第97回全国高等学校野球選手権大会は、東海大相模(神奈川)が45年ぶり2度目の夏制覇、春夏通算4度目の甲子園優勝を果たした。
仙台育英(宮城)は悲願の東北勢甲子園初制覇を目指したが惜しくも準優勝、またもや優勝旗は白河の関を越えなかったのである。
決勝戦でのNHKの視聴率は、盆が終わった平日にもかかわらず関東地区で20.2%、仙台地区では実に34.8%を記録したのだから、関心の大きさがわかる。
もし優勝していれば、仙台では2013年にNPB日本一になった東北楽天ゴールデンイーグルス以上の大フィーバーになったのではないか。
それでも、選手個人で最も話題を集めたのは、なんといっても早稲田実業(西東京)の一年生・清宮幸太郎だろう。
もし早実が準決勝で仙台育英を破って決勝進出していれば、関東地区の視聴率は30%越えだったに違いない。
一年生のスラッガーと言って真っ先に思い浮かぶのは、なんといっても1983年に甲子園で大暴れしたPL学園(大阪)の清原和博である。
清原は一年時に甲子園制覇を果たし、その後も甲子園に出場し続けて5季連続出場、優勝2回、準優勝2回、4強1回という空前絶後の成績を残し、甲子園通算13本塁打という2位以下を大きく引き離す最多記録を樹立した。
清宮のようなスーパー一年生が出現すると、どうしても清原と比較したくなる。
そこで、両者の一年夏の記録を見てみよう。
清原和博(PL学園)
右投右打 186cm 87kg(高校一年時)
大阪大会
7試合(全て四番・一塁手)
25打数10安打6打点2本塁打 打率.400
甲子園大会(優勝)
6試合(全て四番・一塁手)
23打数7安打5打点1本塁打 打率.304
大会終了後、高校日本選抜に選ばれず
清宮幸太郎(早稲田実業)
右投左打 184cm 97kg
西東京大会
6試合(全て三番・一塁手)
20打数10安打10打点0本塁打 打率.500
甲子園大会(4強)
5試合(全て三番・一塁手)
19打数9安打8打点2本塁打 打率.474
大会終了後、U18日本代表に選出
※相手よりいい成績(数字)が赤字
まず、体格から見てみると、身長は清原が2cm上回っているにもかかわらず、清宮の方が体重は10kgも重い。
これは明らかに、約30年前と現在の食事事情およびウェート・トレーニングの差だろう。
戦後から完全に脱した30年前だって栄養状態は良くなっていたが、それでも現在の方が遥かにいいのは間違いない。
それに、30年前と言えばようやくウェート・トレーニングが行われ始めた頃だ。
それでも、現在のように綿密な科学的分析があったわけではなく、闇雲にバーベルを持たせるようなことが往々にしてあった。
練習環境で言えば、今の方がずっと恵まれているだろう。
しかも清宮の場合は、自宅の地下室に練習場があり、子供の頃からずっとそこで練習していたというから驚きだ。
清原には考えられないことに違いない。
にもかかわらず、清原は当時としての体格は図抜けている。
それに、バランスで言えば当時の清原の方が清宮より体重10kgも軽いとはいえ、ずっといいように思える。
むしろ、プロ入り後の晩年に無駄な筋肉を付けすぎて怪我ばかりしていた時より、高校一年時の方が遥かに理想的だ。
その意味では、高校一年生の時点では体格的には清原の方が優れているだろう。
清宮に心掛けて欲しいのは、栄養満点の食事やウェート・トレーニングも大切だが、それと共にスピードや柔軟性を落とさない練習をし、怪我をしにくい体を作ることだ。
高校一年時の成績を見ると、清原が上回っているのは甲子園で優勝したことと、地方大会でのホームラン数だけで、それ以外は全て清宮の方が上だ。
チーム成績はチームの実力が絡むので個人ではどうしようもないが、個人成績では清宮の圧勝と言っていい。
特に甲子園での成績は、清宮が清原を圧倒している。
レベルが高い投手が集まる甲子園で、清宮は5試合全てでヒットを打ち、一年生記録タイの2ホーマーを放って、名門・早実の主力打者に相応しい活躍でチームをベスト4に導いた。
当然、清宮の評価は高く、大会終了後の8月28日から始まるU-18ワールドカップの日本代表に選出されている。
一方の清原は、一年時の甲子園では打率.304、1本塁打と一年生としては立派な成績を残したものの、一、二回戦ではノーヒットと精彩を欠いた。
決勝戦の横浜商業(神奈川)戦でホームランを放ったものの、「穴が多すぎる」と評価は決して高くなく、優勝校の四番打者ながら大会終了後にアメリカ遠征した日本高校選抜には選ばれなかった。
当時の日本高校選抜は、夏の優勝校から多数選ばれるのが通例だったので、その四番打者が選出されなかったのは極めて珍しい。
それだけ清原の評価は低かったのである。
高校一年時の清宮と清原の差は「完成度」の3文字に尽きる。
つまり、清宮はまるで三年生のような技術を身に付け、一方の清原はまだまだ荒削りだったのだ。
パワーでは両者は互角だが、確実性では清宮の方が遥かに上である。
さらに清宮には、勝負強さもあった。
このあたりは、メンタル面でも大きな差があっただろう。
同じ一年生として注目される存在ながら、二人には大きな違いがあった。
清原は、PLの一年生四番という立場にもかかわらず、ほとんど注目されてなかったのである。
当時の高校野球は、史上初の夏春夏3連覇を狙う池田(徳島)フィーバー一色だった。
それに対するPLは「一年生にエース(桑田真澄)と四番打者を任せるようでは、名門の名に恥じる」という評価で、池田の対抗馬にも挙げられてなかったのである。
