「有り得ない話」と激怒した。

正直言うと、筆者は北の湖理事長のことはあまり好きではない。

数年前の八百長事件に関する対応について、旧態依然の体質が感じられたからだ。

しかし、今回の件に関しては、北の湖理事長に対して全面的に同意である。

 

だが、現役時代の北の湖は、もっと嫌いだった。

なぜ嫌いだったか?

強すぎたからである。

北の湖は、憎たらしいほど強すぎたのだ。

 

強すぎたとは、どういうことか?

それは、北の湖が正々堂々たる横綱相撲を取っていたからである。

そもそも、横綱相撲とは何か?

簡単に言えば、長い相撲を取れるということだ。

がっぷりと四つに組み、相手を負かしてしまう相撲、それが横綱相撲である。

悔しいが北の湖以降、堂々たる横綱相撲を取れた力士は、他に知らない。

 

筆者は子供の頃、輪島のファンだった。

輪島は第54代横綱北の湖は第55代横綱であり、二人の横綱時代は「輪湖(りんこ)時代」と呼ばれるほどのライバル関係だったのである。

二人は全く好対照の横綱だった。

 

輪島は日本大学で学生横綱を張り、鳴り物入りで角界にデビューした。

もちろん幕下付け出しで異例のスピード出世をしたため、幕内に入った頃でも大銀杏が結えず、長い髪を持て余してパーマをかけて土俵に上がるという破天荒な力士だったのである。

 

一方の北の湖は、中学在学中に角界入り、下積みの苦労を味わいながら着実に番付を上げて、21歳2ヵ月という史上最年少の横綱に昇進した。

エリートの輪島と叩き上げの北の湖、技の輪島と力の北の湖、天才型の輪島と努力型の北の湖、あらゆる面で好対照である。

年齢で言えば、輪島の方が6歳上で、最初のうちは輪島が対戦成績で北の湖を圧倒した。

 

だが、筆者が相撲を見始めたときは、既に輪島の全盛期は過ぎていて、北の湖の天下だった。

この頃の輪島×北の湖は、判で押したかのように、全く同じ展開。

がっぷり四つになり、輪島は攻めようとしても攻めきれず、やがてはスタミナ切れになって、北の湖がアッサリと寄り切る。

一見すると、時間が長いので好勝負に見えるが、実際には北の湖が内容的に圧倒していたのだ。

年齢的にスタミナがなくなった上に稽古嫌いの輪島と、脂が乗り切って稽古充分の北の湖との差がハッキリと現れた一番が続いていた。

当時の北の湖は、そんな相撲が取れたのである。

前述したように、北の湖の相撲とは、長い相撲を取れるという、まさしく横綱相撲だった。

 

そして筆者の心に残っているのが、1980年の九州場所である。

この場所では輪島が絶好調で、12連勝を飾っていた。

ちなみにこの場所では、当時は関脇だった千代の富士が中日まで8連勝、ウルフ・フィーバーが巻き起こったのである。

そして9日目、輪島と千代の富士が対戦して、輪島が完勝した。

 

13日目、全勝の輪島と2敗の北の湖が対戦した。

やはり、過去1年の対戦と同じくがっぷり四つになり、北の湖有利かと思われたが、ここで輪島の18番「黄金の左下手投げ」が出た。

思わぬ「黄金の左」により、土俵に転がる北の湖

かつて、北の湖が何度も苦汁を舐めさせられていた輪島の「黄金の左」に、全盛期の北の湖が屈したのである。

 

14日目、輪島は横綱若乃花(二代目)に敗れたが、千秋楽で大関貴ノ花(初代)を破り14勝1敗で優勝を果たした。

そして輪島にとって、これが最後の幕内優勝であり、この場所が北の湖に勝った最後の一番である。

 

この頃の輪湖対決は、まさしく正々堂々たる横綱同士のぶつかり合いだった。

体力で勝る絶対横綱北の湖に対し、輪島は先輩横綱の意地で真っ向勝負を挑んだのである。

だからこそファンは輪湖対決に熱狂し、大相撲人気を支えたのだ。

これが、体力が衰えた輪島が北の湖に対し「猫だまし」や「けたぐり」をやったら、ファンはどう思っただろう。

たとえ輪島が勝っても、ファンは総スカンしたに違いない。

ましてや北の湖が「猫だまし」や「けたぐり」など、絶対に有り得なかったのである。

 

晩年の輪湖対決。かつては苦手だった輪島に、北の湖は正攻法で挑む。もちろん、体力が衰えた輪島も小手先の技は使わない。真っ向勝負の横綱決戦にファンは熱狂した

www.youtube.com

 

 

現在の相撲界は、一時期の八百長問題から脱して、かなりの人気を博している。

かつての若貴ブームとまでは言わないが、「相撲女子」なる若い女性が相撲に熱心らしい。

それは非常にいいことであり、これからも相撲人気を盛り上げていただきたい。

 

だが、それらの「相撲女子」や、あるいは「相撲男子」の若いファンも、今回の「猫だまし」騒動が理解できないかも知れない。

しかし、それはそれで構わないのである。

 

なぜルール違反ではないのにもかかわらず、白鵬が「猫だまし」を行ったことによって、多くの相撲ファンから非難を浴びているのか、それを考えていただきたい。

そして、相撲の歴史を知り、相撲の本質を理解できれば、もっと相撲を楽しむことができるはずである。

 

 

【追記】

この原稿を書いている最中に、北の湖理事長が急逝したと知った。

つい数日前までは、白鵬の「猫だまし」について批判するコメントを発していたのに……。

偉大なる横綱北の湖が最後に見届けた相撲が、横綱による「猫だまし」だとすると、あまりにも悲しい。

謹んで、ご冥福をお祈りいたします。