しかし、準決勝で池田を完封、しかもホームランを放った桑田の評価は一気にうなぎ上り、日本高校選抜にも選ばれたが、この試合で4三振した清原の評判はサッパリだった。
清原はプロ入り後に「番長」と呼ばれるほどの強面で知られていたが、実は神経が細やかで、甲子園出場が決まってからはずっと心因性の下痢に悩まされていたのである。
「打てるもんやったら打ってみい!三年生でも打たせへん!!」と投げ込んでいた桑田の方が、よほど度胸が据わっていた。
一方の清宮は、甲子園はおろか、西東京大会が始まる前から大フィーバー。
なにしろ、甲子園には直結しない春季大会の時点で「週刊ベースボール」の表紙を飾ったほどである。
こんな高校球児は清宮が初めてだ。
理由はもちろん、父親がラグビー・トップリーグのヤマハ発動機ジュビロの監督である清宮克幸氏だからである。
克幸氏はラグビー日本代表の選手だっただけでなく、早稲田大学やサントリー・サンゴリアスで監督を務め、名将としても知られていた。
そして今年の2月には、それまで優勝経験のなかったジュビロを日本選手権優勝に導いたのである。
さらに清宮は中学時代、リトルリーグの世界選手権で優勝し、アメリカのメディアから「和製ベーブ・ルース」の称号を受けた。
しかも、清原の頃と違って、今ではインターネットで世界の情報が瞬時に伝わる時代。
おそらく日本の野球通(ラグビー通も含む)は、中学生だった清宮の名前は誰でも知っていただろう。
こんな選手が、話題にならないわけがない。
高校一年の時点では、総合力で清宮の方が上だろう。
だが、清宮にも弱点がある。
それは、清原ほどの「未完成」な魅力がない点だ。
清宮はあまりにも完成されすぎていて、欠点が少ないように思える。
欠点がないということは、伸びしろもないのでは?ということだ。
清原は欠点が多かったために、かえって将来性が期待されたのである。
そして清原は二年、三年と甲子園で何度も経験を重ね、壁にぶち当たって、最後の三年夏には一大会5ホーマーという未だに破られていない大記録を打ち立てて、2度目の甲子園制覇を成し遂げた。
忘れてはならないのは、清原は「三振が絵になる」打者だったということだ。
清原には伝説の三振記録が二つある。
一つ目は、前述した池田戦の4打席4三振だ。
池田のエースだった水野雄仁は桑田にホームランを打たれたものの、清原だけはムキになって三振を狙いにいった。
PLは池田に7-0と圧勝したにもかかわらず、清原は屈辱にまみれた。
その悔しさが翌日の決勝戦、横浜商のエース三浦将明から放った甲子園初ホーマーに繋がったのである。
二つ目は、高校三年時の春のセンバツ、準決勝の伊野商業(高知)戦だ。
試合前の下馬評ではPLが圧倒的有利だったが、清原は伊野商の渡辺智男に4打席3三振(1四球)。
清原の不振がたたり、PLは1-3で伊野商に敗れた。
清原にとって、4三振を食らった池田の水野は2年先輩だったが、同学年の投手に手も足も出なかったのは、この時が初めてだった。
最大の屈辱を味わった清原は、この日の夜から練習の虫になったのである。
その年の夏、5季連続甲子園出場を果たしたPLは、準々決勝で高知商業(高知)と対決。
高知商は、高知大会決勝でセンバツ覇者の伊野商を倒して甲子園にやって来た。
高知商のエース・中山裕章は、清原を3三振に斬って取った伊野商の渡辺以上の剛腕という噂の投手である。
その中山の剛速球を、清原のバットがとらえた。
打球は甲子園のレフトスタンド中段に突き刺さるという、140mの大ホームランである。
甲子園史上最長と呼ばれるこのホームランは、センバツで渡辺に3三振という屈辱がなければ有り得なかっただろう。
このホームランを含め、この大会では5ホーマー、甲子園通算13ホーマー(2位は桑田真澄と元木大介の6ホーマー)という大記録を打ち立てたのだ。
清宮は今のところ、壁にぶち当たっていない。
甲子園準決勝で仙台育英の佐藤世那に翻弄されたものの、一応は内野安打を放っており、全国の一流投手に対し見事な対応ぶりを見せている。
だが、この器用さが気掛かりと言えなくもない。
清原は三振を乗り越えて、スーパースターに成長した。
清宮ほどのポテンシャルがあるのなら、器用さにかまけて小さくまとまらずに、三振でも絵になる選手になって欲しい。
三振だって、強打者に許される立派なドラマなのだ。
もちろん、そのためにはライバルが必要だ。
清宮に真っ向勝負する投手の出現を望む。
当然、全国にはそんな投手たちが手ぐすねを引いて待っているだろう。
清宮が甲子園に出場できる機会はあと4回。
そのためには、春のセンバツでは秋季東京大会で最低でも決勝進出、夏の大会なら西東京大会で優勝しなければならない。
約270校もひしめく東京から、5季連続甲子園出場するのは容易ではないだろう。
それでも、清宮の先輩である荒木大輔と小沢章一(故人)は早実の選手として、桑田・清原と同じく5季連続甲子園出場を果たした。
清宮にも、その大記録を目指して欲しいものだ。
甲子園でレベルの高い投手や高校と対戦すれば、勝てば自信になるし、たとえ敗れても成長の糧となるだろう。
そして忘れてはならないのは、高校野球は甲子園出場が全てではない、ということだ。
甲子園を目指して努力することは素晴らしいことであり、何事にも代え難いものである。
たとえ甲子園に出られなくても、甲子園を目指して戦ったことは決して無駄にはならないし、むしろプラスになることだって有り得る。
清宮の高校卒業後、5年後、10年後には、どんな選手に育っているだろう。